富山新聞の文化面に「潮間帯」というコラムが毎週1回掲載されます。6月29日の「潮間帯」は「折り返し点」というテーマでした。
私のパソコンに置いている「潮間帯」のフォルダーには、2020年4月2日の「飾り気のない卒業式」から8月17日の「永遠の未完成」まで43回分入っていました。今月のコラムを書くにあたり「飾り気のない卒業式」を読み返してみたら、日本で新型コロナウイルスの感染が始まった年の「声掛け」や合唱の無い卒業式の光景に、「卒業式とは本来、人生の節目に自分自身のこれまでとこれからとを見つめなおす儀式だ。その時間さえきちんと持てれば、それは最高の卒業式だったと胸を張ってよいのではないだろうか。」と書かれていました。なかなか良いコラムだと思い文末の筆名(ペンネーム)を見たら、「さし-」と書いてありました。
「折り返し点」の筆名は「綾の鼓」という優雅な筆名でした。他にどのような筆名があるかとチェックしてみたら、何とも愉快な筆名もありました。
「知縁児(チェンジ?)」、「蠕動」、「紫雲英」、「手風琴」、「鈴の緒」、「冬扇坊(通せん坊?)」、「名無師(名無し?)」、「大野郷」です。
8月17日の「永遠の未完成」は「冬扇坊」さんです。スペイン、バルセロナのサクラダ・ファミリア教会の主塔の完成の記事から、「凡ての芸術家は永遠を目指すと言えば、言い過ぎかもしれないが、無意識のうちに神の領分に手を掛けようとしているのではないか。」と記し、続けて、「このような芸術の持つ根源的な矛盾や宿命に断案を下したのが宮沢賢治である。『永久の未完成これ完成である』と『農民芸術概論綱要』で述べている。」、と私が最も尊敬する作家宮沢賢治の言葉を引用しています。
さて「折り返し点」です。
「今日は6月29日、1年をふたつに折ると、ちょうど折り目のあたりの日である。サッカーやラグビーといったスポーツでは、ハーフタイムの休憩が入る時間である。」(中略)「マラソンではロードコーンが置かれた折り返し点があって、選手たちがそこを通過する様子が中継されたりしているが、決してそこが真ん中という意味ではないらしい。しかしいずれの場合も、折り返し点はそこで気持ちを入れ替え、新しくするものである。心の向きを、変える場所なのである。」
「ところで私たちは、時の流れの中を漂う旅人なのだから、この世のことを終わりから眺めることはできない。だから人生の折り返し点がどこなのかは、遠く過ぎ去ってみて、はじめて知ることができることである。(中略)人生の折り返し点は、暦ではなく、おのれ自身が決めることなのだ。そしてその決定に従って、心の向きを変えるのだろう。」
「1年の折り返し点に立って振り返ってみると、これまでに経験した小さな折り返し点を思い出す。(中略)そんな瞬間は、誰の人生にもそっと訪れる。心が揺れたそのときこそ、折り返し点なのだ。向きを変えるか、そのまま進むかを決めるのは、暦ではなく自分自身である。私たちはそれぞれの心のなかに、折り返し点を作りながら生きているのかもしれない。」
私は来年1月に80歳、傘寿を迎えます。引用がずいぶん多くなったのは、自分もこれまでに一体いくつの折り返し点を経てきたのかと思いながら読んだからです。入学、卒業、初恋、昭和45年の就職、昭和50年の当社への入社、数々のお見合い、31歳での結婚、親になったこと、両親や弟の死、専務を経て社長になった44歳、57歳の時に、山口組がバックの中国人窃盗団に会社の金庫を破られ6678万円の手形を盗まれたものの、羽田空港で私と犯人とが手形と現金を交換した後、犯人の2人を現行犯逮捕し、これは全国の警察で富山警察署が初めての逮捕だったことなど、その後に向きを変えたり、そのまま進んだりした大きな折り返し点は直ぐに思い出せます。しかし、今回紹介したコラムに書かれているような小さな折り返し点は毎日あるのだけれども意識していなかったのだと気づかされました。もっとも、これも折り返し点、あれも折り返し点などと思っていたらノイローゼになってしまうでしょう。寝る時に、今日の一日を振り返る、そしていろんなことを思い出す、その思い出したことが折り返し点なのでしょう。
只今午後6時20分。総務部のドアの鍵を閉めて帰りましょう。これも、仕事から家庭への折り返し点ですね。