私はロータリークラブに入会して25年目だが、2001―2002年度から2005―2006年度まで5年間、2610地区(富山県と石川県のクラブで構成)のロータリー米山記念奨学会委員会の委員長を務めた。この間、多くの外国人奨学生との交流を通して、彼らを支援することの意義や国際平和に貢献するロータリーの米山奨学制度の素晴らしさを知った。
2006年度以降は地区米山委員会を離れたが、その後も米山奨学事業の最新情報を提供するメールマガジン「ハイライトよねやま」をずっと読んでいた。そこに記載されていた3.11大震災に際しての学友(元米山奨学生)の活動記事を少しだけ紹介したい。
3 月25 日発行 の[号外]
・今回は本当に大変な事態になって、大きくショックを受け、心がすごく痛みました。勤勉で親切な日本の国民、中でも私の第二の故郷である東北の皆さんがこのような大災害に巻き込まれ、人命が失われ、これまで創造してきた生活が崩れ落ちているのをみて、この2日間はいても立ってもいられない思いでおりました。できることならその場からすぐに日本へと飛び出して、自分にできるかぎり尽力したいと思ってきました。(中略)私たちにできることは何かと一生懸命に考えています。これからできることが出てきたら全力で当たりたいと心準備はできています。何かあれば、私たちにご提示していただければうれしいです。
・タイ国だけではなくいろんな国が大変なときに必ず最初に手を伸べさしてくれるのは日本です。今度はこちらがお返しする番です。今回は今まで日本国の皆さんが与えてくださった人生の財産になる知識、その温かみに恩返しするつもりです。会社経由で募ってる義援金のかたちで少ないですが、日本国にお返しできるように、早く復興できるように心よりお祈り致します。
各国での募金活動の記事もあった。
・中国大連で日本書籍専門書店を経営しております。日本東北太平洋沖に起きた大地震で多くの方が亡くなられて、本当に心を痛むような状況です!私としてはこの中国大連にいながら、何かをして日本の被災者を助けたい気持ちでいっぱいです。そこで、早速弊店内で募金箱を設置しました。そして、今日一回目、日本領事館に寄付金を渡してきました。
・現在台湾の国立虎尾科技大学で教鞭をとっています。今週月曜日からわたしは本学で学生、教員たちに募金の呼びかけをし始めます。皆さんは「12年前の台湾921 大震災のときも、前年台湾台風被害に遭ったときも、日本から暖かく支援を得たから、今度こそ、わたしたち恩返しの時だ」と募金活動に賛同します。大学の学長も募金の趣旨に賛成し、今日(15 日)学校の役員会議で全学募金活動に拡大しようと提案し、満場一致で可決しました。物価の高い日本にとって、焼け石に水かもしれないが、「がんばって、応援するよ」という気持ちを被災者に伝えてほしいです。一日も早く元に戻れるように、遠い台湾の空の下で祈っています。
4月12日発行の「ハイライトよねやま」133号。
●国内外から支援の輪
4 月11 日現在までに、台湾学友会から2,576,000 円、韓国学友会から1,630,000 円、中国学友会から1,358,500 円、第2670地区学友会から37 万円を受領しました。また、匿名奨学生から「日本で生活するわれわれ外国人も今回の震災に日本人と同じく心を痛め、同じく力を出したい」と、アルバイトで貯めたお金を含め10 万円を寄付してくれたほか、台湾学友会理事長の許國文さん(1975-77/徳島RC)が、自身の所属するロータリークラブを通じてマスクを6,000 枚送ってくれました。これらの義援金と物資は、近日中に被災地区へ送ります。
台湾セブン-イレブンを展開する統一超商社長の徐重仁さん(1976-77/平塚RC)は、「第2の故郷である日本が大きな困難に臨み、いてもたってもいられぬ日々が続いています」とコメントを寄せ、セブン-イレブンの店頭募金などで2億円以上の義援金が集まっていると報告してくれました。
5月12日発行の「ハイライトよねやま」134号」
在日ネパール人によるカレー炊き出し:在日ネパール人協会では、ギリ・ラムさん(1998-2000/室蘭RC)やジギャン・クマル・タパさん(2008-09/横浜たまRC)など米山学友を中心とする有志が2 度にわたって被災地を訪れ、本場のカレーを振る舞いました。1回目の支援先は、「原発事故の風評被害で支援の手が届いていない」と聞いた福島県いわき市。4月1日、いわき明星大学内で1,000 食以上のチキンカレーを提供、近隣避難所にも配ったほか、飲料水、子どものおむつやおもちゃを持参しました。4月16 日には47人の在日ネパール人の協力のもと、宮城県南三陸町からの被災者が避難している登米市内の避難所で計1,000 食のカレーを提供したほか、ヨガ教室を開いたりマッサージを施すなど、被災者の日々の疲れを癒しました。
「ハイライトよねやま」のこれらの記事を読み、米山学友の日本に対する強くて暖かい恩返しの気持ちを感じ、改めてロータリー米山奨学制度の意義を確認した。そして、私自身も、ロータリアンの立場からも大震災の復興に積極的に係わらなければいけないと思った。
3.11東日本大震災の想像を絶する被害の映像を見て、出来るだけ早い支援をと思い、震災発生3日後の3月14日の月曜日に、会社と社員有志の義援金を北日本新聞社に届けた。
それから今日まで2ヶ月以上たったが、この間、毎朝犬と散歩しながら、被災地のことや被災された方々のことを思わない日はない。寒い朝には、東北地方はもっと冷え込んでいるだろう、避難所の体育館はさぞかし寒かろうと思い、4月に入って暖かくなってきたら、この明るい太陽の日差しが、被災地にもっともっと降り注ぐようにと願った。そして、自分にはどんな支援ができるだろうかとも考えていた。
個人的には、ロータリークラブの会合などや街頭、あるいは飲み屋に置かれた募金箱へ何がしかの寄付をしてきた。また、3月は全国的に各種の催し事やパーティーが取りやめになり、私自身も飲みに出る気分にならず、飲み会への誘いを断っていたが、これが日本経済全体にとっては「自粛不況」となり、決して大震災の復興のためにはならないという意見に同感し、3月下旬からは、再び飲みに出るようになった。
5月の富山と八尾オフィス、そして本社での朝礼で、震災復興のためには、当社がしっかり利益を出して納税し、それが震災復興の財源になるようにしなければいけない。そのためには、クッション・ゼロ式原価管理を実践する手法として今年から取り組んでいる「現場NOTE」を早く使いこなすようにすることだ、と話した。
しかし、こんなことでよいのだろうかと思ってもいた。被災地に救援物資を運んだり、被災地で炊き出しをしたり、瓦礫の撤去を手伝ったりするなどもっと直接的な支援をすればよいのだろうけれど、経営を考えると、個人的にも会社としてもなかなか出来ないと、恥ずかしさともどかしさを感じていたとき、以前聞いたニュースが頭に浮かんだ。それは、東北地方には良い温泉がたくさんあるが、今回の大震災ですっかり客が来なくなった。ぜひそこに行って飲食したり土産を買ったりしてお金を使ってほしい、そして、宴会だけでなく、被災地の様子も見ていってほしい、というような内容であった。
私は、震災発生以降、社員の子供さんの誕生日祝いメールには、必ず震災に触れ、「Nさんは中学2年生。部活は何をしていますか?東日本大震災関連のニュースに、中学校のソフトボール部の部員が、つぶれた部室の跡から、泥に汚れたバットやグラブなどの用具を見つけ出して洗っている様子が報じられていました。また、小さな子供達に絵本を贈り、読み聞かせしているという富山のボランティアの話も、新聞で読みました。日本の国難を乗り切るのは、これからの若者達です。Y家では、日本の復興のことを話題にしていますか?是非、話題にして、家族みんなで考えてみましょう。」などと書いている。これと前述のニュースがドッキングした。家族で現地に出かけ、被災地の状況を見て、テレビの画面からは分からない臭いをかげば、家族の一人ひとりが震災復興について考え、それぞれの立場での支援行動につながるのではないかと思ったのだ。
そこで、5月13日の経営戦略会議の席で、「今年の経営環境は昨年よりさらに厳しく、12月決算では赤字も予測される。しかし、東北地方に同僚や家族と旅をし、温泉などでお金を落とし、被災地を自分の目で見てきた社員に対して、会社から家族も含めて経費の補助をしようと思う」と提案したら反対意見は無く、止めて久しい会社の慰安旅行を被災地にすればよいのではないかという意見も出た。
5月14日の朝日新聞の「be」の紙面に、やってみたいボランティアのランクが出ていた。編集部が用意した36の設問肢の中から選ばれた回答は、1位:節電、2位:救援物資の整理、3位:風評被害に遭った商品を買う、と続き、10位:避難所のお掃除などお世話、であったが、17位に、「被災地に旅行してお金を使う」がランクされていたのを見て、私のアイデアの実行に確信が持てた。記事の中に、「ボランティアの『vol(ボル)』は、英語の『will(ウィル=意思)』の意味で、ボランティア活動は、命じられてするのではなく自発的にする、『ほっとかれへんからする』ということです」とあった。
社員の皆さん、これは命令ではありません。会社が経費補助という後押しをちょっとしますから、夏休みなどに時間を作り、一人でも、家族でも、あるいは会社のグループでも何でも結構ですから、東北地方に旅しませんか。関連記事(富山新聞:東北の祭りにいらっしゃい/日本経済新聞:東北支援へ割安ツアー)
私は、47年前の高校3年生のとき、大学の受験勉強の合間に宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」を読んだ。この作品がとても心に響き、次に賢治の詩を何篇か読んだ。詩の中に登場する東北弁が心地よく感じられ、作品の舞台である東北地方に惹かれた。そして、東北大学に行きたいと思った。
3年生の学力試験の成績はだんだん下がりで、志望校を決める時点での学力では東北大学経済学部は危なかった。しかし全国模試でのA判定を信じて受験した。
受験には母が同行してくれたが、上野から仙台に向う列車の中は東北弁が飛び交っていた。母は、「何を話しているのか全然分からない」と言ったが、私には東北弁がなぜだか懐かしさを伴って耳に入り、話の内容が全て理解できた。賢治の作品を読んでいたからだと思った。
うまく東北大学に入学できた私は、体を鍛えようと柔道部に入り、そこで同じ経済学部の和田君に出会った。彼は大変な文学青年だったが、教養部2年生の時、3年生からの学部では専門の勉強に専念することになるので、教養部でもっと幅広く勉強したいという理由で留年した。オッチョコチョイの私は彼の考えに共感し、私も留年しようと父に電話したら、「馬鹿者」と一言で退けられた。ならば学部で留年してやろうとひそかに決めて、4年生のときに1科目だけ残して計画的に留年した。親には、経済学をもっと勉強しようと思うと言っての留年であり、自分自身もそのように考えていたが、学生に対して親切な仙台の人たちの人情や、東北の風土から離れがたくての留年であったことは、2回目の4年生のときの勉強態度から明らかである。
そんな私は、5年間も仙台にいて、有名な七夕も風光明媚な松島も一度も見たことが無かった。しかし、卒業前年の昭和44年の秋、宮沢賢治が生まれた岩手県花巻市をぜひ訪ねたいと、今でも思い出に残る4泊5日の岩手県一人旅をした。
学生手帳に書き込んだメモによれば、初日は岩手県一関に向かい厳美渓を見た後、平泉に行き、高館義経堂と中尊寺を回って盛岡で泊まった。二日目は、小岩井農場に出かけ、牧場に寝転び、賢治の作品に登場する岩手山をながめながら、賢治の詩を読んだ。この日の宿泊は宮古。三日目は、バスに乗って陸中海岸国立公園の中心をなす宮古の代表的な景勝地浄土ヶ浜に出かけ、遊覧船で巡る。バスと遊覧船で一緒になった一人旅の女性に心惹かれたと書いている。その後、釜石に向かい魚市場などを見物してから、柳田国男の「遠野物語」で有名な遠野に行って泊まった。翌日は、遠野の福泉寺に出かけ、福泉寺にある新四国八十八カ所霊場を参詣してから、「遠野物語」にでてくる狐でも飛び出してきそうな山間を、汽車で花巻に向かう。花巻の先の台温泉で宿を探すが、11月2日、3日の連休前の土曜日のため、どの宿も満員。やっと自炊旅館を見つけて泊まったが、部屋の床が傾いていたことを思い出す。そして最終日は、花巻に戻って、賢治ゆかりの場所をまわった。「雨ニモマケズ」の詩碑が建つ羅須地人協会(らすちじんきょうかい)跡で賢治の童話を読んだとメモしている。その後、北上川をさかのぼって、賢治が「イギリス海岸」と名づけた場所を見る。「北上川は、おだやかな良い川だ」とメモにあった。
私が大好きなこの東北地方が、3月11日に発生した東日本巨大地震で壊滅状態になってしまった。私が訪れた宮古や釜石でも、多くの方が亡くなり行方不明になっている。
私は、東北地方の復興には、地震や津波を、これまでのものよりも格段に大きく強固な防波堤などで真正面から防ごうとするのではなく、上手にかわすことを考えることがひとつのポイントだと思う。それを踏まえた上で、東北地方のそれぞれの地域が持つすばらしい文化や伝統を途絶えさせないようにするには、どのような形で街づくりをすればよいかを考えることが大事ではないかと思う。
そこへ、菅直人首相が13日、福島第1原発周辺の居住が長期間困難になった場合の移住先として、内陸部に5万〜10万人規模のエコタウンを建設する構想の提案に賛同した上で「市の中心部は、ドイツの田園都市をモデルに考えたい」と述べたとの新聞記事である。こんなことが軽々しく発言され実行されたら、東北地方の文化は死に絶えてしまうだろう。
賢治の作品の中に繰り返し出てくる「イーハトーブ」は、「岩手」をもじって賢治が造った言葉で、賢治にとっての理想郷である。この「イーハトーブ」を深く理解し、そして実現することが、亡くなった方々の魂に報いる道ではないかと思っている。