「男はつらいよ」全49作を観終えて

2020.05.01

先月のコラムで、「昨年末に大枚をはたいて大人買いした、革製のトランク『寅んく』に入った渥美清がフーテンの寅を演じる『男はつらいよ』全49作のブルーレイを観る時間も取れます。現在第39作まで観ましたが、毎回、秀逸なストーリーに引き込まれ、マドンナに心ときめかせています。」と書きましたが、ゴールデンウイークの最後の日、5月6日に第49作「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」を観終えました。

  第1作「男はつらいよ」が公開されたのは、アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たした1969年(昭和44年)の8月で、第48作「寅次郎紅の花」の公開が1995年(平成7年)12月、翌1996年(平成8年)8月4日に渥美清さんが68歳で亡くなり、その翌年の1997年(平成9年)11月に特別篇として第49作が公開されたのでした。足かけ29年間にわたり制作、上映されてきたことになります。

  私が初めて渥美清さんを見たのは、私が中学生だった1961年から5年間放送されたNHKテレビのバラエティー番組「夢であいましょう」でした。「上を向いて歩こう」(歌:坂本九)、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)、「帰ろかな」(北島三郎)など数々のヒット曲を世に送り出した番組でしたが、コメディアンとして売り出し中の渥美清さんが司会のファッションデザイナー中島弘子さんの横に現れて実に可笑しなことをしゃべりかけ、中島弘子さんが必死に笑いをこらえる場面に、何とも面白い役者がいるものだと思いました。

  しかし、「夢であいましょう」で強烈な印象を受けた渥美清さんが主役を演じる「男はつらいよ」を観に映画館に足を運んだのは、1度か2度ほどでなかったかと思います。おそらく、社会人として新しい人生を歩みだし、朝日建設に入ってからは会社経営や青年会議所活動、そして結婚しての家庭生活にと何かと多忙な日々を過ごす中、世界最長のシリーズを観るよりも年に1、2本、評判の映画を観るのが関の山になっていたのでしょう。

  「寅さん」を、夜な夜な酒を飲みながら観終わって思ったのは、「映画館で観たかったなぁ」でした。それは、革製のトランクの中にブルーレイと一緒に入っていた「男はつらいよ 50周年記念読本」の中の対談で、片桐はいりという個性派女優が語っていた言葉からでした。“もぎり”のアルバイトをしているときに「男はつらいよ」公開中の映画館で特別な高揚感を体験したという片桐さんは、「寅さん」だけを観るお客さんが多くて、2本立て興業なのに併映作は観ないで帰ってしまう、元日に出勤したら、銀座通りまでズラーッとお客さんが行列を作っていて、初詣の帰りに「寅さん」を観るというのが、お客さんにとって決まりごとになっていたみたいなど、映画館に来るお客さんの熱気を語っているのです。今の映画館では考えられないことですが、満員の映画館で「寅さん」を観たかったと思うのです。そして、小・中学生、そして大学生時代に出かけた映画館のことを思い出します。座れなくて、立って観たこともあるほど盛況で、大勢のお客さんと映画の始まりをワクワクしながら待つ一体感がありました。

  観終わってのもうひとつの思いは、「寅さん」の実家の団子屋「とらや」のある葛飾柴又のような懐かしい下町風景が無くなってしまったということです。富山でも、富山駅前にCiCビルが建つ前は、魚屋や八百屋、飲み屋が雑然と並んでいた横丁があり、母に連れられて買い物に行った小学生の頃が懐かしく思い出されます。今、昭和の雰囲気が残っているのは山田雑貨店くらいでしょうか。

  私は高校や大学での講義で、勉強する目的を考えるようにと、第40作『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』の中で、甥の満男に「何のために勉強するのかな?」と問われた寅さんの「人間、長い間生きてりゃいろんな事にぶつかるだろう。そんな時、俺みてえに勉強してないヤツは、振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるよりしょうがない。ところが、勉強したヤツは自分の頭で、きちんと筋道を立てて、“はて、こういう時はどうしたらいいかな?” と考える事が出来るんだ。だからみんな大学行くんじゃないか、そうだろう」と答えたことを紹介し、勉強する目的は考える力を養うことだと話しましたが、反応はさっぱりでした。何とも情けない学生たちかとがっかりし、「男はつらいよ」を観た人はことがあるかと尋ねたら、全くゼロ。平成生まれの人間に寅さんの味は分からないのだろうと思い、無理矢理自分を納得させました。しかしコロナショックで自粛が叫ばれている今、寅さんの人間味や昭和の時代の良さを忘れてはいけないと思うのです。

  昭和の日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日として制定されましたが、コロナショックの後の「染後」の日本では、昭和の時代は忘れられ顧みられることなく、在宅勤務が進み人とのつながりがますます希薄になるのではないか、また国際的には一国主義が勢いを増し、国と国との対立が深まるのではないかと危惧しています。満員の映画館や下町の風情を形作っていた人と人との温かい共感性や人情が無くなってしまったら、コロナ禍の中で生まれたネットでの差別や中傷とか、正義をはき違えた「自粛警察」などという心のウイルスが勢いを増して日本中にはびこることでしょう。

  オンライン飲み会も結構よいと聞きますが、人の温もりが感じられない飲み会など、私は真っ平です。差しつ差されつ、会話を弾ませながら飲みたいものです。