座高について

2013.12.16

日経新聞1面に掲載のコラム「春秋」の12月10日の書き出し「あなたの子どもの発育状態を知るために学校で測るデーターが3つある。身長と体重はすぐ思いつく。もう一つが座高である。」に、非常に興味を搔き立てられた。
「座高」という言葉に反応したのは、私は小さい頃から自分の座高が平均より高いこと、胴が長いことにコンプレックスを感じていたからである。
今でも記憶に残っているのが、中学生になるというので制服を買ったときのことである。上着のサイズの方がズボンのサイズよりひとサイズ大きかったのだ。もうひとつ思い出した。大学に入学したばかりの頃、紺のブレザーにグレーのズボンで、我ながらお洒落だと思いながら学校に出かけたところ、同じ柔道部に入っていた学生(同じ経済学部の静岡県出身の学生で、柔道は強かったが途中で退部した)に、ズボンのお尻がブレザーの裾であまり隠れていない私を見て、「格好が悪いな」だったか「脚が短いな」だったか、そのようなことを言われたことである。 12歳と18歳の時のことなのに、シッカリ覚えている。
また、映画館では、私の後ろの席の人がスクリーンを見にくくならないように、背中を丸めて少しでも座高を低くして椅子に座るのが常であったし、今でもそんな傾向がある。
こんな胴長コンプレックスの私は、コラムの中程に、「座高を測り始めたのは昭和12年。戦時体制下である。『胴体が長いと内臓が丈夫で、兵隊に向いていることが分かるから』という理屈だった。」と書かれているのに驚いた。私が子どもだった頃、座高が高いことを気にしていた私に父が、「胴が長いほうが内臓がゆっくり納まるので、体には良いのだ」と話してくれたことを思い出したからだ。その当時は、胴長の父が、何とか私を慰めようと思って自分で作った話だろうと思ったし、それが本当でも、脚は長いほうがよいと思ったものだ。しかしこのコラムで、私への父の説明は、父が17歳の時から学校で座高が測り始められ、その当時「胴体が長いと内臓が丈夫で、兵隊に向いている」と言われていたことが父の頭に残っていての説明だったのだろうと思わされた。そして、胴長でも、母が見立てた洋服やネクタイ、帽子をお洒落に着こなしていた父が久しぶりに思い出された。その父が亡くなり1年7ヶ月経ったが、父が締めていたネクタイの何本かは私が使っている。
このコラムの最後の段落は、「座高の大義名分はもう『机や椅子の高さの調節に活用するため』に変わっている。発育に無関係ならさっさとやめればよかったのに、と思うが、存在理由をひねり出す知恵者がいたのだろう。実際には机や椅子の高さを座高にあわせるきめ細やかな学校はまずないという。無用の惰性かくもしぶとい、と知るばかりである。」である。
来年の1月6日の新年式では、久しぶりに全部門長にも年度方針を発表してもらうことにしているが、各部門長には年度方針を考えるに当たり、自部門に「無用の惰性かくもしぶとい」と思われるような、惰性で行っている仕事が無いかどうか、その仕事の目的は何かを改めてチェックすることからはじめることを、12月21日(土)開催の経営戦略会議で話したいと思った。そして、社員一人ひとりも、惰性で行っている仕事が無いかどうかチェックしていただきたいとも思った。
私のこのコラムの3分の1ほどの長さの「春秋」だが、父のこと思い出させ、仕事のことを考えさせてくれ、そして私の文章が長すぎることを考えさせられた12月10日の「春秋」であった。