先月末に新聞を見ていたら、一面下段の本の広告欄から、『1日7分の絵本で子どもの頭はみるみる良くなる!』が、目に飛び込んできました。「6歳までは脳が成長する黄金期。“絵本貯金”をして、才能が開花する土台をつくってください。絵本教育の第一人者が、効果的な読み聞かせの方法、無理なくできる絵本習慣の身につけ方を教えます。」という宣伝文句と共に、「厳選絵本リスト210冊も収録」と書かれていました。
私が4人の自分の子どもたちに読み聞かせた本が何冊リストアップされているだろうか? 効果的な読み聞かせとはどんなものだろうか? この本を買って効果的な読み聞かせの方法を学び、生後6ヶ月の初孫に読んでやりたいと思い、スマホでこの広告を写しました。
8月11日、夏季休暇で帰省した次男を富山駅に迎えに行くと、仕事の参考書を買いたいので本屋に寄って欲しいと言います。そこで本屋に立ち寄り、おそらく注文になるだろうと思いながらスマホの写真を店員に見せて調べてもらったら、ありました。帰宅してすぐに読み始め、真っ先に最終章の「厳選リスト210冊」を見て、わが子に読み聞かせた覚えがある本を鉛筆でチェック。翌日は、とりあえず探し出した10数冊の絵本のほこりを払ってリストにある本と照合しましたが、「0歳のときに読み聞かせたい絵本30冊」でチェックしていた4冊の絵本はこの中にはありませんでした。13日には、前日からやってきていた孫娘に、3冊の絵本を読み聞かせてみましたが、孫のお気に入りは、どうも「ネッシーぼうや」。31ページの薄い本なので、ページをわしづかみするのが楽しかったようです。
さて、いつも読了するのに時間がかかる私ですが、この本はお盆休みの最終日16日に読み終えました。ただ正直なところ「子どもの頭は良くなる」というあまりにもストレートな表現のタイトルには、違和感を覚えました。ですから目次の第1章、第1節「絵本の読み聞かせで頭が良くなった子が続出!」に書かれていた、「絵本で東大医学部に合格したAくん」、「京大に行ったKちゃん」で始まる項を見て、「東大、京大だからどうだというんだ」と反発を覚えました。でも、東大医学部を卒業した男の子が「診察室で子どもに絵本を読んであげたい。待合室に絵本を置いて読ませたい。」という想いで小児科医になったという話には、笑みがこぼれました。
全体を通して共感できたのは、第1章、第4節「絵本と頭の良さは密接に関係している」の第2項「すべての学力の土台は国語力」に書かれている「日本語の力が豊かに育っている子どもは成績が優秀です。日本人にとって、日本語は母国語です。母国語でものを考え、人と話し、想像し、勉強します。だから、母国語である日本語をもっともっと大切にしなくてはいけません。母国語は日本語、日本語の基本は国語ですよね。国語も算数も理科も社会も、全部、日本語で勉強しますよね。母国語とは母の言葉という意味です。母は命の源です。学力の土台は、国語力がしっかりついているかどうかにかかってきます。」から始まって、その後に書かれている、国語力の基本の語彙力が不足しているため、小学校4年生になると急に難しくなる算数の問題の意味が、可哀想なくらい分からないという事例や、思考力は放っておいては絶対に育たない、人は言葉を媒体にして考えるのであり、言葉が考える力の大元であるという主張に、全面的に賛同したのでした。
それは、ベストセラーになった「国家の品格」の著者の、数学者であり作家である藤原正彦さんが、小学校から英語を教えることは日本を滅ぼすもっとも確実な方法であると、小学校からの英語教育必修化を批判して「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」と述べていますが、私はこの主張に大いに共感していたからです。
ここ数年、当社の若い社員の信じられないような言動が報告される度に、「ちゃんと考えているのか?」と思わざるを得ませんでした。そこで今月の朝礼では、若手社員教育に関連して、「若い社員は、ゆとり教育によって、考える力を養うのではなく、逆に考えることを学ばなかった。その意味でゆとり教育の被害者であり、根気強く教えて欲しい」と話しましたが、藤原正彦さんが「母国語の語彙は思考と同じもの、語彙が少ないと考えることができない」と述べていることを思うと、考えなくなったのは、学習内容を3割減らしたゆとり教育によって国語で教える日本語の語彙も減ってしまい、それで、考える力が失われてしまったのだと推測するに至りました。
70歳の私が今も新聞や本を読み、語彙力を高め考え続けているのですから、社員の皆さんも「もう7歳を過ぎたのだから無理だ」と思わず、年齢に関係なく読み書きすることで日本語の力を磨き、自ら考える人間になってください。
私は、社内の研修でも、社外での講演でも、ほとんどのプレゼンテーションで、アンパンマンの画像を映した後に『アンパンマンのマーチ』の以下の歌詞を映します。
そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも
何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える だから君は行くんだ微笑んで。
富山県内の中学2年生が「社会に学ぶ『14歳の挑戦』」に参加する前に、学校に依頼されて私が行う授業のタイトルは、始めた最初の頃から「生きること、学ぶこと、働くこと」ですが、昨年7月に、あさひホームで呉羽中学2年生の生徒に行った「14歳の挑戦」でのオリエンテーション以降、「生きること」を考えるときに、この「何の為に生まれて 何をして生きるのか」を紹介し、「君は、何のために生まれたのですか?」と問いかけています。
最近では、この歌詞の次のスライドに、アンパンマンに出てくるばいきんまんとドキンちゃんの画像と、中村天風の言葉「ばい菌一匹でも、目的なくこの世に出てきたものはない。」を映してから、「生きる目的はなんだろうか?」と問いかけています。そしてその後の講義を、学ぶ目的は何か、働く目的は何かと続けます。
私が尊敬する、聖路加国際病院名誉院長日野原重明先生は、「生きているとは、いのちがあるということ」、そして「いのちとは自分が使える時間であり、時間を世のため人のために有意義に使ってください」と言っておられることを紹介し、続いて「『働く』とは、端・楽であり、世のため人のために働く」のだから、「働くとは、時間を世のため人のために有意義に使うこと」、すなわち「有意義に生きる=働く」と、私の持論を展開します。
私は、このように、生きる意味、働く意味をシッカリさせることで、その目的がハッキリし日々の仕事に対する姿勢も必然的に変わってくると思っています。
ですから、仕事をするときはまず最初に、この仕事の目的は何かと考えます。そうすると、従来のやり方でよいのかと考えるようになります。もっと早く目的を達せられないか、どうしたらミスなく、手戻りもなく仕事が出来るかと考えます。その結果、以前より良い成果が生まれます。
いろんな団体の長としても、この会の目的は何かと考えます。私が会長を務める富山市建設業協会が、新組織として発足して10周年の記念イベントとして、昨年の8月に1回限りのつもりで行った「建設フェスティバル」を、今年も7月30日(日)に行います。それは、協会の喫緊の課題が建設業界の担い手の確保であり、この目的をはたすためには、小学生のときから建設業、特に生活の基盤を支える土木に関心を持たせることが大切である、しかし、継続して行わなければ意味がないと思ったからです。
さて、1991年7月から書き始めたこのコラムの目的は何でしょうか?今回のように、私の考え方を社員の皆さんに伝えることも目的のひとつです。今回は16日の日曜日に出社し、2時間半で書き上げましたが、目的をいつもより明確にして取り組んだため、これまでより短時間に、短い文章で、しかし、言いたいことは伝えられたと思っています。
余談。家を出る前に娘と孫が自宅にやってきたので、早くコラムを書き上げ家に帰りたいとの想いが、短時間で仕上げられた最大の推進力ではあります。
7月19日追伸。日野原先生は、昨日105歳でご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
4月に入社した新入社員4名と、3年生社員2名、 4年生社員2名、そして5年生社員1名の9名を対象に、4月に3日間、5月に1日、6月に2日間の延べ6日間にわたり実施した「若手社員パワーアップ研修会」が、6月17日(土)に終了しました。
私は、毎回30分間の「トップ講義」を行いましたが、講義内容は、第1回「生まれてから高校卒業まで」、第2回「大学時代」、第3回「サラリーマン時代」、第4回「朝日建設に入社してから」、第5回「重大ニュース」、第6回「創業100周年に向かって」でした。
第1回「生まれてから高校卒業まで」では、幼いときに母に毎晩童話を読んでもらったことで読書好きになり、高校時代に宮沢賢治の詩や童話から東北地方に惹かれ、東北大学への進学を決めたことを話し、第2回「大学時代」では、5年間の学生時代はほとんど勉強せず柔道に明け暮れていたが、卒業時に5人しか残らなかった同期生とは生涯の友人として今でも付き合っていること、また、その中の一人読書家の和田君から10年ほど前に宇野千代著「天風先生座談」を薦められ中村天風を知り 天風の「成功の実現」を読んだが、今年の3月に、中村天風「いのちの力を強くする」一日セミナーに参加して、その頃どうしようもないほど落ち込んでいた私の精神状態が救われたことを話し、一生の友人を持つよう勧めました。
第3回「サラリーマン時代」では、A組の社員の公私混同振りや派閥争いのことなどを話し、最後に、私が営業を担当して、中卒で不動産会社を立ち上げた社長が初めてのマンション建設計画をA組の設計施工で進めていたときの話をしました。オイルショック後の資材価格高騰で予算が合わなくなったので、A組の設計担当者が依頼主に相談無く杭の本数を減らすことで予算を下げたことに社長が激怒し、社長と用心棒の前で打合せしていた私は、非常に怖い思いをしました。しかし、私が誠実に対応してきたことをこの社長が気に入り、私にA組を辞めて自社に来るように誘われたことも懐かしい思い出として話しました。
そして第4回「朝日建設に入社してから」は、昭和50年に当社に入社してから今日までの42年間に私が行ってきたことを話したのですが、多岐にわたりよくもこれだけ多くのことをやってきたものだと我ながら感心しました。しかし、経営者としては当たり前のことで、自慢することではないと思っています。とにかくとても30分間では語りつくせるものではありませんでした。社長になるまでの16年間と、社長になってからの26年間に分けるべきでした。
第5回「重大ニュース」では、最初に平成5年の前田道路との共同企業体「とやまエコン」(現「ほくりくエコン」)設立の経緯を話しました。その後、印象に残っている出来事について話しました。翌日の第6回「創業100周年に向かって」では、昨年から始めた3年間の中期経営計画を8回繰り返すと2039年になり、その翌年が創業100周年となると話してから、吉田松陰の言葉「夢なき者に成功なし」を例に挙げ、100周年のときの朝日建設の理想の姿を描き、その理想を実現するための毎年の経営方針や中期計画を立案し、その計画を確実に実行することで、創業100周年を成功のうちに迎えることができるのだということ、また、詩人のまどみちおさんの「朝がくると」という詩をスクリーンに映して、ものづくりについて考えてもらいました。
さらに、研修プログラムの最後に設けられたトップコメントでは、2日前の6月15日にタナベ経営のFCCフォーラムで聴いた坂村真民の詩「すべては光る」を紹介し、今回の研修会参加者全員が光ることができるよう、この研修終了後も学んだことを実行して欲しいし、会社としても光を当てていく、そして、私も経営方針の一番目に掲げている「人財育成」にさらに力を入れたいと締めくくりました。
今回の研修会は、毎回「トップ講義」をしたことで、過去を振り返りながら創業100周年に向かっての想いやなすべきことを確かなものにでき、9人の若手社員、8人の社内講師とともに、私も成長できた良い機会でありました。