先月のコラム「新聞記事の切り抜き」の書き出しは、「私の机上のキーボードの後ろには、新聞のコラムの切り抜きが記事の種類ごとにクリップ止めしてあります。各新聞社の新聞の1面下段には毎日コラムが載っていますが、北日本新聞は『天地人』、富山新聞は『時鍾』、朝日新聞は『天声人語』そして日経新聞は『春秋』です。富山新聞には、中ほどのページに『きょうの言葉』というコラムも掲載されています」です。
今月は、このところ毎日のように切り抜いている「きょうの言葉」」について書きます。
パソコンの「新聞・雑誌記事:コラム、論評など」の中にあるフォルダー「きょうの言葉」にスキャンして保存してあるもっとも古いコラムは、2020年4月14日の「おだやかに議論して、一致点を見つけることを、第一の目的とすべき」です。この言葉はSF作家の豊田有恒さんのエッセイ集に収められている言葉で、「あるとき同業の作家から『編集者からあまりな仕打ちを受けているのですが、喧嘩すべきでしょうか』と相談をうけた。豊田はまず『仕事を失う覚悟があるなら喧嘩してもいい』と答える。それに続くのがきょうの言葉だ。実に大人の発言である。」と書き始められています。そして、当の豊田さんも「SFの鬼」と呼ばれた名編集者の福田正実さんと激しい論戦を展開した話が出てきて、「自分は作家生命を危険にさらしてまで喧嘩をしているのである。と続き、「きょうの言葉には、多分に自戒の念がこもっているわけだ。」とまとめています。
「きょうの言葉」を書いているのは翻訳家の矢口誠さんで、「私は翻訳の仕事をしているので、喧嘩をした豊田の気持ちはよくわかる。作家や翻訳家は家で孤独に仕事をしているため、同僚に愚痴を言って気持ちを紛らわすわけにもいかず、つい感情的になってしまうことがあるのだ。」と続けています。
私は5年ぶりにこのコラムを読み、会社でも家庭でも感情的にならずに、一致点を見つけることを意識して議論するようにしようと思いました。心に残ったからスキャンして残したのです。こうして読み返して自分の行動を改めようと思っただけでも、今月のコラムで「きょうの言葉」を取り上げてよかったと思います。
そして、スキャンしてある最も新しいコラムは、2025年9月2日の、スペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗した宇宙飛行士山崎直子の言葉「否定形はできるだけ使わない」です。これも自分自身、会社でも家庭でも心がけたいことです。
クリップ止めしてある切り抜きの一番下は2025年2月27日の漫画家で江戸風俗研究家の杉浦日向子さんの言葉「”粋”は『おれは粋だろう』と自己申告できません」で、「“粋”は、必ず過去形で『粋だった』というのが正しい使い方です」と書かれています。私がサラリーマン時代に習った小唄に、最後に「おや、粋だね」と歌う小唄がありましたが、“粋”は、必ず過去形で「粋だった」というのが正しい使い方であれば、私が習った小唄の歌詞は間違っていたということになります。
クリップ止めの一番上はこのコラムを書いている今日11月24日の、漫画家で絵本作家のおーなり由子の「<そういうもの>と思っていることのほとんどは、いつか誰かが決めただけ」で、彼女が通っていた中学は校則が厳しく制服一つをとっても「スカートは膝下に」「靴下は白」と決められていて、息苦しさを覚えるほどだったが、進学先の高校には制服がなく、私服姿の上級生たちを見て、その自然で自由な姿に驚いたという話でした。当社ではずいぶん前から私の発案で事務職の女性社員への制服支給をやめ、1年に1回、27,500円を支給し、好きな洋服を買って仕事をしてもらっています。今にして思えば「そういうもの」という世間の常識を疑っての規定変更だったのです。
こうして毎月コラムを書くことはかなり負担ですが、自分の言動を改めるきっかけになったり、過去の行動を思い出させてくれたりするので、私にとって有意義なことだと思いました。プラス思考ですね。