萩生田光一・文科相の「身の丈」発言により、2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される英語民間試験が延期されることになりました。
10月24日、BSフジの番組で、萩生田文科相は英語民間試験の利用で、生徒が住む地域や家庭の経済状況によって生じる不公平感について問われたところ、「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」と反論し、「裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがもしかしたらあるのかもしれない」と述べました。そのうえで、試験本番では高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、「自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」と答えたということです。
私は、東大生の親の年収が高いことが調査で実証されているので、経済格差に地域格差も加わった不公平感についてはもっともだと思います。また、水準の異なる7つの民間試験の評価方法にも問題が多いとされています。しかし私は、そもそも英語にそんなに力を入れなければいけないのかと思うのです。私は英語が好きですし、英語の語彙を増やして外人さんともっと上手に英語で話したいと思っており、富山経済同友会で行っている中学校での課外授業では、「土木工学、土木工事は英語ではcivil engineeringと言い、市民の工学、市民の生活を支える工学です。インフラはinfrastructureであり、下から組み立てるの意味で下部構造であり、建設するという英語のconstructは、共に(con)積み上げる(struct)からきています」などと話します。
しかし、今月11日に高岡商業高校の2年生のクラスで行った授業では、前述の文科相の「身の丈」発言について話した後に、数学者である藤原正彦さんが、ベストセラーとなった著書「国家の品格」で小学校からの英語教育必修化を批判し、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」と述べ、国語教育の充実を主張したことを紹介しました。そして藤原正彦さんが英語より国語と言うのは、日本人は国語、日本語でものを考えるからだということなので、私も生徒たちに読書の大切さを伝えようと、富山新聞のコラム「時鐘」の次の言葉を紹介しました。
「『けさ食べたものを言ってみたまえ。君がどんな人間か当ててみせる』との言葉がある。読書に例えるとこうなる。『読んだ本を言ってみたまえ。どんな人間か当ててやろう』。本も食物も栄養になる点では同じ。よく噛んで食べよう。次の子どもの疑問が分かりやすい。『本を読んでもほとんど忘れてしまうのになぜ読むの?』。先生が答える。『毎日何を食べたか忘れても君は大きくなっているね』」。読書週間に思い出す話である。
先日の当社の会議で、所長や専務から「今の若い社員は言葉を知らない」という嘆き節が聞かれました。聞いてみると「当たらずと雖も遠からず」とか「もっと深堀して考えろ」と言っても分からないというのです。この話を妻にしたところ、外国人に災害情報を伝える場合は、日本人に話すよりも分かりやすい言葉に言い換えて話すと良く伝わるとテレビで言っていたといいました。なるほどと思いました。言葉を多く知らない相手には、彼らが分かる言葉で説明すればよいのです。「当たらずと雖も遠からず」なら「近いけれども少し違うね」、「もっと深堀して考えろ」なら「もう少し深く考えてみよう」でどうでしょうか。「深く考える」が分からなかったら、何をか言わんやです。「何をか言わんや」の意味、分かりますよね。
仕事におけるコミュニケーションの大切さが言われますが、言葉が通じなければコミュニケーションになりません。まずは新聞を読み、月に1冊、最低でも年に3冊は本を読みましょう。分からない言葉があったら直ぐに辞書で調べてください。脳に栄養が与えられ、しっかりコミュニケーションが取れるようになり、仕事もうまくいきます。さらに、詩や小説を読み、情緒ある日本語に接しましょう。日本人に生まれたことを感謝できるようになりますよ。
萩生田文科相の「身の丈」発言がなかったら英語民間試験が実施され、ますます国語より英語に力が注がれ、日本人の国語力がさらに弱まることになると思うと、大臣は良いことを言ってくれたと思います。そして「身の丈」発言を高岡商業高校での課外授業の中で使い、さらにはこのコラムで社員に読書を勧められたと思うと、これまた「良い発言」だったと思うのでした。
10月24日、BSフジの番組で、萩生田文科相は英語民間試験の利用で、生徒が住む地域や家庭の経済状況によって生じる不公平感について問われたところ、「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」と反論し、「裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがもしかしたらあるのかもしれない」と述べました。そのうえで、試験本番では高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、「自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」と答えたということです。
私は、東大生の親の年収が高いことが調査で実証されているので、経済格差に地域格差も加わった不公平感についてはもっともだと思います。また、水準の異なる7つの民間試験の評価方法にも問題が多いとされています。しかし私は、そもそも英語にそんなに力を入れなければいけないのかと思うのです。私は英語が好きですし、英語の語彙を増やして外人さんともっと上手に英語で話したいと思っており、富山経済同友会で行っている中学校での課外授業では、「土木工学、土木工事は英語ではcivil engineeringと言い、市民の工学、市民の生活を支える工学です。インフラはinfrastructureであり、下から組み立てるの意味で下部構造であり、建設するという英語のconstructは、共に(con)積み上げる(struct)からきています」などと話します。
しかし、今月11日に高岡商業高校の2年生のクラスで行った授業では、前述の文科相の「身の丈」発言について話した後に、数学者である藤原正彦さんが、ベストセラーとなった著書「国家の品格」で小学校からの英語教育必修化を批判し、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」と述べ、国語教育の充実を主張したことを紹介しました。そして藤原正彦さんが英語より国語と言うのは、日本人は国語、日本語でものを考えるからだということなので、私も生徒たちに読書の大切さを伝えようと、富山新聞のコラム「時鐘」の次の言葉を紹介しました。
「『けさ食べたものを言ってみたまえ。君がどんな人間か当ててみせる』との言葉がある。読書に例えるとこうなる。『読んだ本を言ってみたまえ。どんな人間か当ててやろう』。本も食物も栄養になる点では同じ。よく噛んで食べよう。次の子どもの疑問が分かりやすい。『本を読んでもほとんど忘れてしまうのになぜ読むの?』。先生が答える。『毎日何を食べたか忘れても君は大きくなっているね』」。読書週間に思い出す話である。
先日の当社の会議で、所長や専務から「今の若い社員は言葉を知らない」という嘆き節が聞かれました。聞いてみると「当たらずと雖も遠からず」とか「もっと深堀して考えろ」と言っても分からないというのです。この話を妻にしたところ、外国人に災害情報を伝える場合は、日本人に話すよりも分かりやすい言葉に言い換えて話すと良く伝わるとテレビで言っていたといいました。なるほどと思いました。言葉を多く知らない相手には、彼らが分かる言葉で説明すればよいのです。「当たらずと雖も遠からず」なら「近いけれども少し違うね」、「もっと深堀して考えろ」なら「もう少し深く考えてみよう」でどうでしょうか。「深く考える」が分からなかったら、何をか言わんやです。「何をか言わんや」の意味、分かりますよね。
仕事におけるコミュニケーションの大切さが言われますが、言葉が通じなければコミュニケーションになりません。まずは新聞を読み、月に1冊、最低でも年に3冊は本を読みましょう。分からない言葉があったら直ぐに辞書で調べてください。脳に栄養が与えられ、しっかりコミュニケーションが取れるようになり、仕事もうまくいきます。さらに、詩や小説を読み、情緒ある日本語に接しましょう。日本人に生まれたことを感謝できるようになりますよ。
萩生田文科相の「身の丈」発言がなかったら英語民間試験が実施され、ますます国語より英語に力が注がれ、日本人の国語力がさらに弱まることになると思うと、大臣は良いことを言ってくれたと思います。そして「身の丈」発言を高岡商業高校での課外授業の中で使い、さらにはこのコラムで社員に読書を勧められたと思うと、これまた「良い発言」だったと思うのでした。