本社4階営業部の7人が、3階の総務部と同じフロアに移った。これもリストラの一環である。リストラと言っても、営業部の7人、総務部の3人の合わせて10人の社員数を何人か減らした訳ではない。リストラは英語の Restructuring の略語で、本来の意味は「再構築」であるから、いささか大げさだが、仕事の効率を上げるために、本社社屋の3階と4階のフロアの使い方を「再構築」したのである。
本社の4回線の電話は最後の数字の番号によって、代表電話番号の441-3201は3階の総務部の女性社員、それ以外の番号は4階の営業部と2階のユニバーサルデザイン室(UD室)の女性社員の電話機が鳴るように設定されている。ただし、総務部の女性の電話機だけはすべての番号が鳴るようになっている。
これまでは、2階のUD室や、4階の営業部に用事がある人が代表電話番号に電話すると、電話を取った総務部の女性社員はその電話を一旦保留し、目的のフロアの相手を呼び出し、電話をかけてきた人の名前を告げて転送していた。転送先の社員が不在の場合は、電話を取った社員がその旨をかけて来た人に伝えるか、不在だと言って総務部に戻していた。皆さんも、電話をかけたものの、「しばらくお持ちください」と言われ、長らく待たされた挙句、「ただいま外出中です」と言われた経験があると思う。これでは、電話をかけてきた人にとっても、電話を転送したもののその電話がまた戻ってきて対応する総務部の社員にとっても時間の無駄だ。
ワンフロアになれば、一目で部屋にいるかいないか、外出なのかどうかが分かり、電話をかけてきた人にとっても、電話を受けた社員にとっても時間を有効に使うことが出来る。また、フロアが分かれていると、書類を届けたり、頼みごとや質問をするにも、階段を上り下りしなければいけない。これだって時間の無駄と言える。
ということで、経営が非常に厳しくなっていることに鑑み、仕事の効率を上げるためのひとつの方策として4階から3階への引越しを決め、お盆前から準備を始めた。この引越しの一番の課題が、総務部のフロアにある私の2つの机、そして、私の椅子の後ろの本棚にぎっしり詰まった書類と、机の上や周りにうずたかく積み上げられている書類だった。3年前に電気部をUD室に組織変更し私がUD本部長になってから、私は常に2階のUD室フロアで仕事をし、3階の私の机の上は私が2階から運ぶ書類で一杯の状態になっていたので、今回の移動は私の書類廃棄の手段でもあった。
お盆明けの17日に移動することになり、13日から4日間のお盆休み中、私は午後4時間から8時間、エアコンもつけず、上半身下着姿で片付けに励んだ。何しろ、私が昭和50年に入社してから36年間の書類である。各種加盟団体や委員として出席した審議会などでの資料、参加した講演会やセミナーの資料、社内会議資料や賃金関係の資料、社員の作文、個人の生命保険証書や古い銀行通帳、さらに新聞の切抜き、名刺、写真、フロッピーディスク、文房具、各種バッヂ、ネームプレートなどなど雑多である。思い切って捨てれば2日間くらいで終わると思っていたが、残す資料を区別するのに時間を取られ、手を止めて懐かしい写真や名刺を眺める時間も多かった。写真を見れば、髪の毛が黒いし若かったなあと思い、名刺を見れば、こんな女性に会ったかなと思った。
いろいろ貴重な資料に出会ったが、あるセミナーに出席した時のメモに、私の汚い字で、「時は金なり、というが、時は命なり、である。」と書かれていた。お金は失っても取り戻せるが、命は失ったら取り戻せない。だから、時は、お金以上に大切にしなければいけない、というものだった。
これを見て思ったのが、「新老人の会」会長の日野原重明先生が、小学生への「いのちの授業」で話される、「命とは時間」だった。「時は命なり」を反対にしたのが「命は時なり」だと一瞬思ったが、何度か思い返しているうちに、そんなに単純なものではないと思えてきた。
日野原先生は、「命は風や空気中の酸素のように目には見えないけれど、朝起きて、食事をして歯を磨き、学校に来て勉強したり遊んだりしているのは、時間を使っているということであり、時間を持っているということ。だから、命とは時間」と話される。命は時間を使うことなのだから、その時間を誰のためにどのように使うのかが大切なのだとおっしゃっている。単に、失ったら取り戻せないから大切にしましょう、と言っておられるのではないのである。
お盆休みの片付けの時間は、命について考え、これからの人生を、仕事に、家庭に、地域に、日本に、世界に対して、どのように時間を使ってかかわればよいのかと考えさせられた時間であった。また、36年間の歳月を生きてきた私の命について、振り返り反省させられた時間でもあった。
これからは出来るだけ整理整頓された机に向かい、経営者としてなすべき仕事をしっかり考え着実に実行し、密度の濃い時間を使いたいと思う。
5月のこのコラム「東北地方に旅しよう!」で、『5月13日の経営戦略会議の席で、「今年の経営環境は昨年よりさらに厳しく、12月決算では赤字も予測される。しかし、東北地方に同僚や家族と旅をし、温泉などでお金を落とし、被災地を自分の目で見てきた社員に対して、会社から家族も含めて経費の補助をしようと思う」と提案したら反対意見は無く、止めて久しい会社の慰安旅行を被災地にすればよいのではないかという意見も出た。』と書いた。それが10年ぶりの慰安旅行として今月の7日、8日に実現した。
5月のコラムの後、この提案を必ず実現しようと、部下の意見はどうかと会議で部門長に聞いたところ、家族の場合は、子供の部活とか、子供が小さいとかでいけないと言う意見があるとのこと。私もそういう体験があるので、それなら、まずは会社で旅行しようと、6月6日に、知人である旅行会社エヌトラベルの中井社長に、5月のコラムを読んだ上でプランを立ててもらいたいと電話した。すると翌日、東北に限らず東海・海外まで旅行の自粛が発生している中、私のコラムに同感である、とのメールが届き、6月13日に“原発問題で観光客激減!!「会津地方」震災支援ツアー”という企画書の説明を受けた。その中で、被災地には災害救援隊であることの腕章・ステッカーを交付されていなければ立ち入れないので、今回は被災地には行かず、宿で女将さんなどから被災状況について話を聞くことにとどめたいと言われ、止むを得ないことと了解した。
私が考えた旅行日程は、以前の慰安旅行と同様に仕事日を避けて土、日を使っての7月9日10日であったが、専務が、ウイークデーでの1泊2日、例えば7月7日(木)8日(金)はどうだろうかと提案してきた。そこで、各部門で日程について意見を聞いたところ、土・日にはすでに予定が入っている社員が何人かいるということで、7日、8日に決定した。
私は、全社員74名の内、参加者は30名から40名くらいだろうと予想していたが、結果は何と56名。今年は施工中の工事が特に少なく、参加しやすかったとはいえ、正直驚いた。
宿泊先の芦ノ牧温泉丸峰観光ホテルには、福島原発事故で退去を強いられた、福島第2原発がある楢葉町の住民が当初180名避難していたとのことで、この方々に何か支援物資を贈りたいと思い、新潟県の建設業者がコシヒカリを何トンだか持って、被災地でのボランティアに出かけたという話にヒントを得て、当社も富山のコシヒカリをバスに積んでいこうと思った。しかし、中井社長が、避難している人たちが何を必要としているか聞いてみましょうか、と言うので、聞いてもらったら、これから暑くなるのでTシャツが希望だと6月27日に分かった。現在の避難者数が120名とのことなので、S30枚、M70枚、L80枚、XL20枚の合計200枚の白無地のTシャツを短時間で用意し、「衣」のほかに「食」も贈ろうと、高岡の銘菓“とこなつ”240個と、富山県と分かるだろうと清酒“立山”の1升ビン12本も用意した。
2台の大型バスで出発した最初の観光地は、蔵のまち喜多方。喜多方ラーメンの昼食の後、おたづき蔵通りの散策。私は、店先に並べられた小物に惹かれて入った土産屋で、店の女主人と話し込み、元々は下駄屋だと分かったこの小林履物店で、会津桐の下駄を買ってしまった。次に訪れた五色沼で、予定にはなかったが記念に集合写真を撮ることにした。その時に写真屋さんから聞いた話に愕然とした。4月から6月にかけての3ヶ月間に、例年は1400台以上の観光バスが来るのだが、今年は7月になっても、我々のバスが46台目と47台目だと言うのである。前年比97%減ではないか。当社の受注工事高が前年比50%減で、苦しいと思っていたのが恥ずかしくなった。
大型駐車場に観光バスがほとんど止まっていないのは、翌日訪れた大内宿、鶴ヶ城、白虎隊の飯盛山、薄皮饅頭の柏屋でも一緒だった。風評被害のひどさを、現実のものとして感じた。



宿泊先に着き、待っておられた楢葉町の総務課長さんから丁寧な感謝の言葉をいただいた後、ラウンジに集まっておられた避難住民の方々に私が挨拶し、Tシャツを男性Sさん、とこなつを女性Sさん、立山をUさんが担当して配った。一緒にいた社員から、「ありがとう」と言われて、何と返したらよいか分からなかった、子供から「お菓子を食べていい?」と聞かれ、思わず涙ぐんでしまった、などの言葉が聞かれた。私も、赤ちゃんを背負った若い母親や、赤と黒のランドセルを背負った男女の小学生を見て、彼らの毎日の生活はどんなだろうかと思い、一升瓶を抱えた気のよさそうなおじさんに「お酒、好きそうですね。お幾つですか?」と聞いたら、「68歳、365日酒を飲んでる」とにっこり返事され、「私は64歳、364日酒を飲んでいます」と返した。
宴会での女将さんの挨拶も、心に残っている。楢葉町の方から、「誰かにご飯をよそってもらえるのが、こんなに幸せで有難いことだと初めてわかった」と言われたと聞いて、一緒に涙しましたとのこと。帰って中井社長にこの話をしたら、このエピソードの背景を説明され、また、このコラムを書くに当たって女将さんに電話して直接確認したのだが、この話は、避難住民の方々は最初からこのホテルに来たのではなく,2回、3回と避難場所が変わり、朝はパン1枚、昼も夜もおにぎり1個の生活を1ヶ月続けた後にこのホテルに着いて、従業員の方からお茶碗にご飯をよそってもらった時の感想だったのだ。
参加した社員は「普段一緒に仕事をしていない部門の人たちとゆっくり話ができ、お酒を飲んで交流できて楽しかった」と言い、「旅行先でのお店の方々はとても明るく、おまけなんてもらったりして。わいわい楽しく話しをして下さいましたが、風評被害はどうしようもないとボソッと言っておられました。返す言葉がなくお土産を買う事しか出来ませんでした。」(Tさん)と思いながら、たくさんお土産を買って震災支援もしてくれた。
慰安旅行という言葉は、なんだか古めかしく思っていたが、失われた10年とも20年とも言われる厳しい経済環境の今、さらに3.11大震災が追い討ちをかけた国難の今、社員同士の交流のために、そして、震災の被災者のために「慰安」は意味ある言葉だと思う。
大内宿の中の一軒で、和紙に書かれた言葉が私の目に飛び込んできた。店主の女性が自ら書いた言葉「笑って過せる時がきっと来る。2011.3.11.14.46」である。来年は宮城県、再来年は岩手県に行こう、そして、笑顔を探そう・・・と、帰路のバスの中で思った。
私はロータリークラブに入会して25年目だが、2001―2002年度から2005―2006年度まで5年間、2610地区(富山県と石川県のクラブで構成)のロータリー米山記念奨学会委員会の委員長を務めた。この間、多くの外国人奨学生との交流を通して、彼らを支援することの意義や国際平和に貢献するロータリーの米山奨学制度の素晴らしさを知った。
2006年度以降は地区米山委員会を離れたが、その後も米山奨学事業の最新情報を提供するメールマガジン「ハイライトよねやま」をずっと読んでいた。そこに記載されていた3.11大震災に際しての学友(元米山奨学生)の活動記事を少しだけ紹介したい。
3 月25 日発行 の[号外]
・今回は本当に大変な事態になって、大きくショックを受け、心がすごく痛みました。勤勉で親切な日本の国民、中でも私の第二の故郷である東北の皆さんがこのような大災害に巻き込まれ、人命が失われ、これまで創造してきた生活が崩れ落ちているのをみて、この2日間はいても立ってもいられない思いでおりました。できることならその場からすぐに日本へと飛び出して、自分にできるかぎり尽力したいと思ってきました。(中略)私たちにできることは何かと一生懸命に考えています。これからできることが出てきたら全力で当たりたいと心準備はできています。何かあれば、私たちにご提示していただければうれしいです。
・タイ国だけではなくいろんな国が大変なときに必ず最初に手を伸べさしてくれるのは日本です。今度はこちらがお返しする番です。今回は今まで日本国の皆さんが与えてくださった人生の財産になる知識、その温かみに恩返しするつもりです。会社経由で募ってる義援金のかたちで少ないですが、日本国にお返しできるように、早く復興できるように心よりお祈り致します。
各国での募金活動の記事もあった。
・中国大連で日本書籍専門書店を経営しております。日本東北太平洋沖に起きた大地震で多くの方が亡くなられて、本当に心を痛むような状況です!私としてはこの中国大連にいながら、何かをして日本の被災者を助けたい気持ちでいっぱいです。そこで、早速弊店内で募金箱を設置しました。そして、今日一回目、日本領事館に寄付金を渡してきました。
・現在台湾の国立虎尾科技大学で教鞭をとっています。今週月曜日からわたしは本学で学生、教員たちに募金の呼びかけをし始めます。皆さんは「12年前の台湾921 大震災のときも、前年台湾台風被害に遭ったときも、日本から暖かく支援を得たから、今度こそ、わたしたち恩返しの時だ」と募金活動に賛同します。大学の学長も募金の趣旨に賛成し、今日(15 日)学校の役員会議で全学募金活動に拡大しようと提案し、満場一致で可決しました。物価の高い日本にとって、焼け石に水かもしれないが、「がんばって、応援するよ」という気持ちを被災者に伝えてほしいです。一日も早く元に戻れるように、遠い台湾の空の下で祈っています。
4月12日発行の「ハイライトよねやま」133号。
●国内外から支援の輪
4 月11 日現在までに、台湾学友会から2,576,000 円、韓国学友会から1,630,000 円、中国学友会から1,358,500 円、第2670地区学友会から37 万円を受領しました。また、匿名奨学生から「日本で生活するわれわれ外国人も今回の震災に日本人と同じく心を痛め、同じく力を出したい」と、アルバイトで貯めたお金を含め10 万円を寄付してくれたほか、台湾学友会理事長の許國文さん(1975-77/徳島RC)が、自身の所属するロータリークラブを通じてマスクを6,000 枚送ってくれました。これらの義援金と物資は、近日中に被災地区へ送ります。
台湾セブン-イレブンを展開する統一超商社長の徐重仁さん(1976-77/平塚RC)は、「第2の故郷である日本が大きな困難に臨み、いてもたってもいられぬ日々が続いています」とコメントを寄せ、セブン-イレブンの店頭募金などで2億円以上の義援金が集まっていると報告してくれました。
5月12日発行の「ハイライトよねやま」134号」
在日ネパール人によるカレー炊き出し:在日ネパール人協会では、ギリ・ラムさん(1998-2000/室蘭RC)やジギャン・クマル・タパさん(2008-09/横浜たまRC)など米山学友を中心とする有志が2 度にわたって被災地を訪れ、本場のカレーを振る舞いました。1回目の支援先は、「原発事故の風評被害で支援の手が届いていない」と聞いた福島県いわき市。4月1日、いわき明星大学内で1,000 食以上のチキンカレーを提供、近隣避難所にも配ったほか、飲料水、子どものおむつやおもちゃを持参しました。4月16 日には47人の在日ネパール人の協力のもと、宮城県南三陸町からの被災者が避難している登米市内の避難所で計1,000 食のカレーを提供したほか、ヨガ教室を開いたりマッサージを施すなど、被災者の日々の疲れを癒しました。
「ハイライトよねやま」のこれらの記事を読み、米山学友の日本に対する強くて暖かい恩返しの気持ちを感じ、改めてロータリー米山奨学制度の意義を確認した。そして、私自身も、ロータリアンの立場からも大震災の復興に積極的に係わらなければいけないと思った。