くれは「梨の里」マルシェ

2010.09.01

当社が構成員の一員である「呉羽梨生産地域活性化協議会」が主催する呉羽梨直販実験イベント“くれは「梨の里」マルシェ”が、今月11日から26日までの土日の6日間開催中である。
 国が平成20年度2次補正予算で創設した「建設業と地域の元気回復助成事業」で、第1次募集において全国240の応募事業の中から昨年6月に104事業に助成金交付が決定したが、このイベントはその内のひとつである“梨生産農家との連携による「呉羽梨」再生ビジネス事業”での取組みだ。
「建設業と地域の元気回復助成事業」は「建設業者が保有する人材、機械、ノウハウなどを活用し、農業、林業、福祉、環境、観光などの異業種と連携しながら、地域の創意工夫を活かした事業を実施するための環境整備に対して支援するもの」であり、富山県では当初11事業の応募が検討されたが、最終的には5事業だけが選定された。
 また、この助成事業補助対象者は、建設関係団体(建設業協会など)、建設会社(3社以上)、県または市町村、異業種団体などで構成された協議会である。
当社がこの助成事業に応募したきっかけは、2年前の平成20年の夏にさかのぼる。
 私は富山に戻った昭和50年から呉羽梨の産地である富山市吉作に住んでいて、毎年、春先の白い花を咲かせた梨畑の美しい景色に始まり、交配、農薬散布や摘果、そして収穫の様子をその時々に目にしてはきた。しかし、平成19年の秋から飼いだした愛犬のハナと毎朝散歩を始めたことで、翌年の平成20年は、交配後に花が散ってから現れた小指の先よりも小さな実が日に日に大きくなり、お盆の頃には色づいた幸水が収穫される様子を、毎朝散歩しながら見るようになった。梨の成長の様子を眺めながらの楽しい散歩だが、耕作放棄され切り株だけが残された梨畑があちこちにあるのを目にして、なぜだろうかと気にもなっていた。そして収穫時期のある日の休日、いつもより遠くまで出かけたら梨をもいでいるおじさんに出会い、耕作放棄地が増えているわけを尋ねた。返ってきた答は「梨農家に後継者がいないことと梨の価格が低迷していること」だった。梨の価格が低迷しているために、梨農家の後を継ごうという息子がいないと言うことだ。
 そこに今年になってこの助成事業を知り、何とかして梨畑を元に戻したいという思いを実現できる絶好の機会だと直感した。そこで懇意にしている梨農家の方、そして根建工業と野村土建の社長さんに声をかけ、協議会設立の賛同を得た。さらにラッキーなことに、昨年4月に途中入社したMさんに、この“梨生産農家との連携による「呉羽梨」再生ビジネス事業”の事業名での申請に始まり、その後の打合せや視察の段取りなどの実務の一切を任せたが、実にシッカリやってもらっている。
 この事業が選定されてからこれまでに実施してきたのは、先進地視察(新選果機の導入効果、省力化技術「樹体ジョイント」、こだわり梨の流通 の3箇所)、生産農家へのアンケート(結果は、主に梨を生産している人の年齢は60歳以上が66%、65歳以上で後継者がいない人が60%など)、改植梨畑の抜根作業の労力軽減化実験(当社のTさんのアイデアによる大型バックホーを使用した実験、根の粉砕機を使用した実験)、?アイバックの小沢社長が講師の研修会「今後の梨農業の方向について」の開催であった。

【梨の抜根実験】
これまでは、農家が小型ショベルで老木を掘り起こしていたが、今回の事業では、老木にワイヤーを巻きつけ、大型重機を使って引き抜いた。
【引き抜かれた後の根】
この方法だと、コストは3分の1に削減できる
【梨の樹体ジョイント】

写真左:梨の幹が直角にまがり、地面と水平になっています
【梨の樹体ジョイント】
【梨の樹体ジョイント】
【梨の根粉砕機】
刃が回転し根を粉砕する

そして今回、新たな消費者の発掘、消費者ニーズの把握、新しい品質ブランド「エクセレント」の試験販売を目的に、“くれは「梨の里」マルシェ”を開催した。開催に際しては、「市場」を意味するフランス語のマルシェを用いた“くれは「梨の里」マルシェ”というしゃれた名前の考案、「エクセレント」の命名、2パターンのなかなか素敵なポスターのデザイン、チラシの内容とデザイン、広告塔の発案と形状や記載する内容などなど、ここでもMさんは能力を遺憾なく発揮した。
 私はこれまでの開催日の4日間とも、終日あるいは半日参加した。来場者数は、初日は864人だったが、その日の民放各社のテレビニュースと翌朝の各新聞での紹介効果が絶大で、翌日12日の日曜日は何と2256人、11時からの詰め放題のビニール袋を買うために10時の開会30分前からレジには長い列が出来た。18、19日は700から800人くらいだったが、エクセレントの売上が初日は梨の売上全体の25%、2日目は40%と上々であり、イベントは成功したと思う。
私はこの事業での重要実施事項として、当協議会で耕作放棄地を借り上げて、実際に梨の若木を植え、自動化した農薬散布や抜根などの実験や省力化技術「樹体ジョイント」を試行することを考えていたが、梨の実が収穫できるまでには7〜8年かかること、地主さんの関係で適当な耕作放棄地を借りられなかったこと、梨生産農家に我々建設業者の梨生産を指導する余裕が無いことなどの理由で断念せざるを得なくなった。
 今のところ、建設業者にとってはこの事業の直接的成果はほとんど感じられないが、チャレンジしたことで梨生産農家の課題や問題点を勉強できた。来年2月に助成期間が終了しても、呉羽地域だけではなく富山市の財産である梨畑の景観を守る視点から、さらには国土、農地の保全の観点から何らかの形でこの事業に関わっていきたいと思っている。

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なしのつめ放題の袋を買うために、長蛇の列ができた
つめ放題スタート!

 

創業70周年を迎えるにあたって

2010.08.01

1940年(昭和15年)10月、当社の前身の巴組が高岡で誕生した。それから69年の歳月を経て来る10月に当社は創業70周年を迎える。
 2000年(平成12年)10月のこのコラムのタイトルは「創業60周年」であった。このコラムでは、「”古くて古い”企業は衰退し、”新しくて新しい”企業は脆(もろ)い。
“古くて新しい”企業が強い。先人の跡を求めず、求めたるところを求めよ」の言葉から始め、私が当社に入社した1975年(昭和50年)からその後の25年間での当社の変わりように言及している。そして「世の中は急激に変わる、世の中が建設産業に求めるものも大きく変わる。その中で「どうしたら世の中の役に
立てるだろうか」と常に考え行動する企業、考え行動する社員が強いのである。社員を資源としてとらえて、意欲と向上心にあふれ成長し続ける社員を育て、そんな社員によって進化し続ける常に新しい企業でありたいと60周年の今月改めて思う。2010年、創業70周年の年には今とは全く違った朝日建設になっていることだろう。」と結んでいる。
 改めて読み返し、21世紀に入った2001年(平成13年)からこれまでの10年間における建設業を取りまく経営環境の激変を思った。
 2002年(平成14年)から2007年(平成19年)まではいざなみ景気と呼ばれた長期間の好景気だったが、「聖域なき構造改革」を掲げた小泉政権下、2002年度(平成14年度)に前年度比マイナス10%の大幅な削減から始まった公共事業予算の削減が、その後も毎年度3%削減され続け、建設産業にとっては世間の好景気とは無縁の苦難の時期であった。さらにこの工事量の減少に加えて一般競争入札が拡大されたことで、競争が激化してダンピング受注が頻発し、多くの建設業者が倒産、廃業に追い込まれる状況に至った。
 このことは、当社の売上高と利益の推移にも表れている。2000年に売上高35億300万円とピークを記録したが、2001年には27億1千万円、2002年が26億7,800万円、2003年が21億7,700万円、2004年が20億3,600万円と減り続け、2005年には20億円を割り込み17億7,700万円(赤字)となった。2006年は24億1,800万円と20億円台に回復したものの、2007年に再び20億円を割り込み15億7千万円(赤字)、2008年が20億7,100万円、2009年が22億1,100万円で傾向としては右肩下がり、かつ、2度の赤字決算であった。
 この間、2001年に、前田道路との共同企業体アスファルトプラント「とやまエコン」(1993年設立)に世紀東急工業と鹿島道路が加わって「ほくりくエコン」となりシェアを拡大した。
 2002年4月には、富山と八尾の両オフィスに民間営業担当者を選任し、元請受注が減少する中で下請受注による売上高確保に寄与してきた。
またこの年の6月に(有)朝日ケアを設立して北代の呉羽工務所跡地に老人介護施設「あさひホーム」を建設し翌2003年4月からデイサービスやグループホームなどの介護事業を始めた。
 さらに2002年の7月には、携帯電話からアスファルト合材を発注するシステム「レモネット」を構築し、10月に情報化促進貢献企業として国土交通大臣表彰を受賞している。
 2004年には工事原価管理のレベルアップを目的にCZ(クッション ゼロ)式原価管理手法を導入した。そして2006年にはCZ式原価管理をより効果的に実施するため、HALシステム設計のパッケージソフトHAKRAを導入し、これに合わせて財務管理、給与管理もHAKRAに切り替えた。
 2006年4月からは、定期昇給もベースアップも無く、人事考課による格付けだけに基づいて賃金が変動する新しい賃金体系に切り替えた。またこの年の7月には、既存の病院建物を当社が元請として改築した老人介護事業所「あさひホーム吉作」が開業した。
 そして2008年には工程管理手法のCCPM(クリティカル チェーン プロジェクト マネジメント)のソフトを購入し、主要工事で実施している。
2008年6月には本格的に住宅改修工事に参入するために、電気部をユニバーサルデザイン室に組織替えした。そして今年7月に定款変更し、来月9月1日からユニバーサルデザイン室で新たに福祉用具貸与事業を開始する。
2009年には、我が社が提案した「梨生産農家との連携による“呉羽梨”再生ビジネス事業」が国土交通省の「建設業と地域の元気回復事業」の認定を受け、現在も鋭意取り組み中である。
 こうして10年間を振り返ると、「2010年、創業70周年の年には今とは全く違った朝日建設になっていることだろう」という60周年の時の思いほどには劇的には変わっていないが、毎年のように新しい物にチャレンジしてきたことは見て取れる。
昨年の自民党から民主党への政権交代により、「コンクリートから人へ」の方針の下、今年度の公共事業費は前年の18.3%減というかつて経験したことの無い削減幅となり、建設業に携わる関係者を震撼させ、またその心を深く傷つけた。しかし私は創業70周年を迎えるにあたり、これからも経営理念である『世の中の役に立つこと』と『人は経費ではなく資源』を一途に追求し、「進化し続ける常に新しい企業」として、今後の厳しい時代を勝ち残らなければならないと決意を新たにしている。

「いのちの授業」

2010.07.04

聖路加国際病院理事長の日野原重明先生が2000年に「新老人の会」を組織され会長を務めておられるが、その富山支部の世話人代表(責任者)を作年から私が務めている。
 日野原先生は全国の小学校で聴診器を使って「いのちの授業」をされているが、その「いのちの授業」が7月14日に七尾市立小丸山小学校で行なわれることを石川支部の会報で知り、今後の富山支部の活動の参考にしたいと授業参観に出かけた。
 授業は6年生の児童を対象に行なわれた。音楽教室の前方で女の先生が弾くピアノ伴奏に合わせて校歌を歌う児童の間を、日野原先生(以下、先生)は両手で大きく指揮をしながら入ってこられた(写真1)
 最初に先生が児童に「私は何歳だと思いますか」と質問すると、事前に聞いていたらしく「98歳」と答えが返る。先生は明治44年生まれで今年99歳になると言って、男児にホワイトボードにその年号を書かせたら「明じ44年」。この男児に、明治44年は西暦何年かと尋ねて書かせると1945年と書く。今年は2010年だから引いたらいくつになるかとの問いかけに、その男児は答えを書けない。これを見て先生は、世界ではモンゴルでもインドでも、小学生が2桁同士の13×13や15×15などの掛け算を暗算で出来ると話し、「モンゴルをかける人?」と問いかける。勢いよく手を挙げた男児がかいたのは「モンゴル」のカタカナで地図ではない。これには、皆笑ってしまった。先生は、日本の地図を描き、ロシア、中国、そしてゴビ砂漠まで描き込む(写真2)
 その次に先生は、将来大きくなったら何になりたいかと問いかけ、サッカー選手や野球選手と答えた男児を相手に、サッカーではシュートさせて1度目は先生が受け、2度目は先生がはずして「これはスペインの勝ちだな」と笑わせ、野球(写真3)ではイチローの真似をさせ、「そうじゃないだろう」とご自身でユニフォームの袖をつまみ上げる仕草や打撃フォームを上手に真似される。ピアノを習っている女児にピアノを弾かせてから(写真4)、今度はホワイトボードの左端から右端に1本の線を引き、左端を0歳、右端を100歳として右端のちょっと左に98と書いた後、児童に年齢を尋ねると12歳と11歳という答。答えた女児たちに、線の上に12歳と11歳と思うところに印をつけさせてから、傍らの紙で0から12までの長さを合わせ(写真5)、それを24、36、48と移動させたら3回で100に届いてしまう。11でも同じこと。その上で先生は、両手を広げて左手で0右手で100を押さえ、おでこがついたところが50、そしてまた両手とおでこで0と50の半分が25と示してから、11や12の位置に印をされ、「君たちはここにいるよ」と話された。
 ここから生きているということに話題が転換する。りんご(写真6)、ピーマン、レモンなどの模型を使って心臓の位置や大きさを説明してから、教室の前に出てきた数人の児童たちに聴診器(写真7)を左の胸に当てさせて自分の心臓の音を聞かせる。その数を数えさせてから、人間や象、そしてネズミなどの心臓の鼓動数の違いを説明される。そして、「心臓が動いているから生きているのでありいのちを持っているのだけれど、そのいのちは風や空気中の酸素と同じように目には見えない。でも君たちは朝起きて、食事をして歯を磨き、学校に来て勉強したり遊んだりしているのは時間を使っているということであり、時間を持っているということ。いのちとは時間。子どもの時は、時間を自分のために使うけれど、大人になったら自分のことにだけでなく、他人のことにも使うようになる」と話された。
 締めくくりは「シャボン玉」の歌。シャボンが石鹸だということを子ども達は誰も知らなかったけれど、この歌の歌詞は野口雨情(写真8)が自分の赤ちゃんが生まれて間もなく死んでしまったことを悲しんで作詞したということを話され、女児のピアノ伴奏で先生が指揮して、生徒も参観していた父兄も音楽教室の皆が一緒に「シャボン玉」を歌った。
 あっと言う間の45分間の授業だったが、内容は実に深く重かった。先生のお話は、私が富山経済同友会の課外授業で中学生に、そして我が社の社員に「働くとは、端・楽であり、周りを楽にすること。だから、自分のために働くのではなく、他人のために働くのです」と繰り返し言っていることと相通じるところがあると思った。
 しかし、98歳の日野原先生の「いのちは時間であり、長生きできればそれだけ誰かのために多く時間が使える」というメッセージは、先生より35歳も若い私が言う話とは聞き手に与える力が全く違うと思った。そして、私もこれからの時間をもっとしっかり使わなければいけないとも思った。

 

(写真1) 大きく指揮をしながら、日野原先生ご入場
(写真2)日本地図、ロシア、中国、ゴビ砂漠まで
(写真3)児童と野球のイチローの真似
(写真4)ピアノの演奏を女児にしてもらう
(写真5)0から12までの長さをもとに
(写真6)リンゴの模型で説明
(写真7)聴診器をあてて心音確認
(写真8)野口雨情しゃぼんだまの歌
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