井上ひさし著「野球盲導犬チビの告白」

2025.08.26

 小説家の井上ひさしについて書いたコラムは、昨年11月の「井上ひさし」で、「井上ひさし ベスト・エッセイ(井上ユリ編)」を読んでの感想を書き、今年6月の「聞きなれない言葉」で「自家製 文章読本」に出ていた言葉を紹介しました。6月のコラムの最後に「古志の文学館での井上ひさし展で買い求めた未読の20冊近くの文庫本を読もうという意欲が湧きました。晩酌をほどほどにして、寝る前に数ページ読もうと思います」と書きましたが、晩酌のアルコール量は減らないものの、寝る前の20分ほどの読書を数か月間繰り返して、先日ようやく読み終えたのが451ページの文庫本「野球盲導犬チビの告白」です。

  

コラム「井上ひさし」では、昨年の9月24日に古志の国文学館で開催された生誕90年 井上ひさし展」での奥さんの井上ユリさんの記念講演「ひさしさんの思い出」で、井上ひさしは本を書くのに徹底的に資料を集めたという話が印象に残ったと書きましたが、 「野球盲導犬チビの告白」を読みながら、まさにその通りだと思いました。戦後野球史、残るスコアカードや週刊誌の雑記などが紹介されています。また、王貞治や別当監督、金田正一、西本投手、山倉捕手、宮沢主審も登場しますが、本当にあったことのように思わされてしまいます。

   

 この小説は、生まれながらの盲目の田中一郎が横浜大洋ホエールズに入団し、盲導犬チビの助けを借りながら、対巨人戦で2打席連続で予告ホームランを打ち一塁の守備もこなすという話です。チビと田中一郎の出会いは、千葉県市川市の市川駅の北にあるラーメン屋『小人軒』(小人とは巨人の反対でアンチ・ジャイアンツという意味が込められている)の主人の永井増吉さんが店員の田中一郎の野球のコーチで、永井さんと田中一郎が市川市営球場で練習をしていた時に、チビが土手にめり込んだボールを掘り出し、右翼席から投手板まで運んで行ったのが縁でした。それで『小人軒』で飼われるようになったのです。

   

 盲目の天才打者・田中一郎がプロ野球界に打って出るには、守備や走塁時に彼の目となってくれる誰かが必要でした。そんなときに現われたのが野良犬のチビ。前の飼い主の千葉県習志野市の植木屋の次男坊が野球の審判員を目指していて、その時に野球のルールを覚えたのです。野良犬だったチビは野球盲導犬として田中一郎の相棒に昇格しました。

   

 巨人入りを熱望する田中一郎でしたが、盲目を理由に一蹴されてしまいます。しかし、横浜大洋ホエールズのテストに合格し、野球規則を始めとする幾多の問題を乗り越え入団が決まりました。そこから、田中一郎と野球盲導犬チビのサクセスストーリーがスタートし、世間は盲目の天才打者に興奮し、その人気はプロ野球界に止まらず社会現象にまで発展しました。しかし、彼らを快く思わない某球団(巨人)連中がついに妨害行動にでます。チビを田中一郎から引き離すため、チビを囮犬の美しいメス犬に近寄せ、後ろからクロロホルムをかがせて気絶させ、某球団の黒幕の妾である藤山桃枝という女性が住むマンションに監禁されてしまうのです。チビは浴室に閉じ込められ、妾の彼氏である獣医大学の学生長谷吾郎に毒を注射され殺されようとします。しかし、妾のパパである政五郎親分と「日本プロ野球界のVIP」と奉られていた禿頭の老人が入ってきて麻雀を始めます。桃恵が、どうしてみんながチビに血眼になっているかと尋ねたら、VIPはチビの生命を絶つことが巨人のためであり、ひいてはプロ野球界のためであると答えるのでした。この後、江川卓の話になり、チビは隙を見て逃げ出すことができました。これ以上書くとネタバレになり、実際に「野球盲導犬チビの告白」を読む社員の興味を削ぐことになるので、このあたりでこの本の概要を記すのをやめます。

   

 さて、今読んでいるのが、井上ひさしの三女の井上麻矢さんの「夜中の電話」です。この本の第2章には、2009年にがんで療養中の作家である父・井上ひさし氏から「こまつ座」の運営を引き継ぐことになった娘の麻矢さんに宛てて語られた77の言葉が書かれています。父から娘への遺言とも言える言葉には、生き方のヒントと劇団経営テクニックが込められており、今晩(8月23日)読もうと思っている13番目の言葉は、有名な「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。」です。

   

 この本を読み終えたら、“「井上ひさし」を読む 人生を肯定するまなざし”を読みます。この本では、作家・大江健三郎、辻井喬(実業家堤清二の筆名)、劇作家・平田オリザなどが対談しています。娘さんや井上ひさしと所縁のあった人の見方を知ることは、今後、井上ひさしの著書を読むうえで参考になることでしょう。

   

 連日猛暑日が続きますが、クーラーを効かせた寝室で、今夜も「夜中の電話」を読みましょう。

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