創業70周年を迎えるにあたって

2010.08.01

1940年(昭和15年)10月、当社の前身の巴組が高岡で誕生した。それから69年の歳月を経て来る10月に当社は創業70周年を迎える。
 2000年(平成12年)10月のこのコラムのタイトルは「創業60周年」であった。このコラムでは、「”古くて古い”企業は衰退し、”新しくて新しい”企業は脆(もろ)い。
“古くて新しい”企業が強い。先人の跡を求めず、求めたるところを求めよ」の言葉から始め、私が当社に入社した1975年(昭和50年)からその後の25年間での当社の変わりように言及している。そして「世の中は急激に変わる、世の中が建設産業に求めるものも大きく変わる。その中で「どうしたら世の中の役に
立てるだろうか」と常に考え行動する企業、考え行動する社員が強いのである。社員を資源としてとらえて、意欲と向上心にあふれ成長し続ける社員を育て、そんな社員によって進化し続ける常に新しい企業でありたいと60周年の今月改めて思う。2010年、創業70周年の年には今とは全く違った朝日建設になっていることだろう。」と結んでいる。
 改めて読み返し、21世紀に入った2001年(平成13年)からこれまでの10年間における建設業を取りまく経営環境の激変を思った。
 2002年(平成14年)から2007年(平成19年)まではいざなみ景気と呼ばれた長期間の好景気だったが、「聖域なき構造改革」を掲げた小泉政権下、2002年度(平成14年度)に前年度比マイナス10%の大幅な削減から始まった公共事業予算の削減が、その後も毎年度3%削減され続け、建設産業にとっては世間の好景気とは無縁の苦難の時期であった。さらにこの工事量の減少に加えて一般競争入札が拡大されたことで、競争が激化してダンピング受注が頻発し、多くの建設業者が倒産、廃業に追い込まれる状況に至った。
 このことは、当社の売上高と利益の推移にも表れている。2000年に売上高35億300万円とピークを記録したが、2001年には27億1千万円、2002年が26億7,800万円、2003年が21億7,700万円、2004年が20億3,600万円と減り続け、2005年には20億円を割り込み17億7,700万円(赤字)となった。2006年は24億1,800万円と20億円台に回復したものの、2007年に再び20億円を割り込み15億7千万円(赤字)、2008年が20億7,100万円、2009年が22億1,100万円で傾向としては右肩下がり、かつ、2度の赤字決算であった。
 この間、2001年に、前田道路との共同企業体アスファルトプラント「とやまエコン」(1993年設立)に世紀東急工業と鹿島道路が加わって「ほくりくエコン」となりシェアを拡大した。
 2002年4月には、富山と八尾の両オフィスに民間営業担当者を選任し、元請受注が減少する中で下請受注による売上高確保に寄与してきた。
またこの年の6月に(有)朝日ケアを設立して北代の呉羽工務所跡地に老人介護施設「あさひホーム」を建設し翌2003年4月からデイサービスやグループホームなどの介護事業を始めた。
 さらに2002年の7月には、携帯電話からアスファルト合材を発注するシステム「レモネット」を構築し、10月に情報化促進貢献企業として国土交通大臣表彰を受賞している。
 2004年には工事原価管理のレベルアップを目的にCZ(クッション ゼロ)式原価管理手法を導入した。そして2006年にはCZ式原価管理をより効果的に実施するため、HALシステム設計のパッケージソフトHAKRAを導入し、これに合わせて財務管理、給与管理もHAKRAに切り替えた。
 2006年4月からは、定期昇給もベースアップも無く、人事考課による格付けだけに基づいて賃金が変動する新しい賃金体系に切り替えた。またこの年の7月には、既存の病院建物を当社が元請として改築した老人介護事業所「あさひホーム吉作」が開業した。
 そして2008年には工程管理手法のCCPM(クリティカル チェーン プロジェクト マネジメント)のソフトを購入し、主要工事で実施している。
2008年6月には本格的に住宅改修工事に参入するために、電気部をユニバーサルデザイン室に組織替えした。そして今年7月に定款変更し、来月9月1日からユニバーサルデザイン室で新たに福祉用具貸与事業を開始する。
2009年には、我が社が提案した「梨生産農家との連携による“呉羽梨”再生ビジネス事業」が国土交通省の「建設業と地域の元気回復事業」の認定を受け、現在も鋭意取り組み中である。
 こうして10年間を振り返ると、「2010年、創業70周年の年には今とは全く違った朝日建設になっていることだろう」という60周年の時の思いほどには劇的には変わっていないが、毎年のように新しい物にチャレンジしてきたことは見て取れる。
昨年の自民党から民主党への政権交代により、「コンクリートから人へ」の方針の下、今年度の公共事業費は前年の18.3%減というかつて経験したことの無い削減幅となり、建設業に携わる関係者を震撼させ、またその心を深く傷つけた。しかし私は創業70周年を迎えるにあたり、これからも経営理念である『世の中の役に立つこと』と『人は経費ではなく資源』を一途に追求し、「進化し続ける常に新しい企業」として、今後の厳しい時代を勝ち残らなければならないと決意を新たにしている。

「いのちの授業」

2010.07.04

聖路加国際病院理事長の日野原重明先生が2000年に「新老人の会」を組織され会長を務めておられるが、その富山支部の世話人代表(責任者)を作年から私が務めている。
 日野原先生は全国の小学校で聴診器を使って「いのちの授業」をされているが、その「いのちの授業」が7月14日に七尾市立小丸山小学校で行なわれることを石川支部の会報で知り、今後の富山支部の活動の参考にしたいと授業参観に出かけた。
 授業は6年生の児童を対象に行なわれた。音楽教室の前方で女の先生が弾くピアノ伴奏に合わせて校歌を歌う児童の間を、日野原先生(以下、先生)は両手で大きく指揮をしながら入ってこられた(写真1)
 最初に先生が児童に「私は何歳だと思いますか」と質問すると、事前に聞いていたらしく「98歳」と答えが返る。先生は明治44年生まれで今年99歳になると言って、男児にホワイトボードにその年号を書かせたら「明じ44年」。この男児に、明治44年は西暦何年かと尋ねて書かせると1945年と書く。今年は2010年だから引いたらいくつになるかとの問いかけに、その男児は答えを書けない。これを見て先生は、世界ではモンゴルでもインドでも、小学生が2桁同士の13×13や15×15などの掛け算を暗算で出来ると話し、「モンゴルをかける人?」と問いかける。勢いよく手を挙げた男児がかいたのは「モンゴル」のカタカナで地図ではない。これには、皆笑ってしまった。先生は、日本の地図を描き、ロシア、中国、そしてゴビ砂漠まで描き込む(写真2)
 その次に先生は、将来大きくなったら何になりたいかと問いかけ、サッカー選手や野球選手と答えた男児を相手に、サッカーではシュートさせて1度目は先生が受け、2度目は先生がはずして「これはスペインの勝ちだな」と笑わせ、野球(写真3)ではイチローの真似をさせ、「そうじゃないだろう」とご自身でユニフォームの袖をつまみ上げる仕草や打撃フォームを上手に真似される。ピアノを習っている女児にピアノを弾かせてから(写真4)、今度はホワイトボードの左端から右端に1本の線を引き、左端を0歳、右端を100歳として右端のちょっと左に98と書いた後、児童に年齢を尋ねると12歳と11歳という答。答えた女児たちに、線の上に12歳と11歳と思うところに印をつけさせてから、傍らの紙で0から12までの長さを合わせ(写真5)、それを24、36、48と移動させたら3回で100に届いてしまう。11でも同じこと。その上で先生は、両手を広げて左手で0右手で100を押さえ、おでこがついたところが50、そしてまた両手とおでこで0と50の半分が25と示してから、11や12の位置に印をされ、「君たちはここにいるよ」と話された。
 ここから生きているということに話題が転換する。りんご(写真6)、ピーマン、レモンなどの模型を使って心臓の位置や大きさを説明してから、教室の前に出てきた数人の児童たちに聴診器(写真7)を左の胸に当てさせて自分の心臓の音を聞かせる。その数を数えさせてから、人間や象、そしてネズミなどの心臓の鼓動数の違いを説明される。そして、「心臓が動いているから生きているのでありいのちを持っているのだけれど、そのいのちは風や空気中の酸素と同じように目には見えない。でも君たちは朝起きて、食事をして歯を磨き、学校に来て勉強したり遊んだりしているのは時間を使っているということであり、時間を持っているということ。いのちとは時間。子どもの時は、時間を自分のために使うけれど、大人になったら自分のことにだけでなく、他人のことにも使うようになる」と話された。
 締めくくりは「シャボン玉」の歌。シャボンが石鹸だということを子ども達は誰も知らなかったけれど、この歌の歌詞は野口雨情(写真8)が自分の赤ちゃんが生まれて間もなく死んでしまったことを悲しんで作詞したということを話され、女児のピアノ伴奏で先生が指揮して、生徒も参観していた父兄も音楽教室の皆が一緒に「シャボン玉」を歌った。
 あっと言う間の45分間の授業だったが、内容は実に深く重かった。先生のお話は、私が富山経済同友会の課外授業で中学生に、そして我が社の社員に「働くとは、端・楽であり、周りを楽にすること。だから、自分のために働くのではなく、他人のために働くのです」と繰り返し言っていることと相通じるところがあると思った。
 しかし、98歳の日野原先生の「いのちは時間であり、長生きできればそれだけ誰かのために多く時間が使える」というメッセージは、先生より35歳も若い私が言う話とは聞き手に与える力が全く違うと思った。そして、私もこれからの時間をもっとしっかり使わなければいけないとも思った。

 

(写真1) 大きく指揮をしながら、日野原先生ご入場
(写真2)日本地図、ロシア、中国、ゴビ砂漠まで
(写真3)児童と野球のイチローの真似
(写真4)ピアノの演奏を女児にしてもらう
(写真5)0から12までの長さをもとに
(写真6)リンゴの模型で説明
(写真7)聴診器をあてて心音確認
(写真8)野口雨情しゃぼんだまの歌

経済同友会の課外授業

2010.06.04

富山経済同友会の会員が富山県内の小中学校や高校に出向いて行なう課外授業は平成13年度から始まった。その第1回目は平成14年1月に舟橋中学校の1年から3年までの各学年で行われ(関連記事:14年2月コラム/課外授業体験記-その1-、14年3月コラム/課外授業体験記-その2-)当時教育問題委員会の副委員長であった私は1年生の授業を受け持った。演題は「“学ぶ”について考える」だった。 その後、課外授業の依頼が増え、10年度目に入った今年6月18日現在、延べ117の学校で延べ143人の会員が課外授業を行なってきた。
 この間に私は、平成17年度に1回(富山市西部中学校)、平成20年度に2回(富山市立呉羽中学校)、平成21年度に3回(射水市射北中学校、富山市新庄中学校、富山大学付属中学校)、そして今年度既に2回(氷見市西部中学校、富山市楡原中学校)合計9回の課外授業を行なってきたが、私が行った課外授業はすべて中学校であった。そして対象学年は、富山県下の全ての公立中学校で行なわれている「社会に学ぶ『14歳の挑戦』」にあわせての2年生への授業が3校、全校生徒対象が4校、そして1年生対象が、舟橋中学校と平成21年12月の富山大学附属中学校の2校であった。
 課外授業での演題は、附属中学校では「課題設定のための達人講座」のひとつとしての「福祉分野」と決められていたが、これ以外は、平成17年5月に富山市立西部中学校で行った2回目の授業から先日6月18日の富山市立楡原中学校まで「学ぶこと、働くこと」がずっと変わらぬ演題である。これは、富山市立西部中学校での講演が、職場体験を通じて将来の自分の生き方を考えることを目的とした「14歳の挑戦」を前にしての2年生への授業だったので、舟橋中学校での最初の演題「“学ぶ”について考える」の「学ぶ」と、職場体験で「働く」ことをくっつけて、「学ぶこと、働くこと」に決めたのである。
 パワーポイントを使っての私の授業は、「人が他の動物と違うのは、頭と社会性を持っていることであり、賢くなって個人、家庭、会社、地域、日本、世界の様々な問題を解決する」から始まり、「社会性」から「コミュニケーションはキャッチボール」と説明する。次に「より良く生きるために、より良く知る」という英語の哲学Philosophyの語源について解説して、なぜ「学ぶ」のかを考える。さらに「能力は才能、経験、意欲、考え方の掛け算」であり、その中で考え方が一番大切であることをイチロー選手や松下幸之助翁の例を挙げて説明する。次に、福沢諭吉の「教育論」を紹介し、礼儀、規律、挨拶の大切さについて事例を挙げて説明してから、「躾」も「働く」も漢字ではなく日本人が作った和字、国字で、「働く」は「端・楽」であり、「自分のために働くのではなく、世のため人のために働く」のだと話す。
 その後は、土木工事(工学)が英語でCivilengineeringと言うことや、英語の社会資本Infrastructureの意味を話してから朝日建設の経営理念に言及し、さらに母の介護経験の話から朝日ケア設立に至った経緯や運営理念を話す。
 授業時間は50分間が多いのだが、それ以上もらえる時には、「パン屋の話」(HALシステム設計の安中社長紹介の「限界なき思考方法」の話)、杭につながれた象の話、ノミのサーカスの話などを付け加え、終わりは「さようなら」と言ってからGoodbyeの解説、最後におまけとして外国でクシャミをすると周りの人から言われる「God bless you」を説明して終了となる。
 課外授業をした後に生徒からの感想文が届く。「人間は一人では生きられない」、「能力は掛け算」、「コミュニケーションはキャッチボール」などが印象に残ったとか、「働くのは家族や自分の生活のためだと思っていたが、人のために働くと知って、驚いた」などの感想に、私が盛り沢山に話したことを、それぞれに何かしら心に留めていてくれたとうれしく感じる。
 この原稿を書きながら読み返していた感想文の中に、私が母を病院に見舞った時に看護師さんが言った「人間が生きているのには必ず意味があります」を聞いて、「まだ中学2年生なので、誰のために、何のために、どうして生きているのかなどを考えてみても、正直私にはその答が分かりません。でも、将来のために今の自分があるなら、今の自分をもっと大切にしたいし、もっと頭が良くなってステキな将来をGETしてやるぜーという気になります。大人の話はなぜかちびっ子の心を動かすんです。林さんのおかげで、またエンジンに火が着いたような気がします。ありがとうございました。」というのを見つけた。思わず笑みがこぼれ、これからも課外授業を通して、生徒の役に立つ「働き」をしたいと思った。

 

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