同期会

2012.11.01

私は今年1月の誕生日で65歳の前期高齢者に仲間入りし、日本年金機構から老齢基礎年金が振り込まれるようになった。
 今年3月に同じ高校の同期生S i君に会った時、彼から「65歳(女性は60歳)になるとJRのジパング倶楽部に入会でき、運賃が3割も割引になる。(僕は)昨年65歳になってすぐ入会した」と聞いて、早速年会費3670円を払い、誕生日から2ヶ月遅れで入会した。出張旅費でずいぶん経費節減に貢献している。
そのS i君と話しているうちに、高校の同期会は8、9年前に行ったきりなので、65歳になったのを区切りに久しぶりに同期会を行おうではないかということになった。そこで、私とS i君のほか男性2人と女性3人合わせて7人の世話人を決め、世話人代表には成り行きで私がなった。そして、同期会の開催日は、11月10日の土曜日、会場をパレブラン高志会館に決めた。
 8月末に男性世話人のS u君と高校の中にある同窓会事務局に出かけ、同期生の宛名シールをもらい、9月初めに女性世話人のM iさんに案内状の文面を考え往復ハガキに印刷することや当日のネームプレートの作成をお願いした。彼女はポスターやパンフレットの企画、デザイン、編集の仕事をしていて、打って付けだった。S u君は当日に向けての会場との打合せ、酒屋のS i君は会場に持ち込みのワインの手配、M a君は出欠状況を見ながらより多くの出席者を募る役目を担当することにしたが、私の役目は、返信ハガキの宛名が世話人代表の私になっているので、出欠の集計をしてM a君に連絡することだけだった。
予定通り9月末に案内状が発送され10月にはいると返信ハガキが届き始めた。しかし私は脊柱管狭窄症の手術のため10月8日から18日まで入院していたので、入院中、妻が毎日届けてくれる返信ハガキを見て、入院前にエクセルで作った集計表に、病室に持ち込んだパソコンで出欠を入力し、手術の翌日の10日からほとんど毎日M a君にメールで集計表を送った。同期生は9クラスで480名を超えていたが、亡くなった方が40数名、住所が不明の方もいて、実際に発送したはがきは380枚ほどであった。返信の期限を10月27日としていたが、10月18日の退院の日で出席者は27名。80名を目標にしていたので心配だったが、声を掛け合った結果、最終的には69名の参加者となった。
 
 入院中の楽しみは、食事と返信ハガキに書かれたメッセージを読むことであった。同期会の開会挨拶でも披露した心に残るメッセージを紹介したい。
・ ウワーイ、ウレシイ、ウレシイ!!もう皆さんにお会いすることはないのかと思ってたので。企画してくださって心からありがとう。杖ついてでも会いに行きます。
・ 富山はあまりにも遠く感じますが、心はキラキラした思い出と共に伊予路より瀬戸内の海を渡り、同じ学び舎で3年間共に過した皆様のもとへおうかがいいたします。(愛媛県松山市の女性)
・ 同窓会へのお誘い、ありがとうございました。体調がもうひとつなので出席できませんが、高2の時、席が林君の近くでした。あなたのお弁当が注目の的で、今でもトンカツ弁当をおいしそうに食べているあなたが思い出せます。いつもおいしそうでした。お元気で。
・ 両親を東京に呼び寄せてからは富山に帰ることはなくなりました。今は富山のニュースを何か聞くたびに、懐かしさに加えて寂しさが心の中でどんどん大きくなる日々です。
・ この案内をいただき、いつの間にか「若きあこがれに瞳はもえて・・・」(注:校歌の出だし)が出てきました。懐かしいですね。震災で床上浸水しましたが、元気にやっています。(宮城県多賀城市の男性)
 前日の9日には、県外からの参加者に「ありがとう」の電話をした。埼玉県上尾市、山梨県北杜市、横浜市、犬山市、名古屋市、奈良県生駒市、神戸市、東京都世田谷区、金沢市、つくば市、千葉県佐倉市、仙台市の方々で、繋がらなかった人には携帯電話にメッセージを送ったりもした。直接話ができた人は、ビックリしながらも喜んでくれたが、私にはほとんどの人の顔が思い出せなかった。
 そして同期会当日となった。5時からの開会であったが、世話人は4時に集合し受付に当たった。受付に次々にやってくる同期生は、誰が誰だかさっぱり分からない。同じクラスだった人さえ分からない。卒業してから47年、卒業以来初めて会ったという人が半数以上だった。
 10のテーブルのそれぞれで話に花が咲き盛り上がっていた。各テーブルを回ると、何人もの同期生から「世話してくれる人がいないとできないこと。林君ありがとう」の感謝の言葉をもらった。たまたま世話人代表と書かれていたからであるが、中には「林君の名前があったので出てきた」という人もいた。皆さんに喜ばれ感謝されて、同期会をやって本当によかったと思った。
 本人が亡くなったと書かれた2通の返信はがきがあった。病気療養中で欠席と記した人が、同期会当日の前に亡くなったとも知った。3人のご冥福を祈ると共に、同じ戦後の時代を過してきた同期生と、3年後の2015年、68歳の時に、卒業後50年の同期会で再び元気で会いたいものだ。