昨年の12月のこのコラムのタイトルは「のはらうた版画カレンダー」で、コラムの最後に「いかがですか。どの詩も前向きで明るく楽天的ですね。私はあまりくよくよする性格ではありませんが、時には落ち込むこともあります。ちょうど7枚なので枕元に置いておき、一週間、毎朝1枚声に出して読んでから着替えて、犬の散歩に出かけようと思います。きっとその日一日、楽しくなることでしょう。」と書いていました。でも、こんなことを書いたことはすっかり忘れ、全くやっていないことに気付かされました。そこで、今年の目標に「朝目覚めたら、のはらうた版画カレンダーを読んでから犬の散歩をする」を加えます。
さて、我が家の犬のクロスケですが、2009年9月2日生まれの16歳で、このコラムで何度も取り上げています。
2022年11月の「グレーとクロ(スケ)では「(私は)あと5年で80歳、その時クロスケは18歳。最近ネットで20歳まで生きられるとうたったプロテインの白い粉を、高価でしたが買いました。クロスケ、20歳まで生きろよ!」と書いています。
2024年9月の「タローとクロスケ」では、「まだ15歳なのに、朝晩の散歩の時間以外は、玄関の中で寝ています。一日に22時間は寝ているだろうと思います。玄関の外にいるときは、門の所に宅急便の配達員がやってくると大きな声で吠え、配達員か来たことを妻に知らせてくれます。私にとっても、朝の40分ほどの散歩は良い健康法です」と書いています。しかし今では、宅急便の配達員がやってきても全く吠えません。
昨年の秋、散歩中に近所の顔なじみのご夫婦に会いました。ご主人が「背中が曲がりましたね」と言われるので、「もう78歳ですから」と答えると、「いえ、クロちゃんです」と言われました。腰の曲がった老人が腰の曲がった老犬と散歩している様子は、「似たもの夫婦」ならぬ「似たもの人犬」に見えることでしょう。
散歩に出かけるために、玄関で寝ているクロスケにリードを着けようとする時、後ろ脚が弱っていてスッと立ち上がれません。そこで両手で体を持ち上げて立たせます。それから赤いハーネスをつけ、そのハーネスにリードをつけます。1月17日の土曜日の7時半過ぎ、玄関を出てからリードを着けようと思いクロスケを玄関から出したところ、リードを着ける間もなく門の手前で右に曲がり、庭に入っていきました。直ぐに追いかけたものの庭にはおらず、離れの玄関から外に出た様子。いつもの散歩コースを歩いてみましたが見つからず、次女の車で15分ほど走ったものの見つかません。8時過ぎからは、妻と一緒に妻の運転で花ノ木方面まで小一時間探し回りましたが見つかりません。妻は「これで、お別れかな?」と言います。帰宅して風呂に入っていたら、長男が「クロスケ、見つかったよ」と声をかけてくれました。自分の不注意でクロスケと生き別れになったと落ち込んでいたところにこの報告、目の前が明るくなる思いでした。
クロスケが見つかったのは、私たちが探していた我が家の南側に一面に広がっている梨畑の方ではなく、自宅前の道を梨畑とは反対に北側の県道戸出小矢部線に向かうと、県道の手前にある道から階段で降りていく小さな公園のブランコの所とのことです。生い茂っていたツタにリードが引っ掛かり、鳴いているのを公園の北側に建っている家のご主人が見つけて、呉羽交番に電話されたそうです。奥さんが、林さんの家の犬ではないかと我が家に向かっていた時、妻から連絡を受けていた近所に住む長女が鳴き声を聞いて家を出たところで奥さんに会い、公園にいると聞いて娘の夫が公園に出向きクロスケを抱きかかえて我が家に連れてきてくれました。
1月12日の成人の日の朝は積雪が2cmほどありました。梨畑に沿っていつものコースを歩いていたら、道を横切るキツネの足跡にクロスケが反応し、立ち止まって足跡の匂いひとつずつ嗅いでいました。犬の嗅覚は人間の数千倍から一億倍も優れていると言われますが、年をとっても嗅覚は衰えていないのだなと少し安心しました。
一昨日21日は降雪の中、出がけに「お互い元気でいようね」と声をかけてから散歩しました。今回の脱走騒ぎの後、クロスケは家族の一員だとの思いが強まりました。毎朝の散歩を大切にしたいと思います。
毎年12月に、私は富山市内のゼネコン3社に出向いて、お歳暮のカレンダーを配っています。
一昨年までは、重要無形文化財「型絵染」の保持者で人間国宝の芹沢銈介さん(1895年-1984年)がデザインした図案を、伝統工芸「八尾和紙」の桂樹舎が和紙のカレンダーとして製造したものを購入していました。
しかし、桂樹舎が芹沢銈介さんの図案を全て使い切ったためカレンダーを作らなくなりました。そこで、長男が総曲輪で営む民芸店「林ショップ」が以前仕入れていて、工藤直子さんの詩集「のはらうた」に掲載されている詩に、ほてはま たかし(保手浜 孝)さんの描いた絵が添えられている「のはらうた版画カレンダー」を配ることを思いつきました。このカレンダーは、我が家のダイニングルームと本社の総務部に掛けていましたが、息子の店では扱わなくなっていたので、昨年保手浜さんに手紙で注文し取り寄せました。
今月のカレンダーは「じかん」という題の詩で、「ほしますみ」という名のヤギが語っています。
ながいながいゆめからさめて まばたきしました
これからまためをとじて ながいながいゆめをみることにします
ゆめのはじまりは いつだったのかしら
ゆめのおわりは いつなのかしら
手元に、保手浜さんからの「のはらうた版画カレンダーをご注文くださりどうもありがとうございました。ほてはま たかし」というフクロウの版画が描かれたお礼状と一緒に、「おまじない・えはがき どの絵はがきで、お便り書こう?どれ選んでも『大吉』」だい!」という案内と一緒に7枚の絵はがきが入っていました。
・白いりすが描かれた「花も嵐もあって人生」には、「花」の時間をだいじに抱くと嵐も「花色」まぶしくなる、と解説があります。
・たくさんの豚が鉄棒をしている「三日坊主も十回やれば三十日」の解説は、一回へっちゃら!二回どんとこい!三十回目が待ってるぞ!。
・カニが花に如雨露で水をかけている「私は私の人生から出ていくことはできない ならばここへ花を植えよう」の解説は、そうです ほんのりしっかり花あるあなた 中心のぶれないあなた。
・カマキリが描いてある「やるときはやる やらんときはやらん」の解説は、やるときゃ全身でがんばっ!やらんときゃ全身できっぱり!
・クマが手を上げている「手のひらにいつもあした」の解説は、からっぽの手のひらだから受け止める「きぼう」もいっぱい
・いるかが水中から顔を出している「いまいるところ そこが宇宙の中心点」の解説は、どこにいたって いつだって あなたは世界のまん中
・ふくろうが枝にとまっている「心配ない心配ない 朝はかならずやってくる」の解説は、あなたの朝のお日さまピカピカ 涙はきれいな虹になる
いかがですか。どの詩も前向きで明るく楽天的ですね。私はあまりくよくよする性格ではありませんが、時には落ち込むこともあります。ちょうど7枚なので枕元に置いておき、一週間、毎朝1枚声に出して読んでから着替えて、犬の散歩に出かけようと思います。きっとその日一日、楽しくなることでしょう。
先月のコラム「新聞記事の切り抜き」の書き出しは、「私の机上のキーボードの後ろには、新聞のコラムの切り抜きが記事の種類ごとにクリップ止めしてあります。各新聞社の新聞の1面下段には毎日コラムが載っていますが、北日本新聞は『天地人』、富山新聞は『時鍾』、朝日新聞は『天声人語』そして日経新聞は『春秋』です。富山新聞には、中ほどのページに『きょうの言葉』というコラムも掲載されています」です。
今月は、このところ毎日のように切り抜いている「きょうの言葉」」について書きます。
パソコンの「新聞・雑誌記事:コラム、論評など」の中にあるフォルダー「きょうの言葉」にスキャンして保存してあるもっとも古いコラムは、2020年4月14日の「おだやかに議論して、一致点を見つけることを、第一の目的とすべき」です。この言葉はSF作家の豊田有恒さんのエッセイ集に収められている言葉で、「あるとき同業の作家から『編集者からあまりな仕打ちを受けているのですが、喧嘩すべきでしょうか』と相談をうけた。豊田はまず『仕事を失う覚悟があるなら喧嘩してもいい』と答える。それに続くのがきょうの言葉だ。実に大人の発言である。」と書き始められています。そして、当の豊田さんも「SFの鬼」と呼ばれた名編集者の福田正実さんと激しい論戦を展開した話が出てきて、「自分は作家生命を危険にさらしてまで喧嘩をしているのである。と続き、「きょうの言葉には、多分に自戒の念がこもっているわけだ。」とまとめています。
「きょうの言葉」を書いているのは翻訳家の矢口誠さんで、「私は翻訳の仕事をしているので、喧嘩をした豊田の気持ちはよくわかる。作家や翻訳家は家で孤独に仕事をしているため、同僚に愚痴を言って気持ちを紛らわすわけにもいかず、つい感情的になってしまうことがあるのだ。」と続けています。
私は5年ぶりにこのコラムを読み、会社でも家庭でも感情的にならずに、一致点を見つけることを意識して議論するようにしようと思いました。心に残ったからスキャンして残したのです。こうして読み返して自分の行動を改めようと思っただけでも、今月のコラムで「きょうの言葉」を取り上げてよかったと思います。
そして、スキャンしてある最も新しいコラムは、2025年9月2日の、スペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗した宇宙飛行士山崎直子の言葉「否定形はできるだけ使わない」です。これも自分自身、会社でも家庭でも心がけたいことです。
クリップ止めしてある切り抜きの一番下は2025年2月27日の漫画家で江戸風俗研究家の杉浦日向子さんの言葉「”粋”は『おれは粋だろう』と自己申告できません」で、「“粋”は、必ず過去形で『粋だった』というのが正しい使い方です」と書かれています。私がサラリーマン時代に習った小唄に、最後に「おや、粋だね」と歌う小唄がありましたが、“粋”は、必ず過去形で「粋だった」というのが正しい使い方であれば、私が習った小唄の歌詞は間違っていたということになります。
クリップ止めの一番上はこのコラムを書いている今日11月24日の、漫画家で絵本作家のおーなり由子の「<そういうもの>と思っていることのほとんどは、いつか誰かが決めただけ」で、彼女が通っていた中学は校則が厳しく制服一つをとっても「スカートは膝下に」「靴下は白」と決められていて、息苦しさを覚えるほどだったが、進学先の高校には制服がなく、私服姿の上級生たちを見て、その自然で自由な姿に驚いたという話でした。当社ではずいぶん前から私の発案で事務職の女性社員への制服支給をやめ、1年に1回、27,500円を支給し、好きな洋服を買って仕事をしてもらっています。今にして思えば「そういうもの」という世間の常識を疑っての規定変更だったのです。
こうして毎月コラムを書くことはかなり負担ですが、自分の言動を改めるきっかけになったり、過去の行動を思い出させてくれたりするので、私にとって有意義なことだと思いました。プラス思考ですね。