今月の18日(土)に、我が家の菩提寺である稲荷元町の光善寺で、平成18年(2006年)1月10日に亡くなった母 絹子の17回忌と、平成24年(2012年)5月24日に亡くなった父 俊郎(としお)の13回忌を行いました。
母が無くなり、母が入院していた婦中町の富山病院から雪が酷く降る中を遺体が自宅に戻り座敷に遺体を安置し、僧侶に読経してもらおうとして、我が家の菩提寺がどこだか知らないことに思い至りました。そこで従兄のTさん(元 当社の常務取締役)に電話し、Tさんの住む館出の傍にある光善寺であることを教えてもらいました。そこは、祖父の銀蔵の葬儀を行ったお寺であったことを後から思い出しました。
父は、私が44歳で社長になった時に80歳で会長になりましたが、70歳代から、当社の子会社「朝日ケア」が富山市北代で平成15年から運営する老人介護事業所あさひホームに行って、デイサービスを受けている母と一緒に食事をしていました。母が亡くなってからは会社に出ることもなくなり、朝晩の食事は渡り廊下で繋がっている離れから母屋の私の家に来てとり、昼は私の妻が作る食事をとったり、平成18年に開業した我が家の近くの、歩いて5分ほどのあさひホーム吉作のデイサービスでとったりしていました。しかし衰弱が進み歩くのもままならなくなったので、あさひホーム吉作のショートステイを利用するようになりました。そして平成24年の5月20日(土)、会社の4階で業務推進会議(現在の経営戦略会議)中に、妻から私の携帯電話に、父の腹痛が激しく救急車で済生会富山病院に搬送されているところだと連絡が入りました。私は会議を抜けて済生会富山病院に走りました。そしてその晩から、弟と交代で父の病室に夕方から朝まで泊まり込みましたが、私の当番だった5月23日(木)は血中酸素飽和度がどんどん下がりだし、翌24日の1時過ぎに息を引き取りました。
前置きが長くなりましたが、18日に光善寺で行った父母の13回忌と17回忌の法要の際に、法語唱和という半紙が配られ、出席した私と妻と長男、次女、次男がその文章(法語)を唱和しました。その冒頭に、「私の意志を超えた縁(えにし)によってこの世に私は生まれました。親に育てられ、兄弟の絆、夫婦という不思議な縁で結ばれた伴侶をもち、子を生み育て、職業にたずさわって喜怒哀楽の生活を続けてきた人の一生です。お互い一人ひとりの一生を思うと、ただ不思議なご縁に生かされてきた人生が愛しくさえ感じられます。」と書かれていました。
母の17回忌と父の13回忌の法要でこの文章に出会ったことをありがたく感じ、道ですれ違う人との「袖振り合うも他生の縁」の諺を大事にしながらも、もっと家族や親戚との縁を大切にして生きていきたいと思いました。
昨年11月4日に、ほとり座で「光をみつける」というドキュメンタリー映画を観ました。この映画は全盲のヴァイオリニスト穴澤雄介さん(1975年生まれ)の日常を描いたものです。この日は上映が終わってから、主人公の穴澤雄介さんのヴァイオリン演奏と舞台挨拶があり、今回のコラムの題名の彼の著書も販売されていたので1冊購入し、その本の見開きに、トレードマークのカーボーイハットのイラストと漢字で「穴澤雄介」とサインしてもらいました。
今回このコラムを書くにあたり本の目次を見ましたが、「そうそう、こういう話もあった、面白かったなあ」と思ったのが、第2章 ウサギとカメの競争にイモムシが勝つ7つの方法!!、でした。これは2016年ころからの講演の演題ですが、それまでにも2001年ころから中学・高校を中心に教育現場で「過去は変えられる、マイナスをプラスに」という演題で、生徒や保護者、教員向けに講演をしているうちに、だんだん自分自身が話している内容に疑問が出てきたとのことです。それは、特に学生たちには、もしかしたら「自分の過去を偉そうに話す人」と誤解されていないだろうか、「僕とは境遇の違う人の話だし」と最初から拒絶されていないだろうかということでした。自分のみを語っていたのでは駄目で、講演を聴く全ての方が、それぞれにその人と重ね合わせて想像し応用できる内容にしなければ駄目だ、そのためには物語の力を借りるしかないとの結論に達したとのことです。
そこで講演で考えてもらうのが、「ウサギとカメの競争にイモムシが勝つ7つの方法!!」でした。以前から講演では、自分をウサギとカメの競争でカメにすらなりきれていなかったと表現していたのですが、「じゃあ、私のような立場を例えるなら?」と考えたときに出てきた生き物がイモムシだったとのことです。イモムシが勝つ7つの方法とは、
です。一つひとつの方法を見ただけで、どんな内容なのか興味がわきますね。それぞれにエピソードや解説がしっかり書かれています。興味のある社員にはこの本をお貸ししますので申し出てください。
彼は2017年の秋に、何のつても演奏会の予定もなくひとりでフランスへ出かけ、フランスに入国と出国の日を除いた6日間の内の5日間、各地の演奏会に参加しストリートライブをしています。2018年にはフルマラソンを完走し、2022年には富山マラソンを完走しました。
2018年2月からは、ユーチューバーとして動画を毎日発信しています。40歳から水泳を習い始め、3年ほどで150mほど泳げるようになりました。東都大学野球の始球式ではノーバウンドで投げました。
映画のナレーションは、技のデパート、平成の牛若丸と呼ばれ、小結まで登りつめた舞の海秀平さんでしたが、並々ならぬ努力と創意工夫があったはずだと思ったから依頼したとのことで、映画の最後は穴澤さんと舞の海さんとの対談場面でした。
私が尊敬する中村天風師は「絶対積極」という言葉をいろんな講演会で話されていて、私も毎朝「絶対積極」と心の中で唱えていますが、穴澤雄介さんの生き方は「絶対積極」そのものだと思います。「絶対積極」には男女の区別も年齢も無関係、77歳の私ですが、これからは「絶対積極」をより強く意識して生きていこうと思います。
先月のコラム「ほとり座」を書いた後に観た映画は、2月は「夢みる給食」、「枯れ葉」、「ポトフ」、「ボブ・マリーラストライブ・イン・ジャマイカ」で、3月は「ラブ・ストリームス」、「フェイシズ」、「オープニング・ナイト」、「こわれゆく女」、「ブリング ミンヨー バック!」、「春原さんのうた」、「彼方のうた」、「私がやりました」、「サタデー・フィクション」、そして春分の日の昨日「ツィゴイネルワイゼン」でした。今週と来週の土日には、「モンタレー・ポップ」、「ストップ・メイキング・センス」、「きのう生まれたわけじゃない」、「不安は魂を食いつくす」、「にわのすなば」、「天使の影」を観ます。2月に12本、3月に16本観ることになります。
3月16日に、杉田脇士監督の、第32回マルセイユ国際映画祭グランプリを含む3冠を獲得したという上映時間2時間の「春原さんのうた」と、その後に上映された同じ監督の「彼方のうた」が終わってから、監督の舞台挨拶がありました。予定表に書いてあった「春原さんのうた」の概要には、「心にはもう会うことの叶わないパートナーの姿が残っている」と書いてあるのですが、正直なところ、どの場面からそんなことが分かるのかさっぱり分かりませんでした。そこで監督にそのことを質問したところ明確な回答はなく、「今後は、概要は書かないで、映画を観た人の判断に任せたい」とのことでした。
この点、今回のタイトルの「枯れ葉」は予告編を何度か観ていましたが、「春原さんのうた」と違ってストーリーがスッと心に入ってきて、観終わって「よかった、やはり映画はいいな」と思わされた作品でした。2月のコラム以降に観た映画の中では1時間21分と短めの作品でしたが、男女の出会いからラストシーンまでの展開が秀逸で、すっかり感情移入し、ハラハラしたり良かったなぁと思ったりと、短いながらもとても濃密な時間を過ごしました。後からネットで検索したら「フィンランドの名匠アキ・カウリスマキが5年ぶりにメガホンをとり、孤独を抱えながら生きる男女が、かけがえのないパートナーを見つけようとする姿を描いたラブストーリー」で、2023年・第76回カンヌ国際映画祭で審査員賞とありました。
フィンランドを舞台にした映画だと知り、1986年 にフィンランドのタンペレで開催された国際冬期道路会議に参加し、マイナス20度くらいの寒さで、歩道の雪を箒で掃いていたこと、英語が通じなかったこと、氷が張った大きな湖でスパイクタイヤを履いた車を走らせて性能をアピールしていたこと、原爆が投下された際に逃げ込む地下深くの洞窟に作られた避難所を見学したこと、宿泊したホテル近くの小さな毛糸屋で、眼鏡をかけた小柄なかわいらしい女性から、家族にきれいな糸の毛糸で編んだ帽子やマフラーを買い込んだことなどが思い出されました。
「枯れ葉」は、私がこれまで観た映画の中で、間違いなく5本の指に入ると思います。
昨日の祝日には鈴木清順監督生誕100年を記念してのツィゴイネルワイゼンを観ましたが、観終わってホールに出たところで、Mさんが息子さんと次の上映作品「私がやりました」を、会社で配った招待券を使って観に来たところに会いました。「なかなか面白いよ」と話しかけました。また、Iさんは吉高由里子主演の「風よあらしよ」と仲野太賀主演の「熱のあとに」を観ると話してくれました。
社員の皆さん、招待券を使って是非ほとり座に足を運んでください。