4回目のバヌアツ共和国訪問

2013.11.23

私が所属している富山みらいロータリークラブの事業として、初めてバヌアツ共和国を訪れたのは2006年12月だった。
1999年5月に、私がクラブ会長としてオーストラリアのシドニー近郊の町にあるケントホーストロータリークラブに姉妹クラブ締結の協議に訪れ、2001年に姉妹クラブ締結をしたが、このケントホーストクラブがバヌアツで行っていて、我がクラブも資金援助したベネ・クリニック(授産施設)建設事業を視察するのが目的だった。
その時は2度と訪れることは無いだろうと思っていたのに、2009年8月に娘たちも連れて2度目の訪問をした。別の場所でのクリニック建設工事に実際に参加し、近所のホグハーバー小学校にパソコンなどを贈るためであった。
バヌアツは何しろ遠い南太平洋の島国であり、もう行かないでおこうと思っていた。しかし、2012年6月に我がクラブの15周年記念式典を行うにあたり、ケントホーストクラブへの参加要請と、それにあわせての3度目のバヌアツ行きが計画された。不参加と決めていたのに、過去2回とも一緒に出かけた 3人に宴席で強く誘われ、出かけてしまった。
これでこそ終わりにしようと思っていたところ、今年11月8日に開催されるケントホーストクラブ創立40周年記念式典参加にあわせて、4度目のバヌアツ行きが計画された。姉妹クラブの道筋をつけた者として40周年式典には出席しようと思ったが、最初にバヌアツに行き、その後オーストラリアに行くA班の日程は、2日(土)富山発、10日(日)午前中の富山着であり、オーストラリアだけに行くB班の日程は、6日(水)に富山を発って11日(月)の夜に富山に着くというものだった。2日と9日が土曜日で4日(月)が振替休日なので、会社を休む日数はA班もB班も4日間と同じ。それならば、2度行ったことのあるブルーマウンテンの観光が入ったB班よりバヌアツの方が費用はかかるけれど良いだろうと思った。こうして、思いもかけなかった4回目のバヌアツ行きとなったのである。
今回のバヌアツ行きの目的は、これまでにバッテリーを設置しプロジェクターやパソコンを贈ったホグハーバーの小学校と今回新たにナタワ小学校に、それぞれソーラーパネルを自らの手で3枚設置し、発電した直流の電気をバッテリーに蓄え、インバーターで交流に変換し、今回も贈呈するパソコンなどを動かすというものだ。また、これまでと同様に、古着のT シャツや半ズボン、ノートや 鉛筆などの文具の他に、クラブ会員の子どもが使わなくなったピアニカも贈ることにした。
今回の訪問での大きな問題は、ソーラーパネルの運搬だった。発泡スチロールでくるんだ6枚のパネルを参加者8人の内の 6人が一枚ずつ機内に持ち込んで、富山空港から羽田空港、成田空港からシドニー空港、シドニー空港からバヌアツの 首都のポートビラ空港、そしてポートビラ空港から目的地のサント島のサント空港まで運ぶという段取りだったが、まず富山空港で1辺の長さが長すぎると言われた。でも上司と協議してもらい、機内持ち込みできた。しかし、成田空港のカンタス航空では、機内のロッカーの余裕がないということで、3枚ずつ2つにして厳重に発泡スチロールで梱包し、機内に持ち込まない手荷物として預けることになった。このパネルは、目的地のサント空港まで、途中で我々が一旦受け取り再度預けるということなく、そのままサント空港に着いた。空港の出口 には、これまでも毎回お世話になっているケントホーストクラブのネイビルさんと、ホグハーバー小学校の校長先生が待っている。ところが、最後の最後に出ようとしたところで引っかかり、英語が得意なバヌアツ4回目の西尾さんが係員に対応した。西尾さんが小学校の校長とやり取りしたメールを校長先生が 事前にバヌアツ共和国の教育省に送って、ソーラーパネルは 寄付するもので商売するものではないということを伝えていた。そのメールのコピーが空港に 送られていることを係員に話したら、それで通れそうになったのだが、上司の女性から待ったがかかったのだ。西尾さんと 今回初参加の青山さんが出口の横の事務所に連れ込まれ、コピーが本物かどうか分からないので教育省に確認する、それで本物だと分かれば明日の朝 取りに来るようにと言われた。しかし、2人が着ていたジャンパーのロータリーマークを目にした彼女が、自分もロータリークラブに入っていたことがあるので、ロータリーの活動であるなら持ち込んでよいと言ってくれた。どうなることかと心配したが、最大の関門を通過でき一同ホッとした。
今回の宿泊は、前回1泊したオイスターアイランドリゾートのホテルで、ここに11月3日 から3泊した。まず翌日の4日に2回目と3回目に訪れているホグハーバー小学校、5日には今回初めてのナタワ小学校で、それぞれ校長室の屋根と図書室の屋根の上に3枚のソーラーパネルを針金を使って固定し、パネルからケーブルを校長室 あるいは図書館の事務室に降ろし、バッテリーとインバーターに接続してパソコンを稼動させた。さらに追加要望で、各校に2個ずつ直流LED電球を取り付け点灯させた。この一連の 作業を汗だくになりながらほとんど一人で行ったのが、私や 西尾さんと同じくバヌアツ4回目の戸田さんである。職業分類が制御盤配電盤製造業で電気 工事が専門とは言え、戸田さんの技術と腕に感服した。西尾 さんは戸田さんと一緒に屋根に上がりパネルの設置を手伝い、青山さんはハシゴを上ってパネルを手渡すなどそれぞれに役割分担して働いたが、情けないかな私は、もっぱらスマホで写真を撮るだけだった。
今回のバヌアツ訪問でもうひとつ印象に残るのが、一緒に行った4人の女性の積極的な行動。2人はロータリーの会員で後の2人は戸田さんの奥さんとその友人だが、ナタワ小学校での地元部族の歓迎ダンスの輪に飛び込んで踊り、夕食会では 民族音楽の演奏に合わせて踊ったり1弦の民俗楽器を弾いたりと、歌やダンスが苦手な私には、驚きとうらやましさの連続だった。彼女たちは、小学校では子どもたちと紙風船で遊び一緒に「結んで開いて」を歌っていたが、そんな時私は、子どもたちに少しでも違った世界を知ってもらいたいと思い、スマホに入っている富山の風景写真や、次男が弾くピアノの動画を見せたりしていた。少しは自分なりの貢献ができたかと思う。
4回目のバヌアツ訪問で、日本とは全く違う環境で全く違う文化と文明を持つ国を、より深く肌で知ることができ、その発展の様子を実感し、そして、ボランティアとは何か、人間の幸せとは何かと今回も また考える時間を持てたことはありがたい。5回目があるかどうか分からないが、私の人生での貴重な体験となっている4回のバヌアツ訪問である。

4回目のバヌアツ共和国訪問