心技体とは、武道や相撲で重んずる、精神・技術・体格の三要素のことですが、私が富山後援会の副会長を務める朝乃山について、日本相撲協会のホームページには身長188.0㎝、体重172.0㎏、得意技は押し、右四つ、寄りとあり、心が優しいのが勝負師としては難点かも知れませんが、体格は立派だし技術も型を持っています。
今場所は右ふくらはぎの肉離れで初日から休場しましたが、昨日(11月19日)の中日8日目から出場し、大関貴景勝に右四つからのすくい投げで勝ちました。このまま千秋楽まで全勝すれば8勝0敗7日の休みで勝ち越しとなり、来年1月の初場所での小結は間違いのないところです。今日の大関霧島との一番は見ものです。
さてここから本題です。先月のコラムで「体(たい)は私自身の体力になろうかと思います。心と技はまだまだ若い社員に負けないのですが、体の方は衰え背中も曲がっています」と書きましたが、先月のコラムを書いた後に、体には肉体の体力でだけではなく頭脳の体力である知力もあると思わされた出来事がありました。
10月19日に中学生時代の同期会が午後6時から呉羽ハイツで行われることになっていて、私は永久代表幹事を仰せつかっているため、その日に新潟で行われていた日本アスファルト合材協会の技術委員会を閉会1時間前の午後2時に退席し、事前に購入していた14:27新潟発、17:56富山着の新幹線とき326号に乗り、富山駅からタクシーで向かえば6時半頃には呉羽ハイツに着くだろうと、会場のホテルからタクシーで新潟駅に向かいました。タクシーの中で、背広の上着の右内ポケットに入れていたJRの切符を入れた紙袋を3回ほど確かめました。そして新潟駅に着きタクシーを降りたところで内ポケットから切符を取り出そうとしたところ、その袋がありません。左の内ポケットや左右の外ポケット、ズボンの前後4つのポケットを探しても見つかりません。タクシーの中に落としたのだと思いましたが、乗ってきたタクシーはもういませんでした。やむなく次の15:44新潟発のとき330号の切符を買って19:12に富山駅に着き、タクシーで呉羽ハイツに向かい、会場に入ったのが懇親会終了時刻8時の15分前。空けてあった最前列に着席し日本酒を3杯飲んだところで、閉会の挨拶の指名を受けました。
そこで、「体力だけでなく知力も衰えないようにしましょう」と今日の顛末を話しました。私は数え年で喜寿の77歳ですが、本当にそう思います。体力は、毎朝30分の犬との散歩で何とか大丈夫でしょうが、知力は物忘れ、忘れ物(今も名刺入れが見つかりません)をどのように防ぐかを工夫すること、そして何にでも好奇心を持って積極的にやってみることで現状維持が図られるのではないかと思っています。今月のコラムのネタは、先月のこのコラム「転んでもただでは起きず、話のネタに」と同じになりました。好奇心を持って来月の新しいネタを探しましょう。
今月9日の日曜日に、高岡の海沿いの温泉旅館「磯はなび」で、大本山国泰寺派管長猊下(げいか)大道老子の澤管長の「喜寿祝賀会」が開かれ、私も数え年で喜寿ということで招待されて出かけましたが、額と頭には大きなバンドエイドを貼っていました。
私が澤管長とお会いするのは3回目で、1回目は、私が朝乃山富山後援会の副会長を務めていると知った私の高校同期生のN君が、朝乃山が小さい時からよく訪れ好物の鶏のから揚げを食べていた呉羽の「丸忠」に澤管長が来られると案内してくれたので出かけたところ、澤管長の向かいに席がとってあり、酒を酌み交わしたのが最初の出会いでした。その縁でN君が澤管長の「喜寿祝賀会」に声をかけてくれたのです。
2回目は、相撲は「心技体」と言うが朝乃山は技と体は立派だが心が弱いということで、朝乃山のお母さんが氷見の生まれで国泰寺の門徒であることから、N君の勧めで、朝乃山に9月29日に国泰寺で座禅を組むことになりました。9月上旬の朝乃山富山後援会の役員会の席にわざわざ澤管長が見えられ、役員に色紙を頂きました。
そして3回目が澤管長の「喜寿祝賀会」でした。祝賀会では最初に参加者から喜寿の男女7、8人がステージに上がらせられました。そして司会者が開会の辞で「ここ磯はなびは、朝乃山のお母さんが生まれた氷見市にも近く・・・」と言っていたことが伏線であったようで、朝乃山後援会副会長の林さんに乾杯の音頭を取ってもらいますとアナウンスされました。N君からは乾杯の挨拶をしてほしいと事前に頼まれていましたので、ここは相撲の「心技体」と私の怪我をネタに挨拶しようと準備し、次のように話しました。
「ただ今護国神社の宮司さんが、国泰寺と合流との関係を話されましたが、まず朝乃山富山後援会副会長の私とご老子の関係をお話しします。(中略)「相撲では心技体と言いますが、会社の経営者の私にとって、心とは経営理念、技とは最先端の機械やコンピュータシステムの導入、そして体は私自身の体力になろうかと思います。心と技はまだまだ若い社員に負けないのですが、体の方は衰え背中も曲がっています。一昨日の夕方、雨の中を犬の散歩をしていて脚がもたつき隣家のブロック塀に頭から激しく当たって頭頂部と額を怪我しました。こうして絆創膏を貼っています。一方朝乃山は右4つの型という技術や体力はありますが、心、精神力が弱いので、Nさんの勧めもあって9月場所の後、国泰寺で座禅を組ませました。11月の9月場所は期待できると思います。
ご老子には心技体ともご立派ですが、私と同じ77歳。どうかお体にはご留意され、これからも我々をご指導いただきますようお願いいたします。」
何事も準備が大切です。今回のスピーチにおいても、転んで怪我したことをネタに話を組み立てました。皆さんもスピーチする時は、事前に準備をしましょう。
今月の2日に、我が家の飼い犬のクロスケが14歳になりました。先週、精神安定剤をもらいにかかりつけの動物病院に行ったところ、受付の人がスマホで計算して「人間なら72歳です」と言われました。72歳なら前期高齢者ですからクロスケは老人(老犬)であり、後期高齢者である私の弟です。先日も朝の散歩のときに、3年ぶりほどでお会いした同じ町内の男性から「歳とりましたなぁ」と関西弁で言われ、一瞬私のことかと思いましたがクロスケのことでした。そう言われて改めてクロスケの顔を観察したら、鼻の横の髭がすべて白くなっていました。
クロスケについては、2009年の9月と10月に「初孫誕生-その1-」、「-その2-」として、昨年の2022年7月に「クロスケのこと」のタイトルで書いていますから、孫から弟に昇格したことになります。
「クロスケのこと」では、以下のように書いていました。
このクロスケ、小さいときはとても臆病で、我が家の近くの介護事業所「あさひホーム吉作」に連れていくと、テーブルの下に潜り込んだのはよいが、前からは出られなくお尻から後ずさりして出てきました。また、側溝を跳び越せず、グレーチングがかけてあってもダメでした。
こんな臆病なクロスケでしたが、その後は何にでも好奇心や攻撃精神が旺盛になり、何を見つけたのかなと思うと、クロスケの目線の先の梨畑には雉や狸がいて、100メートルほど先の丘に狐がいたこともありました。また、リードを引っ張ってもなかなかついてこないときは、必ず遠くに犬を連れている人がいます。犬は「鼻で考える動物」といわれ人間の3,000倍から1万倍の嗅覚力を持つと言われますが、嗅覚なのでしょうね。(中略)(母親のハナと)同じ年齢(12歳)になったクロスケは、毎日散歩と食事以外はひたすら寝ているだけですが、今のところは腎臓が少し悪いのと、散歩中に時々右の後ろ脚が震える程度で元気です。
2週間ほど前までは、朝の4時半になると玄関で「キューン、キューン」、「ワォン、ワォン」と吠えるので、玄関横の寝室で寝ている私はたまらずに様子を見に行き叱ったり(効果はありませんが)、下駄箱の上のオルゴールを鳴らしたりしました。これは今年になってからのことです。
映画で見た天然記念物の柴犬たちとは違いますが、クロスケは我が家の大切な一員です。私が喜寿になるまで後2年、願わくは傘寿になるまで後5年は毎朝一緒に散歩をしたいものです。
このコラムから2年と2カ月経ちましたが、前と違うのは、側溝を跳び越せグレーチングも平気になったことと、「朝の4時半になると玄関で『キューン、キューン』、『ワォン、ワォン』と吠える」が、この1年ほどは「朝の5時45分から58分になると玄関で『ワン、ワン』と吠える」になったことくらいで、「毎日散歩と食事以外はひたすら寝ているだけ」は変わらず、23時間は玄関の中か前でうつ伏せになったり横になったりの格好で、ひたすら幸せそうに寝ています。「寝る子は育つ」と言いますが「寝る犬は長生きする」のでしょうね。
私はスマホの目覚ましを朝6時に設定していますが、6時前に吠えると玄関に行って引き戸を開け、おやつのささ身を一切れあげて鳴き止ませますので、目覚まし代わりにもなっています。
毎朝のクロスケとの散歩が唯一の運動と言える私ですので、私の健康のためにも長生きしてほしいと思い、ネットで見つけた、20歳まで長生きするという結構高価な白い粉末の薬を買って飲ませたこともありましたが、餌にこの粉末をかけると餌をすべて食べなくなるので、腹を空かせて衰弱させたら本末転倒だと考えこの粉末は止めにして、おやつのささ身やビーフ、砂肝などを以前より多めに与えています。クロスケが20歳の時に私は80歳の傘寿を超えて82歳。お互いに元気でいたいと願っています。