今年の1月23日の富山新聞に、日本一短い手紙のコンクール「第33回一筆啓上賞」の大賞が22日、発表され、金沢市大野町小3年の山口結衣さん(8)らの5作品が選ばれたという記事が載っていました。
この一筆啓上賞.は、福井県坂井市が平成5年(1993年)に創設し、以降34年に渡り毎年、心のこもった日本一短い手紙を募集しています。このコンクールは、徳川家康の家臣が戦陣から妻へ送った短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」にちなんで始まり、1〜40文字の手紙形式で毎年異なるテーマで募集されています。
今年のテーマは「失敗・成功」で、応募数 35,152通 入賞者数 157篇でしたので、山口さんの作品は、35,152通もの応募作品から選ばれたベスト5の作品ということになります。
山口さんは亡くなった母に宛て、「漢字テスト『手紙』を『毛紙』と書き、ばあばが温かい手紙だねと笑ってくれた。」と書きました。
祖母の田辺小登美さん(66)によると、漢字テストに「毛紙」と書いたことで100点を逃す「失敗」をした山口さんに、田辺さんが「毛が生えたふわふわの手紙だね」と声を掛けたひとときを表現したということです。山口さんは5月に福井県で行われる表彰式を楽しみにしていて、「家族みんなで福井に泊まりたい」と喜んでいたと記してありました。
山口さんは、私の孫娘と同い年です。お母さんはいつ亡くなったのでしょうか。家族みんなで福井に行きたいとあるので、お父さんや兄弟姉妹、祖父母と行こうと思っているのでしょうか。山口さんの作品を読み、彼女の将来はきっと明るいものになると思いました。
第1回新一筆啓上賞 日本一小さな物語「母」との往復書簡では、
(往)「子から母へ」お母さんへ 私はしばらく家出をします。探さないでください。(中3女子)
(復)「母から子へ」 いってらっしゃい。晩ご飯までには帰ってくるのよ。今日はハンバーグだから。
第2回新一筆啓上賞 日本一小さな物語「家族」との往復書簡では
(往)「ひいおばあちゃんへ」 ひ孫の由香です。分かりますか。今日は一体何歳なんですか。(中3女子)
(復)「ひいおばあちゃんから」 私には、ひ孫なんていませんよ。だってまだ結婚もしていませんのに。
《添書き》ボケてしまって、毎日年令の変わるひいおばあちゃんに手紙を出してみたら、娘すら生まれていない結婚前まで、もどっていた。
第3回新一筆啓上賞 日本一小さな物語「愛」の往復書簡
(往)「お母さんへ」 「ねつあい」ってなあに?(小3男児)
(復)「息子へ」 お父さんとお母さんのこと。
《添書き》たまごっちで遊んでいて、「ねつあい」というのが出てきたそうです。息子はどんなふうに意味を解釈したでしょうか?
それでは、私の一筆啓上です。
毎朝仏壇の祖父と父の写真に向かって、「朝日建設三代目社長の俺、仕事頑張ってるよ」
富山市総曲輪の浄土真宗本願寺派本願寺富山別院(通称 西別院)の西側を南北に走る通称別院通りに、西別院を大家さんとして6軒の店子が店を構えています。その一番北側に、私 の長男のYが営む民芸店「林ショップ」と「スケッチ」があります。
「林ショップ」と「スケッチ」では皿や茶碗や酒器などを扱っていますが、「林ショップ」は2010年1月9日に開業しました。開業のきっかけは、私の母がよく訪れたくさんの品物を買っていた「きくち民芸店」の店主のKさんから2009年12月に「年なので店を閉めようと思っているのだが、Yさんが店を継ぐ気がないだろうか」と私に話しかけられたことでした。長男は金沢市立金沢美術工芸大学で環境デザインを専攻し2003年に卒業しました。卒業後は写真撮影が好きだったので東京の写真現像所でアルバイトをしていました。しかし時代がフィルムからデジタルに変わったことから現像所が閉鎖し、写真を撮りながらアルバイトをして暮らしていました。そこへKさんからの話。Yに話したところ「やりたい」ということで年内に富山に戻り、祖母の命日の1月10日の前に開業したいとの思いから命日の1日前の1月9日に開業したのでした。「林ショップ」の名前は、東京の老舗の民芸店「柳ショップ」に倣ってつけたものです。
開業当初は、Kさんが商品を仕入れていた栃木県の益子窯にKさんの車で連れて行ってもらって窯元の人たちに紹介してもらい、買い付けて来ました。今はYが車を運転し、全国へ買い付けに行っています。
「林ショップ」の左隣りにはかわいい石や雑貨品を扱う「いしころや」という店がありましたが、店をやめることになりYが後を引き継ぎ「スケッチ」と名付けました。
さて、時々林ショップで買い物をする北日本新聞社の人にYが「北日本新聞で随筆を書いてみませんか」と2018年に声を掛けられ引き受けました。そのタイトルを何にしようかと考えていて思いついたのが、私の社内報のコラムのタイトル「見たり聞いたり出会ったり」でした。ここから「うれしい出会い、あれこれ」が生まれたのです。この連載は、月に一度第4金曜日に、4年近くにわたって46項が掲載されました。そして、この度Yの友人であるグラフィックデザイナーの高森さんからこの連載の書籍化を提案され、新たに2項を加えて5月に自費出版しました。1冊1,650円で1,500冊印刷しましたが、新聞に掲載した時より写真が増えていて、見ごたえがあります。15項の「長さんと姪っ子」には、物語が予想もつかない展開をする絵本作家の長新太さんの作品と、私の孫が3歳になる前のころ、我が家にやって来て長さんの絵本をビックリするほどすんなりと受け入れ気に入ってくれたこと、そしてソファーで足を投げ出して居眠りしている私の靴下にYちゃんがおもちゃのトンカチをこっそり入れて遊んでいるのを見て、Yちゃんが長さんの絵本に何の違和感もなく入っていけることに合点がいったと書いています。
また9項は2019年5月24日掲載の「緑と光の5月」では、我が家の庭で見つけた不思議な模様の葉を調べたらアオキという常緑低木であったこと、そして葉には同じものは一つもなく、同じ瞬間も一度もないと結んでいます。この随筆は、原稿の締め切りが迫っているのに何を書いたらよいかと悩んでいた時に、たまたまYが寝室から庭に出て見つけた葉のことを書いたものです。彼が悩んでた様子が懐かしく思い出させられます。
この本は「林ショップ」で販売していますが、今週は6月22日から26日まで広島にガラスの器を仕入れに行っています。今年はどんなガラスの器を仕入れてくるか楽しみです。
5月21日(木)の午後6時からパレブラン高志会館で、昭和37年(1962年)3月に富山大学教育学部附属中学校を卒業した同級生30名が参加しての同期会が行われました。傘寿とは、数え年で80歳(満79歳)を迎えることを祝う長寿の祝いですが、八十が「傘」という漢字の略字(仐)を縦に分解すると「八十」に見えることに由来しています。
附属中学校は1学年150名の生徒がA、B、Cの3クラスに50人ずつ分かれていましたが、私は1年生の時がAクラス、2年生がBクラス、3年生でCクラスでした。
この同期会は、私が20歳代のころから2,3年ごとに日帰りで、時には1泊で開催されてきました。そして毎回私が代表世話人を務めてきました。
私には、S.O君という小学4年生の時に附属小学校に転校してきた親友がいます。彼のお父さんは富大の理学部生物学教室で教授を務めておられました。蓮町にある富大の官舎に住んでいて、私は一度だけですが岩瀬港線(現在のライトレール)の電車に乗り、生まれて初めて他所の家に泊まりました。彼も、今の朝日建設の本社がある場所にあった我が家に一度泊まっていきました。その日はカレーライスでしたが彼はあっという間に平らげ、母が再度肉を買いに出かけたことを覚えています。彼は野球部でキャッチャーをしていて、体もがっしりしていたので「ブーちゃん」と呼ばれていましたが、今回の同期会でも「ブーちゃん、久しぶりだね」と声をかけられ、「そんなに太っていたかな?」と言っていました。私は「花」と男性からも女性からも呼ばれていました。なぜ「花」なのかは分かりませんが、花のようにかわいらしかったからだと勝手に思っています。
彼は九州大学の博士課程を卒業後、九州大学で助教授や准教授、長崎国際大学で教授を務めていましたが、現在は東京理科大学の客員教授として2、3か月に一度、大学で講義をしているとのことです。もらった名刺には理学博士(九州大学)とあり、界面科学の研究に携わっているようです。
今回の同窓会の案内を彼にメールしたら、東京での学会と重ならなかったので参加するとの返信。世話をしてくれている女性二人に連絡したところ、最初の出席の返事だということでした。
彼は前日に富山に着いていたので、彼と以前出かけた桜木町の行きつけの居酒屋「ちろり」とホテルグランテラス富山の最上階にあるBAR白馬館に行きました。前回も彼と同じ2軒をはしごしましたが、白馬館はトイレが広かったと言いました。その白馬館は、去年92歳で亡くなった白馬舘創業者の内田輝廣さんが80歳で西町に新たに開店した白馬館のことです。
彼はホテルにチェックインした後市内を歩いたが、中央通りがシャッター街になっていたことに驚き、道に迷ったとも言っていました。「ちろり」には歩いて出かけましたが、足元がおぼつかない私の手を引き、「お花、前に段差があるよ」と何度か声をかけてくれました。
同窓会では受付で参加者名簿が渡されましたが、分かっている方のみとして、物故者の名前が31名も載っていました。男性19人、女性12人でしたが、彼も亡くなったのか、彼女も亡くなったのかと驚いた人もいました。
司会者から「乾杯の音頭は一番遠くの佐世保から参加したS.Oさんにお願いします」ということでS.Oさんが乾杯の発声をし、続いて私が開会の挨拶をしました。冒頭に、5月6日の富山新聞のコラム【時鐘】に書かれていた川柳を紹介しました。「同窓会 病や介護は禁句との 約束なれど他に何ある」です。そして、病は5月7日に大腸ポリープの切除手術を1泊入院して行い、介護は、両親や義母は亡くなったが、今は16歳の老犬の介助をしています。昨年この犬と散歩していて、近所の男性から「腰が曲がりましたね」と言われ、「78歳ですから」と応えたら、「クロちゃんですよ」と言われたことを話して、老人が老犬と毎朝散歩をしていますと言ったら、笑い声が聞こえてきました。
近況報告では、奥さんが認知症で施設に入っていて、本人はサービス付き高齢者住宅で暮らしているという男性、とうとうとしゃべる男性、趣味がジャズボーカルという女性、今も喫茶店を営んでいる女性など様々でした。
次回の同窓会は、88歳の米寿には8年もあるので3年後に行おうと決めてお開きになりましたが、11人で2次会に白馬館に繰り出し、富山の夜景を楽しみながら酔いしれました。人生は楽しいと思った同窓会でした。