創業80周年に向かってなすべきこと

2010.11.01

10月23日の「朝日建設創業70周年感謝の集い」は、招待者のお一人から「いろんなパーティーに出席してきたが、こんなに感動したパーティーは初めてです」と言われ、長男に作らせた記念品も皆さんに好評でした。ほぼ思い通りのパーティーになったと満足しています。
 DVD上映が終わってからの私の挨拶の最後のほうで、「私は当社がそれほど大きく変わってきたとはこれまでは思っていなかったが、このように振り返ると、やはり変わってきた、また変わってきたからこそ、今も存続できているのだと思わざるを得ない。DVDの最後のスライドは、今月の2日に北日本新聞に掲載された「新経済人」であったが、その中で「変わることに抵抗はない」と言っている。そのように言ったかどうか良く覚えていないが、確かに現状維持よりは変えることを選択してきたといえる。(中略)でも折角記事の見出しに「改革続けて前進」とつけてもらったからには、これからは改革という言葉に値する改革を行っていきたい、そのためにも「改革恐れず前進」することを意識して経営に当たりたい」と述べました。
 今、全国各地で、公共工事発注量の激減に起因するダンピング入札や不良不適格業者の横行などにより地域の建設業は疲弊し、廃業、倒産、自殺で崩壊の危機に直面しています。そして、建設経営者の目は、生き残ることだけに向いているように思います。即ち、ダンピングでも、下請でも、施工能力がなくて丸投げすることになっても、受注さえできれば良いという考え方になっているように感じます。
 建設業が受注産業である以上、受注があって初めて工事部門も総務部門も動くのですから、営業活動に血道を上げるのは分かります。しかし、これが本当の建設業のあり方でしょうか?発注者が設計したものを「請け負う」だけでいいのでしょうか?「請負」とは、辞書には「当事者の一方(請負人)がその仕事を完成することを約し、相手がその仕事の結果に対して報酬を与えることを約する契約」とありますが、この「請負」から脱却し、自分が住んでいる町を「自分が住みたい町」、「よその人が訪れたい町」、「よその人が移り住む町」にするために建設業があると考えるべきだと思うのです。衰退していくばかりの町では、建設業の発展は望めません。
 私がこのように考えるようになったのは、高岡で行なわれた富山経済同友会の6月定例会でのパネルディスカッション「飛越能の近未来像探る」で、パネリストの東京電力?技術開発研究所主任研究員 青木仁さんの基調講演「北陸新幹線新駅を契機とした公共交通利用促進・活用による高岡のまちづくり方策」を聞いたからです。青木さんは、「新幹線を脱クルマへのモーダルシフト(交通・輸送手段を変えること)の契機ととらえてはいかがでしょうか」と問題提起し、「従来型のクルマ・道路との連結ではなく、資源としてある北陸本線、城端線、氷見線、万葉線を生かし、クルマへの流出を防ぐことです」、「“歩きたい人”のための“歩けるまち”の再創出です」、「歩行者優先エリアを設定することが一番効果的で、道路の新設や拡幅は逆効果です」などと述べられました。
 これまで道路建設を主に当社の経営に当たってきた私にとって「道路の新設や拡幅は逆効果」は、反発する気持ちを起こさせるものではなく、反対に新鮮な響きで耳に飛び込んできました。私たちは建設産業で働いていますが、その前に、その町に住み生活する住民なのです。住民が主体的に関わるまちづくりに、建設業者としての専門的な観点から意見を出して積極的に関わること、それが建設業者としての責務であり生き残る道でもあると思い至ったのでした。そして青木さんを、私が委員長を務める富山県建設業協会経営改革推進委員会が企画する経営改革セミナーの講師にぜひ呼びたいと思いました。セミナー参加者に、まちづくりのヒントを持ち帰ってもらいたいと考えたのです。
 11月10日に実現した青木さんのセミナー「成長拡大型未来像から持続型未来像への転換」では、パワーポイントで映し出された「脱高規格化」、「コンパクトになることの効果」、「江戸からの遺産に学ぶ持続都市戦略」、「公共インフラから民間資産・建築物形成へ」、「分割発想によるコンパクトさの獲得」、「脱マイカー型生活圏の創出」などの文字に心躍りました。そして、自分の住む富山市、富山県の活性化が当社の創業80周年に向かってなすべきことであり、そのために「改革恐れず前進」しなければいけないと思いました。