128

2024.12.25

 128は、今年総曲輪通りの映画館「ほとり座」で1年間に観た映画の本数です(このコラムを書いている12月24日現在は125本です)。

今年8月のコラム「映画はほとり座で」には、「昨年は95本で一昨年は88本でした。この8月のコラムには「これまで「趣味は何ですか?」と聞かれたら『読書です』と答えていましたが、この頃は読書時間がずいぶん減り、私の趣味は明らかに映画鑑賞に変わっています。今年は、100本を超えるのは確実でしょう。」と書いていますが、昨年よりも33本も多く観ることになります。

   

 1月に18本、2月に12本観ましたが、感想はこのコラムの2月号に書いています。3月は17本で4月は7本と少な目、5月が9本、6月も9本、7月も9本、8月が10本、9月には14本、10月が8本、11月はわずか5本でした。そして今月が昨日までに7本です。

   

 手帳に記入した映画のタイトルから、すぐに内容を思い出せるものもあれば、さっぱり記憶がないものもあります。1~6月で内容が思い出せたのは、3月のコラムに書いた「枯れ葉」です。コラムに「フィンランドの名匠アキ・カウリスマキが5年ぶりにメガホンをとり、孤独を抱えながら生きる男女が、かけがえのないパートナーを見つけようとする姿を描いたラブストーリー」と書きましたが、今でも映画のシーンが思い浮かびます。

   

 4月に観た「コット、はじまりの夏」は、解説に「1980年代初頭のアイルランドを舞台に、9歳の少女が過ごす特別な夏休みを描いたヒューマンドラマ」とあり、本作がデビュー作となるキャサリン・クリンチが主人公コットを圧倒的な透明感と存在感で繊細に演じ、アイリッシュ映画&テレビアカデミー賞を史上最年少の12歳で受賞とあります。「圧倒的な透明感と存在感で繊細に演じ」は、確かにそうだと思い、8歳の孫娘、5歳の孫息子はどんな風に表現できるだろうかと思いました。

   

 5月に観た「区長になる女」は、政治と金の問題で揺れている国会の状況が毎日報道される現在、2022年6月に行われた杉並区長選挙で、ベルギーで長く環境問題に取り組んでいたNGO職員の岸本聡子が一時帰国し、現職の田中良区長を187票差で破り初当選したというドキュメンタリー映画で、一市民として行動すること、行動できることについて考えさせられました。

   

 6月は、「悪は存在しない」、「無名」、「夜明けのすべて」など、良い映画を多く観ましたが、「石岡タロー」が特に心に残っています。作品情報には「茨城県石岡市を舞台に、1匹の保護犬が飼い主を探すために駅に通い続ける姿や、犬と人々との交流を、実話をもとに温かいまなざしで描いたドラマ」とあり、動物愛護センターで殺処分されそうになっていたタローを、彼を飼っていた小学校の用務員さんが間一髪のところで檻に入っていたタローを見つけ出すシーンに、心の中で拍手しました。わたしは自宅にクロスケという15歳の柴のミックスの雄犬を飼っていますが、タローほど賢くはありません。しかし、この映画を観てから、クロスケへの「元気でいてくれよ!」とか、「一緒に散歩してくれて、ありがとう」などの声掛けが増えました。

   

 7月の「ONE LIFE 奇跡が紡いだ6000の命」は、「1938年。何百人ものユダヤ人の子どもをナチスの脅威から救い、イギリスに避難させたニコラス・ウィントン。50年後、彼はすべての子どもを救うことができなかったことに対し、深い悲しみと苦悩を抱え続ける。」(概要)という映画です。ロシアとウクライナの戦争やイスラエルのガザ地区侵攻などで、多くの人々が毎日死んでいることを思い、せめて金銭的な支援をと、「国境なき医師団」や「国連UNHCR協会」への寄付を増やしました。

   

 8月に観た映画の題名からすぐに思い出せるのが「あまろっく」です。笑福亭仁鶴が演ずる65歳の能天気な鉄工所の社長が、28歳の女性と再婚するという話です。妻が妊娠したと知って、社長は健康のためにとジョギングに出かけ、雷に打たれて死んでしまいます。優秀だが独身の39歳の娘は、破綻しかけている鉄工所を売ろうと考えるも、最後は優秀な商社マンと結婚。夫は海外赴任を断って退職し夫婦で鉄工所で働き、未亡人になった女性も、赤ちゃんを従業員のおばさんにあやしてもらいながら、バーナーで鉄を加工しているというシーンで終わりました。後味の良い映画でした。

   

 9月ですぐに思い出されるのが「クレオの夏休み」です。父とパリで暮らす6歳の少女が、家庭の事情でアフリカの祖国に帰ってしまった大好きな家政婦のナニーのもとへ1人で向かう。そこで彼女は、ナニーと共に夏休みを過ごす中で様々な経験を重ねて成長していくという話です。「かわいい子には、旅をさせよ」と言いますが、わたしの孫たちにも、一人旅をさせたらよいと思いました。

   

 10月は「本日公休」です。台中にある昔ながらの理髪店を40年にわたって営む女性店主が、離れた町から通い続けてくれる常連客の“先生”が病に倒れたことを知って、店に「本日公休」の札を掲げ、古びた愛車に乗り込んで先生のもとへ向かい髭を剃るという話です。途中で他人の車と物損事故を起こしたものの、先を急ぐためそのまま走り去り、事故の相手が息子の友達だと分かって事故車を運んでもらいます。人間愛のあふれる映画でした。

   

 11月は「ボレロ」でしょうか。フランスの作曲家ラベルによる不朽の名曲「ボレロ」の誕生秘話を描いた音楽映画です。ラベルは脳の手術を受けるも昏睡状態のまま1937年12月28日の未明に62歳で亡くなりました。

   

 

そして今月は、21日(土)に観たフランス映画「ゴンドラ」と、22日(日)に観た、33歳の空音央(そら ねお)監督の「HAPPYEND」です。「ゴンドラ」のチラシで、この映画を上手にコメントしていました。

・あたまの中がいちばん広い・山の谷間の古い2つのゴンドラが世界をすこし幸福にする・どこにも行かないけれど、どこにも行ける!・セリフがないから生まれる映画的瞬間!

   

 「HAPPYEND」。高校生のユウタとコウは幼馴染の大親友で、卒業を間近に控えたある日、2人は夜の校舎に忍び込み、とんでもないいたずらを仕掛ける(概要)という映画です。この日は、監督の舞台挨拶がある日で、客席は9割以上埋まっていました。映画は観る人によっていろんな観方があると思いますが、わたしは外国にルーツを持つ高校生の心情と、校長が設置したAI監視カメラで生徒の行動をチェックし、規則に縛り付けようとする大人の態度に、会社経営をだぶらせて観ました。

   

 帰りに、富山市水橋出身で、フランスを拠点に映画を製作している平井敦史監督に会いました。平井監督が作った短編映画「湯」は、カナダのモントリオール・ニュー・シネマ国際映画祭と、スイスで開催されたヴィンタートゥール国際短編映画祭のインターナショナル部門でグランプリを受賞していますが、彼は、この映画をもう一度観ると言っていました。27日(金)まで上映しています。お薦めです。

   

 今は、来年1月の予定表を見ながら、いつ、どの映画を観ようかと、ウキウキしながらチェックしています。

井上ひさし

2024.11.25

  先月のコラムのタイトルは「読書の秋」で、文章の最後は「社員の皆さんは、どれくらいの時間、本を読んでいますか?雑誌やコミック本は入りませんよ。」でした。 わたしが今読んでいるのは「井上ひさし ベスト・エッセイ」(井上ユリ編)です。この文庫本は、古志の国文学館で開催されている生誕90年 井上ひさし展の初日9月24日に文学館で買い求めました。

   

 文学館から送られてきたチラシには、「小説家、劇作家と幅広く活躍した井上ひさし(1934~2010)は、自ら遅筆堂を名乗るほど遅筆でした。しかし、その作品の完成度は高く、笑い、ことば遊び、パロディ、どんでん返しなど、ことばの魔術師と呼ばれるほど日本語の豊かさとおもしろさにあふれています。放送作家として手がけた「ひょっこりひょうたん島」は国民的人気番組となり、1972年に「手鎖心中」で第67回直木賞を受賞、1981年に刊行した「吉里吉里人」で、第2回日本SF大賞、第33回讀賣文学賞を受賞しました。1984年には劇団こまつ座を旗揚げし、「頭痛肩こり樋口一葉」「父と暮せば」など、演劇史に残る話題作を発表し続けました。」とありました。

   

 検索したら「ひょっこりひょうたん島」は、1964年4月6日 – 1969年4月4日に、平日17:45 – 18:00NHKテレビの子供の時間に15分間放送された番組で、無名の若手作家だった井上ひさしの名前を一躍有名にしたのが、児童文学の山元護久と組んで脚本を担当した連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」で、漂流する島が舞台の、奇想天外な物語。子どもの視点で社会や権威を風刺するセリフの面白さが大人にまでファン層を広げ、大ヒット。1969年までの5年間で1224回放送されました、とありました。当時高校2年生のわたしは、夕方のこの番組を楽しみにしていました。そしてこの番組で、登場人物にうってつけの声優、博士の声を務め後に参議院議員になった中山千夏や、トラヒゲの声を務めた熊倉一雄を知りました。

   

 初日の9月24日には、井上ひさしの奥さんのユリさんの記念講演「ひさしさんの思い出」があり、井上ひさしは本を書くのに徹底的に資料を集めたという話が印象に残りました。また11月2日(土)には、文学館で映画「父と暮せば」(原作:井上ひさし、監督:黒木和雄、出演:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信)が上映されましたが、宮沢りえがきれいなだけでなく、演技がうまいことに驚きました。

   

 さて、今読んでいる「井上ひさし ベスト・エッセイ」の第一章 お話しを作る人が好き、の第一項『ハムレット』と『かもめ』の書き出しは、「シェイクスピアの戯曲『ハムレット』、この戯曲には、少なくとも11の筋書きが巧妙に溶かし込まれている。この11の筋書きを、五つのグループに分けて考えてみると、第1群は「仇討ち、あるいは復讐の物語」である。」で、中頃に「シェイクスピアには敵わぬまでも、いい話が書きたい、読者におもしろい物語を提供したいと、わたしもまた、それだけを目標に掲げて、ものを書いてきた人間の一人だが、いつだったか、「チェーホフも好きだ」と云って、その時集まっていた人たちから、「チェーホフの『かもめ』や『三人姉妹』のどこに筋書きがあるんだね。チェーホフこそ物語性を否定した一方の旗頭ではなかったかね」と、軽くからかわれた。そうだろうか、チェーホフも結構、物語が好きだったような気がする。(中略)相似点はまだまだあるが、とにかくわたしは『かもめ』を書いているチェーホフの机の上に、シェイクスピアの『ハムレット』がひろげてあっただろうと、ほとんど確信した。つまりチェーホフもまたシェイクスピアの筋書きの巧みさに憧れた一人だったのだ。・・・・ただ、これだけの話だが、好きな作家がともに筋書きを重視していたことを知って、それからのわたしは、しばらく幸福だった」で結んでいます。

   

 作家ですから多くの本を読むのは当然ですが、『ハムレット』と『かもめ』での考察を知り、次のエッセイが楽しみになりました。「風景はなみだにゆすれ」と「忘れられない本」では、わたしが大好きな宮沢賢治について書かれていました。宮沢賢治は岩手県の盛岡の出身で、井上ひさしは山形県で生まれています。わたしは、宮沢賢治に憧れて宮城県仙台市の大学に進みました。

   

 第二章は「ことば・コトバ・言葉」で、「書物は化けて出る」という、何とも興味をそそるタイトルの項では、売ったとたん、その書物が入用になる、という話です。古本屋で5千5百円で買い取ってもらった「圓朝全集」が後年また読まなければならなくなり、古書展に2万円で出ているのを発見し購入した。届けられた全集をめくっているうちに、トンチンカンな箇所に赤鉛筆で傍線がほどこされていて、この全集の前所有者はかなりの愚者にちがいないと思いつつ、さらに頁をめくるうちに出てきたのが、「日本放送協会」のネーム入りの原稿用紙一枚で、見覚えのある筆跡で「ひょっこりひょうたん島」の挿入歌が書かれていた。なんのことはない、小生はかつて自分が売った書物をまた買い込んでしまったのである。という話で、叩き売られた恨みを10年間も忘れずいまごろ化けて出るとは、女、いや書物というやつもずいぶん執念深いではないか。と結んでいます。思わず笑ってしまう何とも愉快な話ですね。

   

 第三章は「こころの中の小さな宝石」で、自分の生い立ちを語っています。井上ひさしは母子家庭で育ち、孤児院に入っていました。母親は商売上手で、水苔を乾燥させて月経バンドを作って大儲けし、男勝りの性格で井上組という請負業を行っていたこともありました。釜石市で屋台をやっていた時には暴力団に嫌がらせを受けましたが、銭湯に漬かっていた時に、男湯に暴力団の組長が来ていたのに気づき、男湯に押し入って、「いいところで会った。さあ、裸と裸で話をつけようじゃありませんか」。組長は前を隠しながら、「その度胸、気に入った」と言い、以後、いやがらせはふっつりとやんだということです。

   

 

これから「死ぬのがこわくなくなる薬」を読み、第四章「ユートピアの時間」、第五章「むずかしいことをやさしく」と読み進みますが、すっかり井上ひさしの世界に漬かっています。

展覧会は11月24日(日)までです。土曜日か日曜日に行かれることをお勧めします。

読書の秋

2024.10.25

 今月のコラムのタイトルは「読書の秋」です。今読んでいる本や、読んで面白かった本について書きます。そこで念のために「読書の秋」について調べてみました。わたしは単純に、秋は涼しくなって読書するのに適しているという意味だと思っていましたが、Chromeで言葉の由来を調べると、以下の様にありました。

   

 読書の秋は、秋の過ごしやすさを伝える意味で使われます。暑くて過ごしにくい夏にくらべて活動しやすい秋は、やる気も起こりやすく、集中力も持続しやすいでしょう。また、秋は夜が長く一人静かに過ごせる時間も増えます。静かで過ごしやすい時間が増えれば、読書もはかどることでしょう。つまり、「読書の秋」は、秋の過ごしやすさや夜の長さを表す言葉でもあります。読書は「夏の暑さが過ぎて、過ごしやすい季節が来たときに取り組みやすいもの」の代表格なのです。

   

 こうして調べてみて、わたしは過ごしやすい秋が来たから読書しているわけではなく、暑さや寒さに関係なく一年を通して、何らかの本を読んでいることに気付かされました。

   

 今読んでいるのは「三行で撃つ」です。この本の帯紙に次のように書かれています。 「朝日新聞」名物・名文記者の技巧25発。書くとは、考えること。書きたく、なる。わたしに〈なる〉ために。生まれたからには生きてみる。

   

 この本を紹介してくれたのは、以前「県内コレクターに聞く 収集の醍醐味」という記事にわたしを取り上げた北日本新聞社の女性記者です。私が毎月コラムを書いていることを知ってのことでしょう。316ページの分厚い本です。就寝前に30分ほど、あるいは出張の行き帰りの列車内で2時間ほどと読み進んでいますが、夏から読み始めて、今日現在216ページです。

   

 「はじめに」の最後は、「わたしが書いたのではない。言葉によって、書かされた。結果として、そういう本になったようです。今回も、また。」です。興味をそそられる文章ですね。

   

 著者の近藤康太郎さんは、猟師としても、連載コラム「アロハで猟師してみました」を担当していて、章立ても、第1章から第7章のそれぞれの節が第1発から第25発までと、猟師らしい表現です。この本のタイトル「三行で撃つ」は第1発で、この1発目の内容は「書き出しを外すと、次はない。」と書いてあります。そして、「文豪は浮気させない」で始まり「一発外すと、次はない」と続き、猟と文章は似ていて、「最初の一文、長くても三行くらいでしょうか、そこで心を撃たないと、浮気な読者は逃げてきます。続きなど読んでくれない。」として、吾輩は猫である。名前はまだ無い。(夏目漱石)、国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。(川端康成)、木曽路はすべて山の中である。(島崎藤村)と、文豪たちの書き出しを挙げています。

   

 8月のコラムの書き出しは、「私は、土日はほとんどほとり座で映画を観ています。平日も退社後、ほとり座に出かけることがあります。」ですが、「三行で撃つ」を意識して書き出しました。今回のコラムの書き出しも、「今月のコラムは「読書の秋」のタイトルです。今読んでいる本や、読んで面白かった本について書きます。」で、「三行で撃つ」を意識しました。

   

 最近目にした新聞記事に「1日の平均読書時間についてみると、書籍が26分、雑誌が24分の計49分で前年より3分短くなっている。 1ヶ月間の読書量については、おおむね若い人ほど読んでおり、書籍についてみれば、10代後半2.2冊、20代2.3冊、30代1.6冊、40代1.4冊、50代1.4冊、60代1.3冊、70代以上1.0冊となっている。」とありました。案外多いと思いましたが、何ページくらいの本なのか、内容は重いものか、軽いものか、で読書時間は全く違ってくると思うのです。

   

 わたしは、「男はつらいよ」の主人公、フーテンの寅を演じた渥美清が大好きで、先月発行された「渥美清に逢いたい」はすぐに買いました。これは「男はつらいよ」の山田洋次監督と黒柳徹子の179ページの対談集で、2日ほどで読了しました。渥美清のことはたいてい知っているつもりでしたが、新しいエピソードもいくつかあり、ますます渥美清が好きになりました。

   

 社員の皆さんは、どれくらいの時間、本を読んでいますか?雑誌やコミック本は入りませんよ。