車椅子

2026.04.24

 4月16日、17日の両日に高知市で開催される第38回全国経済同友会セミナー高知大会に参加するため、2月に旅行社を通じて富山⇔羽田、羽田⇔高知の飛行機の予約をしました。しっかりスマホのTeamsのカレンダーにも記入しました。

   

 4月15日、11:55発の富山から羽田に向かうANAに乗るため空港まで妻に車で送ってもらい、途中、会社の近くの高田屋で高知の2人の知人にあげる鱒寿司を2個買って富山空港に着いたのが11:30。受付で案内表示を見たらANA316便の表示がなく、窓口の女性に尋ねると、316便は11:30発で今離陸するところだと答えるではありませんか。改めてチケットを見ると、確かに11:30発と書いてありました。後で旅行社に聞いたら、11:55は冬ダイヤで11:30は3月からの春ダイヤだったのです。羽田から高知への便は14:05羽田発。窓口の女性は、その次の高知行きは19:10発で高知空港に着くのが20:30。富山駅から新幹線を使って羽田に行き、19:10発の高知便に乗ったらどうかと言い、12:22に富山駅発の新幹線はくたかがあると親切に教えてくれプリントアウトしてくれました。

    

 そこで妻に電話し、婦中大橋を走っていた妻に富山空港に戻ってもらい、富山駅に送ってもらいました。浜松町からモノレールに乗り、羽田空港第2ターミナルに15:36に到着。

3時間半も待ち時間があるものの、早めに47番ゲートに行こうと搭乗手続きを済ませ手荷物検査を終えて通路に出たところ、車椅子を持った女性(グランドアテンダント)が近づいてきて、「47番ゲートは一番端で、そこまで700メートルあるから車椅子で送ります」とのこと。私が背中をまげて歩いているのを見ての申し出でだと思いました。乗せてもらいながら「車椅子を押すことは1日に何回もあるのですか?」と尋ねると「5回くらいあります」との返事。さらに「搭乗ゲートが変更になることもあります」と言われました。47番ゲートの搭乗口に近い座席に座るように促され、また使うこともあるかもしれないので車椅子も置いておきますとのこと。長い待ち時間なので、本を持ってこなかったことを後悔しました。

   

 その内に搭乗ゲートが59番ゲートに変更になったとのアナウンス。59番ゲートは47番ゲートの反対側にあるので、車椅子を置いていったのはさすがだと思いました。車椅子の私は、車椅子のおばあさんと盲目のおじいさんと最初に飛行機の入り口まで連れて行ってもらいました。座席はエコノミークラスでは入り口に最も近い5Cに変更されていました。

 飛行機の中では、映画「東京タクシー」を観ていました。山田洋次監督で倍賞千恵子主演の映画で、フランス映画の「パリタクシー」を題材にして作られた映画とのこと。「パリタクシー」を観たことを思い出しました。しかし最後まで観終わらないままに飛行機は20分遅れで20:50に高知龍馬空港に到着しました。飛行機を出る時は最後で、用意されている車椅子に乗り、エレベーターを使って到着ロビーまで連れて行ってもらいました。友人からは、友人2人で飲んでいる寿司屋にタクシーで来るようにとメールが届いていましたが、空港前にはタクシーが全く来ないのでバスに乗りました。友人から、はりまや橋バスターミナル前で降りてください。迎えに行きますと再度のメール。タクシーで行ったのが、彼らが2軒目に入っていた「大黒堂」という居酒屋でした。食べたのは、鰹のタタキ、クジラの刺身、卵焼き、チャンバラ貝の煮つけと、四万十川で採れるアオサ海苔の天ぷらで、アルコールは栗を原料にした焼酎「ダバダ」でした。チャンバラ貝よりバイの方が美味しいと思った以外は、全て満足でした。特に鰹のタタキは大きくて分厚く、これまで食べた鰹のタタキの中で一番美味しいと思いました。

   

 大会2日目の17日、11時半に大会会場からタクシーで空港に向かいました。車窓から見る山並みは富山で見る山並みと全く違いました。運転手さんに一番高い山はどれくらいかと聞くと1800メートルくらいとのこと。福島県には安達太良山、岩手県には岩手山、青森県には岩木山があり、それぞれ名山と言われていますが、3000メートルの雄大な立山連峰を持つ富山県は素晴らしいと思いました。

   

 高知空港の売店で土産を買い込み、キャリーケースは手荷物として預け、土産が入った紙袋を持って機内に入りましたが、キャビンアテンダントが紙袋を座席上の荷物置きに載せてくれました。羽田空港に着いた時、私だけ最後に右側の扉から出ました。小松空港で経験したことがありますが、車椅子が乗れるリフトが扉に横付けになっています。リフトが地上に着くと、マイクロバスほどの車両に移動します。リフトでも車両でも車椅子のシートベルトはしっかり締めます。富山空港でもバスが空港の建物に着くと、グランドアテンダントが車椅子を用意して迎えに来ていて、エレベーターを使って到着ロビーに連れてきてくれました。彼女に、富山空港の滑走路はうちの会社が造ったと話すと、5年前に82歳で亡くなった祖父が土方として滑走路の建設に携わっていたとのこと。縁を感じました。

   

 ANAのスタッフが配慮してくださった車椅子と数々の気配りのおかげで楽しい旅行ができました。帰宅して妻に「どの空港でも車椅子が用意されていて、親切に移動してもらった」と話すと、妻から「歩かないと脚が悪くなるよ」と言われてしまいました。7月にはロータリークラブの用事で台湾に行きますが、去年台湾に行った時も、今回の高知行きと同じく車椅子での移動でした。しかし脚が弱ることを考えると、今年は車椅子はどうしたものかと考えてしまいます。リュックを背負い、以前買った2本のステッキをつきながら移動することにしましょうか。

映画のパンフレット

2026.03.25

    

 ほとり座で今年は、1月から3月24日までに28本の映画を観ています。

   

 2024年は年間126本、2025年は年間124本でした。今年は2月2日から2月20日までほとり座が空調工事のため休館だったことを考えると、今年も順調にほとり座に通えていると思います。

   

 ほとり座の受付では上映中の映画のパンフレットの販売もしていますが、これまで55冊のパンフレットを買っています。1冊1000円か1100円なので、これまでに5万5千円は買ったことになります。中には、映画の終了後に監督や俳優、あるいは関係者が登壇してのトークがあり、そんな時はホールの外でその人がパンフレットにサインをしてくれ、「林さんへ、〇〇」と書かれたパンフレットも何冊か持っています。

   

 今年買ったパンフレットは、2月に「世界一不運なお針子の人生最悪な1日」、3月に「ポンヌフの恋」と「黒の牛」です。

   

 買う基準は2つ。1つは面白かった、感動した映画で、監督や俳優について詳しく知り、映画評論家や作家のコメントを読んで理解を深めること、2つ目は、よくわからない映画だったので、パンフレットを読んで何を言いたい映画だったのかを理解しようというものです。

   

 「世界一不運なお針子の人生最悪な1日」は面白かった作品で、「ポンヌフの恋」は感動した作品でした。そして「黒の牛」は知人と一緒に観たのですが、観終わって「訳のわからない映画だったね」と言いあいました。

   

 「世界一不運なお針子の人生最悪な1日」は、スイスの美しい田舎町を舞台に、犯罪に巻き込まれたお針子の女性バーバラが、針と糸の力で運命を切り開いていく姿を描いたクライム(犯罪)サスペンスとあらすじにあります。麻薬の売人2人と部屋の中で手錠をかけられた時、部屋の中央の机の上に置いてある手錠の鍵を円錐形に丸めた紙から糸を結んだ針を吹き矢のようにして飛ばし、何度か失敗しながらも何とか鍵を糸に絡めて手繰り寄せて手錠を外すシーンや、お針子と強盗の父と父を嫌っている息子の3人がレストランで食事中に、父を殺そうとした息子の拳銃を父が払いのけ床に落ちたのを、バーバラがまたもや針と糸を使い拳銃を手繰り寄せて息子に渡し、息子が父親を射殺するシーン、そして、亡き母から継いだ倒産寸前の“喋る刺繍”の店に仕掛けた時限爆弾が爆発し、死んだかと思われたバーバラが燃え盛る店から這い出して来るラストシーンなどが今も思い出されます。

   

 パンフレットには、「奇抜で唯一無二!」、「非の打ちどころのない完璧な職人技!」などと書かれています。23歳の監督へのインタビューも載っています。コラムを書きあげたら読みましょう。

   

 「ポンヌフの恋」は、フランスの鬼才レオス・カラックスが「ボーイ・ミーツ・ガール」「汚れた血」に続いて手がけたラブストーリー。孤独な大道芸人アレックスと、失明の危機にある女画学生ミシェルが織りなす、痛烈で鮮烈な純愛物語と解説にあります。ポンヌフ橋や街並みの洒落た映像に見とれ、流れる音楽に心を洗われましたが、その前に観た「汚れた血」と同じ男女の俳優だと知りました。

   

 そして香港国際映画祭グランプリ受賞作品の「黒の牛」。私にとっては訳の分からない映画についてパンフレットのコメントには「内なる宇宙と森羅万象。禅に伝わる『十牛図』から紐解く、大いなる円環」とますます難解な言葉から始まります。蔦監督は「この物語はかつて狩猟採集民として生きていた男が近代化の波の中で農耕民となって生きる過程で、自然の神々や精神生とのつながりを失っていく姿を描いています。」と述べ、「孤独に生きる男の前に現れる<牛>は、彼の内にずっと存在していた『死』の象徴ともいえます。」とさらに難解な言葉を連ねます。これも帰宅してからパンフレットをじっくり読まなければいけません。

   

 55冊のパンフレットは、表紙を見ただけで映画の内容を思い出だせるものもあれば、俳優の写真やあらすじからストーリーを思い出せるものもありますが、お宝ものと言えるパンフレットを2冊見つけました。1冊は今週で終わるNHKテレビの朝の連続ドラマ「ばけばけ」のヒロインおトキを演じる髙石あかりが、脱力系殺し屋を演じる「ベイビーわるきゅーれナイスデイズ」、もう1冊は、ほとり座で唯一上映中に2回見た「こちらあみこ」です。しかしどちらも買っただけで読んではいませんでした。このことはすべてのパンフレットに言えます。このコラムを機に1冊ずつしっかり読んで、映画を観た時の感動を思い出そうと思います。よい睡眠薬になりそうです。

   

   

   

   

   

   

友人の死

2026.02.25

 昭和40年(1965年)に東北大学経済学部にお互いに現役で入学し、柔道部に2人とも初心者で入部し、一年留年しての卒業も一緒だったWさんが、数年前に肺がんを患い闘病生活を続けていましたが、2月5日に79歳で亡くなりました。私と同い年でした。2月2日(月)に、経済学部も柔道部も同期のOさんから、「今日、(同じく同期で理学部出身の)Kと2人で川崎市の新百合ヶ丘総合病院に入院中のWさんを見舞ったが、意識がなく危ない。林も見舞いに行くなら早い方がいいよ」と電話が入りました。

   

 前回Wさんに会ったのは昨年の4月で、東京での会議を終えてからKさんと2人でご自宅を訪ねました。奥さんの話では、Wさんの体重は80㎏以上あったのが65㎏になってしまい、自分からは全く何も話さない。読書家で詩を書きもしていたのに本も読まず、テレビで昭和歌謡曲を聴き、フーテンの寅を観るだけとのこと。WさんはKさんの名前は言えるのに、私が「僕の名前、分かるか?」と聞いても、「おもろいやつやったなあ」と答えるだけでした。しかし、Kさんや私と一緒にビールやウイスキーをしっかり飲んでいました。

   

 Wさんの柔道については、柔道部の部誌に掲載の卒業生プロフィールに、上手く記されています。

   

 この人ほど「寝技の醍醐味」を満喫させてくれる男はいない。(中略)ことの真偽はともかく、大学に入って初めて柔道を始め、お通ふり切る武蔵のごとく寝技一筋に精進を重ね、自らの肉体を痛めつつ一つの形に到達したことは、誰しも範としなければならぬことだろう。相手をぐっと引きつけ、後ろ帯を取り、その剛力と技でもって返し、縦四方固めなり横四方固めに入る独特の形は、新入生の羨望の的となるが、それとて決して一朝一夕に成ったものではないのである。(後略) Oさんからの電話を受けて、仕事の予定がなかった2月4日(水)に、病院にWさんを見舞いました。事前に奥さんに伺うと言っていたので、奥さんも病室におられました。面会時間は30分と限られていましたが、4時から40分ほど病室でWさんに会いました。酸素マスクを着け、点滴をされ、目は半開き。痛み止めにモルヒネを投与しているとのことでした。耳は聞こえるとのことなので、帰り際に私はWさんの手を握り、詮無いこととは思いつつ耳元で、「来年の傘寿を一緒に祝おう」と話しかけました。11時過ぎに帰宅した直後に奥さんから「林さんに会って安心したのでしょうか、危篤の連絡が入り病室で付き添っています。本日は遠いところおいでくださいまして感謝申し上げます。」とLINEで連絡がありました。

   

 そして翌朝8時に奥さんから「只今息を引き取りました。取り急ぎご連絡いたしました。」とのLINE。

   

 Wさんは読書家で、「林、太宰読んだか」というので、「斜陽」、「人間失格」、「走れメロス」などを読んでいたら、Wさんは「太宰は古い。坂口安吾を読め」と言うのです。聞いたことのない作家でしたが、太宰と坂口は戦後の日本において「無頼派」と」言われた文学的盟友で、「桜の森の満開の下」、「白痴」、「堕落論」などを読みました。Wさんと知り合わなかったら、坂口安吾の作品を読むことはなかったでしょう。

   

 Oさん、Wさんと私の経済学部の3人は、教養部時代は学生服に角帽、そして下駄履きで学内を闊歩していました。柔道部の稽古が終わると一番町のビアホールに駆け込んで、大ジョッキを一気に飲み干していました。Wさんは、高倉健が好きで「網走番外地」を良い声で歌っていました。何もかもが懐かしい思い出です。覚悟はしていましたが寂しくなりました。

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