クロスケ14歳

2023.09.25

 今月の2日に、我が家の飼い犬のクロスケが14歳になりました。先週、精神安定剤をもらいにかかりつけの動物病院に行ったところ、受付の人がスマホで計算して「人間なら72歳です」と言われました。72歳なら前期高齢者ですからクロスケは老人(老犬)であり、後期高齢者である私の弟です。先日も朝の散歩のときに、3年ぶりほどでお会いした同じ町内の男性から「歳とりましたなぁ」と関西弁で言われ、一瞬私のことかと思いましたがクロスケのことでした。そう言われて改めてクロスケの顔を観察したら、鼻の横の髭がすべて白くなっていました。

   

 クロスケについては、2009年の9月と10月に「初孫誕生-その1-」、「-その2-」として、昨年の2022年7月に「クロスケのこと」のタイトルで書いていますから、孫から弟に昇格したことになります。

「クロスケのこと」では、以下のように書いていました。

   

 このクロスケ、小さいときはとても臆病で、我が家の近くの介護事業所「あさひホーム吉作」に連れていくと、テーブルの下に潜り込んだのはよいが、前からは出られなくお尻から後ずさりして出てきました。また、側溝を跳び越せず、グレーチングがかけてあってもダメでした。

   

 こんな臆病なクロスケでしたが、その後は何にでも好奇心や攻撃精神が旺盛になり、何を見つけたのかなと思うと、クロスケの目線の先の梨畑には雉や狸がいて、100メートルほど先の丘に狐がいたこともありました。また、リードを引っ張ってもなかなかついてこないときは、必ず遠くに犬を連れている人がいます。犬は「鼻で考える動物」といわれ人間の3,000倍から1万倍の嗅覚力を持つと言われますが、嗅覚なのでしょうね。(中略)(母親のハナと)同じ年齢(12歳)になったクロスケは、毎日散歩と食事以外はひたすら寝ているだけですが、今のところは腎臓が少し悪いのと、散歩中に時々右の後ろ脚が震える程度で元気です。

   

 

 2週間ほど前までは、朝の4時半になると玄関で「キューン、キューン」、「ワォン、ワォン」と吠えるので、玄関横の寝室で寝ている私はたまらずに様子を見に行き叱ったり(効果はありませんが)、下駄箱の上のオルゴールを鳴らしたりしました。これは今年になってからのことです。

映画で見た天然記念物の柴犬たちとは違いますが、クロスケは我が家の大切な一員です。私が喜寿になるまで後2年、願わくは傘寿になるまで後5年は毎朝一緒に散歩をしたいものです。

   

 このコラムから2年と2カ月経ちましたが、前と違うのは、側溝を跳び越せグレーチングも平気になったことと、「朝の4時半になると玄関で『キューン、キューン』、『ワォン、ワォン』と吠える」が、この1年ほどは「朝の5時45分から58分になると玄関で『ワン、ワン』と吠える」になったことくらいで、「毎日散歩と食事以外はひたすら寝ているだけ」は変わらず、23時間は玄関の中か前でうつ伏せになったり横になったりの格好で、ひたすら幸せそうに寝ています。「寝る子は育つ」と言いますが「寝る犬は長生きする」のでしょうね。

   

 私はスマホの目覚ましを朝6時に設定していますが、6時前に吠えると玄関に行って引き戸を開け、おやつのささ身を一切れあげて鳴き止ませますので、目覚まし代わりにもなっています。

   

 毎朝のクロスケとの散歩が唯一の運動と言える私ですので、私の健康のためにも長生きしてほしいと思い、ネットで見つけた、20歳まで長生きするという結構高価な白い粉末の薬を買って飲ませたこともありましたが、餌にこの粉末をかけると餌をすべて食べなくなるので、腹を空かせて衰弱させたら本末転倒だと考えこの粉末は止めにして、おやつのささ身やビーフ、砂肝などを以前より多めに与えています。クロスケが20歳の時に私は80歳の傘寿を超えて82歳。お互いに元気でいたいと願っています。

天体観測会

2023.08.25

 8月12日(土)の午後9時から13日(日)の午前3時ころまで、八尾町桐谷にある当社の保養所アサヒ・ツイン・ドームズで天体観測会が行われました。社員の皆さんでこの保養所に出かけたことのある方は少ないのではないかと思いますので、天体観測会の様子を書く前に、この保養所の建設の経緯を記します。

   

 当社は1940年(昭和15年)10月に、初代社長林銀蔵(私の母方の祖父)が高岡市において土木・建築請負業巴組を創業しました。戦後の1946年(昭和21年)10月に富山市館出において株式会社朝日組を設立し、1948年(昭和23年)4月に朝日建設株式会社に改称しました。今でも大林組、清水建設、鹿島建設、熊谷組、佐藤工業など、創業者の姓を付けた会社が多くあるのに、設立時から社名に林ではなく朝日という名前を付けたことに、祖父の先進的な気質を感じています。

   

 1940年創業ですので1990年(平成2年)が創業50周年に当たるということで、記念事業を行おうと考えました。1つは50周年記念誌の発刊、2つ目は、八尾町の総務課長さんに紹介され購入した八尾町桐谷の800坪の土地に社員のための保養所を作ることで、過疎化対策にもなるものです。

   

 当時、ログハウスが流行っていましたが、男性向け雑誌「ターザン」に思想家、発明家、建築家でもあるバックミンスター・フラー博士によって発明されたフラー・ドーム・ハウスが紹介されていました。このハウスの特徴は、2種類の形の異なる三角形を用い、それを相互に組み合わせることで、最小の部材から最大の空間容積を生むことができる構造物です。これにしようと即決し、このドーム・ハウスを設計できる設計事務所が金沢にあることを突き止め、設計を依頼しました。

   

 このドーム・ハウスの事例は1棟単独で建てられた事例ばかりでしたが、私はこれを2つ繋いで片方を研修棟に、もう片方を宿泊棟にすることを思いつき、名前も「アサヒ・ツイン・ドームズ」と決めました。

   

 設計ができていざ確認申請を取るという段階で、柱がない建物では許可できないと言われ、やむなく張りぼての柱を研修棟の真ん中に立て、許可をとった後に壊しました。こうして、1991年(平成3年)のゴールデンウイーク前にドーム・ハウスが完成し、最初の利用者は私の家族で、その夏には会社のビアパーティーを行いました。2000年にはミレニアムコンサートin桐谷と銘打ってジャズコンサートを行ったり、中南米出身者4人で作るアンデス音楽グループWAYNO(ウエイノ)が、ドームの音響が良いということでCDを制作したりもしました。

   

 しかし、台風で窓が破れたり、冬に水道管が破裂したり、雨漏りがし出したりし始め、経費もかかることから取り壊そうかと考えていた時、ドームを拠点にして、ドームのすぐ下の耕作放棄田で一から土壌を復元して無農薬の米作りをしているNPO法人アイ・フィール・ファインの中心メンバーの長谷川由美さんから、集客や維持管理、軽微な修理などをNPO法人で行うので存続してほしいと要請がありました。当社の総務部で行っていた利用者からの集金作業や維持の手間も省けるので、この要請を受けることにしました。

   

 さて、昨年3月に長谷川さんの紹介で、富山市内の小学校で数学の教員をしていた岡本さんが当社を訪ねて来られ、天体観測が趣味なのだが、空気が澄み、夜には集落の明かりが消えて夜空の観測には打ってつけのドームの敷地内に、直径2メートルほどの小型の天文台を設置したいという申し出をされました。私は、ドームを使ってもらうことで、ドーム内の空気の換気や掃除もできると思い承諾しました。

   

 岡本さんは、多くの方に天体観測を知ってもらいたいとの思いから、今年4月に観測会を計画されました。しかし天気が悪い予想だったので中止され、改めて8月12日の午後7時から観測会を行うとの案内を頂きました。おそらく10年以上出かけていなかったドームで帰り道が怖いので泊まりで参加することにしました。

   

 参加したのは、長谷川さんの知人の高山から来られたご夫婦と小学生の男女のお子さん2人、富山大学医学部のお医者さん、岡本さんと岡本さんの娘さんとその友達、そして長谷川さんと私の全部で10人です。

   

 小型天文台のそばに設置された天体望遠鏡は、直接覗いても岡本さんが説明する星座はなかなか見つけられませんが、この望遠鏡は自動的に目的の星を探してカメラに画像を送り、それをiPadで見ることができます。また、岡本さん持参のそれほど大きくない倍率の双眼鏡でも、はっきり見ることができました。

   

 この後は、研修棟でそれぞれ夕食をとり、日が変わって午前2時から流れ星を観測しました。私は自宅から持ち込んだサントリーの角瓶を楽しみながら、研修棟についているデッキで夜空を眺めていました。岡本さんが言う通り、2時頃から流れ星が見え始め、小学生の子供たちは「見えた!」と歓声をあげますが、私は見上げる方向が違っていて、なかなか見られませんでした。しかし、3時頃に夜空の真ん中を左上から右下に明るく輝いて流れる大きな流星を見ることができました。これまでに見た流れ星で一番美しく、大満足で研修棟にあるゲストルームに引き上げ、幸せな眠りにつきました。

   

 解散後、岡本さんは、「アサヒ・ツイン・ドームズ星空観望会」というLINEのグループを作られました。今のところ参加者は5人です。私から、夜空に思いを馳せそうなロマンチストの社員に、このLINEへの招待状が届くかもしれませんが、その時は参加をよろしくお願いします。一緒に夜空の星を見上げましょう♪

立野ダム

2023.07.25

 6月29日から九州地方を中心に大雨になりましたが、このニュースを聞いて直ぐに思ったのが6月2日から第1班、3日から第2班に分かれて総勢49人で出かけた熊本・大分への社員旅行で訪れた立野ダムのことでした。

   

 当社の社員旅行は、以前は観光地に出かけ宴会をするだけでしたが、2013年に東日本大震災の被災地を訪れ建物や土木構築物の破壊状況を見てからは、社員旅行の目的を観光だけではなく、それにプラスして土木構築物を見たり文化に触れたりすることにしました。旅行会社は私が所属する富山みらいロータリークラブの友人が経営するエヌトラベルですが、彼の企画で2019年には高さ18m、重量500tの巨大な59本が天井を支える光景が神殿のように見えるので地下神殿と呼ばれる首都圏外郭放水路を見学し、その後は浅草で芸者さんをあげて宴会をしました。

   

 今年の社員旅行の熊本・大分の企画書に、2016年4月に発生した大地震で被害を受けた熊本城の見学と熊本県南阿蘇村にある立野ダムが書かれていました。立野ダムは聞いたことのないダムでしたが、パンフレットの工程予定表には「立野ダム工事現場視察」今しか見られない工事現場・普段は水を貯めない“洪水調整ダム”と記されていました。

   

 私は1班で出発し2班で帰ったので立野ダムは2度見学し、ボランティアガイドさんからの国交省立野ダム工事事務所や現地での説明でダムの目的と構造はよく理解できましたが、実際に洪水が起きた時のことは想像できませんでした。そこに、冒頭に記した6月末の大雨です。早速、「熊本、立野ダム、大雨」と入力したところ、熊本の国営立野ダム、初の洪水調節 熊本の国営立野ダム、初の洪水調節 白川の流量カット、国交省「機能発揮した」のタイトルの2023年7月1日 の熊本日日新聞の以下の記事が見つかりました。

   

(以下、記事全文)

   

 国土交通省は6月30日までに降った大雨で、白川上流の国営立野ダム(熊本県南阿蘇村、大津町)が初めて白川の流量をカットし、洪水調節をしたと明らかにした。4月に本体のコンクリート打設が完了し、洪水を調節できる状態になっていた。

    

 立野ダムは、熊本市街地などの洪水防止を目的にした治水専用の流水型ダム。本体に約5メートル四方の穴が三つあり、普段は貯水せず、大雨時は穴を流れきれない水が自然にたまる仕組み。

   

 国交省立野ダム工事事務所によると、ダム上流域の28日午前4時から30日午後7時までの総雨量は276ミリ。30日午後5時40分から同7時まではダムへの流入量が穴からの放流量を上回った。

   

 30日午後6時半の時点では、流入量が毎秒861トンだったのに対し、放流量は同828トンで33トンをカットした計算となる。ピーク時には、ダムの水位が平常時から約22メートル上昇して52万6千トンを貯水。総貯水量(1010万トン)の約5・2%だった。

   

 同事務所は「ダムが洪水調節機能を発揮したと考えている」としている。(東誉晃)

   

(ここまで)

   

 そして、平常時と洪水時の写真が載せられていたが、旅行で見た「平常時」が、今回の大雨でこのような「洪水時」に変わったことに、このダムの目的が達せられたことと土木の重要性を改めて感じました。皆さんはいかがですか。

   

蛇足:話がとても面白かった1班のバスガイドさんの、立野ダムに関する話

「立野の地名は阿蘇山に住む神様がふもとに降りてきたときに転んで立てなかったので、この地が、立てんのう⇒立野 と名付けられた」

「立野ダムの総工費は1,270億円。1,270円ではない。奥(億)が深い」