「3+1の旅」と言っても、黒、赤、青の3色のボールペンとシャーペンシルが1本になった「3+1」の筆記用具を持って旅をしたという話ではない。女性3人と男は私1人が4月21日の日曜日に新潟に旅したという話。だから「3+1の旅」。
この3人の女性は2人が91歳でもう1人が81歳。65歳以上の人のことを高齢者(老人)と定義する国連の世界保健機構(WHO)の高齢者の区分では、66歳の私は65〜74歳までの前期高齢者、81歳のS.Mさんは75〜84歳までの後期高齢者、91歳のS.KさんとK.Kさんは85以上の末期高齢者となる。前期高齢者、後期高齢者、そして末期高齢者とは、英語をそのまま訳したのだろうが、何というデリカシーの無い失礼な言葉だろうか。訳したのは誰なのかと腹が立つ。
財団法人ライフ・プランニング・センターの理事長であり、聖路加国際病院理事長でもある日野原重明先生は、かねてより、半世紀前に国連で定めた「65歳以上を老人」とする捉え方はすでに実態に即しておらず、老人は75歳以上として、自立して生きる新しい老人の姿を「新老人」と名付けた。そして「新老人運動」に賛同する人々の集まりとして、2000年9月に日野原先生を会長に「新老人の会」が発足した。
2007年に発足し2009年から私が世話人代表を務めている富山支部では、2011年9月9日に、当時99歳の日野原先生を富山にお呼びして講演会を開催した。しかし、現在全国に44ある支部の中で会員数がビリから2番目の弱小富山支部では、そうそう富山で講演会を開催することはできない。そこで、4月21日に新潟支部が新潟市で開催する日野原重明先生101歳講演会「私たちの運命は自分でデザインできる」に参加者を募って出かけることにした。それで「3+1の旅」となったのだが、私にとっては、日野原先生の講演ももちろん良かったが、3人の女性会員との椅子を回し対面にして座ったJR車中やタクシーの中での会話が楽しかった。
行きの特急はくたかで、K.Kさん(91歳)が、大学ノートを横に半分に切って作った自作のメモ帳を取り出し、そこにはさんであった朝日新聞日曜版に掲載の日野原先生のコラム「101歳・私の証 あるがまゝ行く」の「私の椎骨骨折闘病記」の切抜き(上)(下)2枚を見せてくださった。私は3月の東京での拡大世話人会で、先生が手術され、術後4日目に講演されたことを聞いてはいたが、新聞の切抜きを読んで詳細がよく分かった。K.Kさんは講演会の間ずっとこの特製ノートにメモを取っていたが、帰宅してから読み返して清書するとのこと。メモは取るものの、後から読み返すと何が書いてあるか分からない私のメモを反省した。
またK.Kさんは「私なんか日曜日に家に居たって、こたつに入ってサッカーのテレビを見ているだけ。林さんがお世話してくださったこんな良い機会に4人しか行かないなんて、参加しない人は何を考えているのかしら」と嘆かれた。
S.Mさん(81歳)は私に、「350年も前に、貝原益軒が現代にも通用する養生訓を書いたのよ」と薦めてくれたのが、「すらすら読める養生訓」(立川昭二 著)で、この本に書いてあることを実践していると言う。同じ著者による「愛と魂の美術館」もお奨めだった。驚いたのは、著者の立川さんに富山の啓翁桜(私には初耳の桜だった)を添えて感想の手紙を出したと言う。
また、初めて富山で日野原先生の講演を聞いた時にとても感激し、富山空港から東京に帰る先生に花束を渡して飛びついたら、先生に喫茶店に誘われ、出発までの時間いろんな話をさせてもらったというエピソードも披露してもらった。
私は以前S.Mさんから、8週までの胎児をサポートする「円ブリオ基金」のための1円玉を入れる貯金箱をもらったのでその話をしたら、「自分に出来る社会貢献がしたいからやってるのよ」と言われた。
新潟に出かける前は、駅で手を引かなければいけないかもしれないと思っていたが、全くの杞憂であった。ただ笑ってしまったのが、K.Kさんは、エスカレーターの上りは大丈夫だが下りは苦手だということ。新幹線で新潟駅に到着してエスカレーターで下りた私は、走って離れた場所の階段に回わり、プラットホームまで上がって、K.Kさんの手を引きながら一緒に階段を下りたことくらいが私の手助けであった。
新潟駅から会場までのタクシーで、運転手さんが、道を挟んで建っている野球場とサッカー場を案内したら、K.Kさんは「私は野球は好きでないけどサッカーは好き。〇〇(名前を忘れたが有名選手)のボールさばきがいい」と言い、「昨日のアルビレックス新潟と横浜F・マリノスの試合、アルビレックス新潟、負けたがやろ?」と運転手さんに尋ねるのにビックリ。運転手さんは「アルビレックス、1対ゼロで勝ちましたよ」と答えた。また、学校の音楽の先生であったというK.Kさんは、車窓からまだ花が残っている桜の木を見て、「きれいやね」と言って、さくらさくら 弥生の空は 見わたすかぎり♪と歌いだし、他の2人も歌いだす。声を合わせて無邪気に歌う3人に、助手席の私の頬も緩んだ。
帰りの列車では、91歳のお2人とも一人暮らしなのだが、今でも車を運転していると聞き、またまたビックリ。S.Kさんは運転暦50年。「富山から新潟までは3時間くらいね」と言うので「高速を走るのですか?」と唖然として尋ねたら、「大型車の後ろを走れば、80キロで安心よ」とのたまう。一方K.Kさんが運転免許を取ったのは59歳で、免許を取った動機が、「道路工事現場で作業員が仕事をしているのを見たとき、これは車のために仕事をしているのだ、そうなら、私も車を運転しなければ損だと思った」と話され、開いた口がふさがらなかった。
K.Kさんからは、中年のおばさんの温泉でのマナーの悪さ、ピアノを教えている子どもには、ピアノを教える前にしつけを教えなければいけないという話も聞いた。
また、3人とも私が車中で「すらすら読める養生訓」を検索するのに使ったスマホに大変興味を示された。
帰りの新潟駅で、私が「笹だんご」のお奨めの店を紹介したら3人とも買われたが、後日S.Mさんから、とても美味しかったと笹だんごの絵を手描きしたはがきを頂いた。
「新老人の会」の3つのモットーの内のひとつに、「創(はじ)めること」があるが、それを実践し、こんな風に明るく積極的に生きている3人の「新老人」との日帰り旅行は、新潟支部の事務局長との電話でのやり取り、帰りのJRのきっぷの事前購入、各自に電話で伝えた列車の時刻を間違いの無いようにするための3枚のはがきの作成などの手間や時間は問題にならないほどの収穫を私にもたらしてくれた「3+1の旅」であった。なかなか経験できない旅が出来たことに感謝したい。
あさひホームが2003年(平成15年)4月1日に開業してからあっと言う間に10年が経った。その間の記録を写真を中心にまとめた記念誌が作成され、その巻頭の「あいさつ」に私は以下のように書いている。
「振り返ると、この間にいろんな問題が起こりましたが、特に危機感を抱いたのは次の二つの出来事でした。4月の開業前から持ち上がったのが、トランスに自信が持てない介護スタッフからの機械浴の導入要望でした。機械浴に絶対反対の私は、設計段階から貴重なアドバイスをもらっていた介護アドバイザーの青山幸広さんに4月6日に富山に来てもらい、デイサービスフロアでトランスの講習会を行いました。その後も何度か講習会を行い、今では当社の山田さんが外部の介護職の方々にもトランスの講習会を開催するまでになっています。」
そこで10周年を機に、あさひホームで機械浴を行わない理由について書いてみたい。
機械浴に違和感、嫌悪感を抱いたのは、あさひホームが出来る前に母が利用していた介護施設の浴室に置かれた機械浴を見た時であった。ショートステイから戻った母のオムツを換えていたら、お尻を拭いたタオルに少しだけれどもウンチが付いていたことがあり、下剤を飲んでベッドの上で排便した後はどのようにしているのかと介護スタッフに尋ねたところ、熱いタオルで清拭しているが、お風呂には入れていないとのこと。では、どんなお風呂なのか見せて欲しいと言って見せられたのが機械浴槽であった。白いタイル張りの大きくて殺風景な浴室の中に、何台かの機械浴槽が置かれていた。これが、富山型デイサービスで有名な惣万さんが言うところの「てんぷら揚げ機」であり、これでは文字通り「まな板の上の鯉」だと思った。私が、案内してくれた看護婦さんに「ストレッチャーの上に寝た状態で浴槽に漬けられては、怖くないですかね」と尋ねた時の「浴槽が上がってくるので怖くはないです」との返事を今でも覚えている。今にして思えば「認知症では、記憶は失われても感情はきちんとある」という基本的な知識がなかったのであろう。
その後、2001年の秋に自分で介護事業を始めることを決意し、2002年3月に東京の設計家の染谷正弘さんを紹介され、あさひホームの設計が始まった。染谷さんは機械浴はしたくないという私の考えに賛成してくれていたが、4月の打ち合わせの翌日、本社の裏にあるサンシップで行われた「にぎやか開所5周年記念講演会」に染谷さんと出かけ、「生活とリハビリ研究所」代表の三好春樹さんの講演を聞き、彼が提唱する「寝たきりに しない・させない。生活習慣を守る。主体性・自主性を引き出す。」という「生活リハビリ」の考え方に2人とも賛同した。そして、三好さんが言うとおり、お年寄りには機械浴という生活習慣はなく、機械浴ではお年寄りの主体性・自主性が引き出せるわけがないことを理解し、機械浴をしないという我々の考え方は正しいと確信した。
しかし染谷さんは介護施設の設計をしたことがなく、私も介護経験は母のオムツ交換だけなので、浴室をどう作ればよいかは試行錯誤であった。そんな状況で、三好春樹さんに相談してみたらどうかとの染谷さんの提案を受け、私が三好さんにコンタクトを取ったところ「あいさつ」に書いた青山幸広さんを紹介された。青山さんは、グループホームでのトイレのレイアウトに素晴らしいアイデアを出してくれたが、浴槽の大きさや配置にも的確なアドバイスをくれた。5人浴槽は要らないと3人浴槽にしたのもそのひとつだ。
青山さんから、風呂の形状は長方形で浴壁は垂直のものが介護に適していると教えられ、ホーロー製のそれを予定していたが、製造中止になっていて代わりに提案されたのが同じ形状のポリバス。入浴を大切に考えていた私にとって、母が入浴することも考えると、ポリバスは受け入れがたかった。そこで、当初、すぐに黒ずむので手入れが大変だということで選択肢から外していたヒノキの浴槽だったが、12、3年は黒ずまないという加工を施したヒノキの浴槽を建築会社の現場代理人が探し出してくれた。値段は張るがヒノキとすることにし、ついでに浴室の壁もヒノキに変更した。建築費はどんどん増えた。
風呂以外にも、どれだけたくさんの検討を重ねたことだろうか。ハードには自信を持って開業したあさひホームだった。しかし、この10年間に2回の増築を行った。実際に運営してみないと分からないことがあると知った。
先日、新しく開業したサービスつき高齢者向け住宅の内見会に出かけた。なかなかお洒落なつくりであったが、椅子やテーブルの高さが高すぎるし、何よりも浴室に機械浴槽が2台設置してあるのにがっかりした。「誰の為に機械浴にするのですか?」と責任者に尋ねたら、スタッフのためとの返事。経営においては、考え方、理念が大事だと改めて思った。
朝日ケアの介護スタッフが更にトランスの技能を磨き、ご利用者に普通の入浴を安心して心から楽しんでいただけることを願っている。
3月8日に黒部市立生地小学校の6年生に課外授業を行ったが、その演題が「夢をもって」であった。今回の課外授業も冨山経済同友会を通じての依頼であったが、私のこれまでの課外授業はほとんど中学校での授業であり、小学校では初めて、さらに最初から演題が決まっているのも初めてであった。
中学校での私の課外授業の演題はずっと「学ぶこと、働くこと」だが、これは、富山県の全ての公立中学校の2年生が、毎年1週間行っている「社会に学ぶ14歳の挑戦」の活動を始めるに当たり、彼らに働くことの意義について話して欲しいというリクエストに応えて私が考えた演題であった。そして、ほとんど毎年行っていることで、それほど準備に時間を要しはしていなかった。
しかし今回は、卒業間近の6年生が夢をもって中学校に進学して欲しいという学校の要望に応えて、3年前から同じ演題で経済同友会の会員が行ってきた課外授業なので、4回目の私が変えるわけにはいかないだろうと考え、この演題でお引き受けしたものの、なかなか授業の方向性が定まらなかった。
3月8日が迫ってくる中で、2月の初めに参加した「職業能力開発推進者講習会」での事例発表で「実行あるのみ」として引用された吉田松陰の次の言葉を知って、この言葉を課外授業の中心に据えることに決めた。「夢という言葉が使われている、これだ!」、そして説得力のある言葉だと思ったのだ。
その言葉とは、「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」である。
吉田松陰のこの言葉を中心に授業内容を構成することにして、中学生への課外授業で使った「空っぽのコンピュータに情報が入っていなかったら? 知識がつまっていない空っぽの頭から創造力は生まれない、だから、読み・書き・そろばんや暗記は大切」というスライドの前後に、パソコンを操作しているネコや犬のスライド写真を入れるなど面白い動物の写真をあちこちにはめ込んだりして、児童の興味を引くようにと考えながら、楽しくスライドを作っていった。
このようにしてスライドを作成しながら思い出したことがあった。それは、会社に出かける前の妻との茶飲み話で今回の課外授業の話をしたら、妻から「夢をもってと言われてもね。和夫さんは考えたことがある?」と問い返され、うなってしまったことだ。児童から、「林先生の夢は何ですか?」と質問されたら、何と答えたらよいのだろうか?
それならば、事前に私の夢をスライドにしておこうと思った。そこで自分の夢は?と真剣に考えた。行き着くところは、経営者としての想いであった。経営理念を「夢」として、理想、計画、実行と考えていった。そして、次のような成功へのプロセスが出来上がった。
夢 = 建設工事を通して世の中の役に立つこと
(ふるさと富山を発展させる)
理想 = 「三方良しの公共事業改革」が富山県で進められていること
三方良し=発注者良し、施工者良し、地域住民良し
計画 = 発注者と施工者に「三方良しの公共事業改革」をしっかり理解させるために、勉強会やワークショップを行う
実行? = 2013年1月31日 富山県庁の土木技術職員を対象に講演会を実施した
実行? = 2013年6月に、富山県発注工事でワークショップを実施する
実行? = 2013年中に、国土交通省、富山県、富山市発注工事でワークショップを何回も実施する
3月8日の授業では、児童が真剣に聴いてくれたことと、質問にはきはきと答えてくれたことが印象的だったが、翌週の火曜日12日に、担任の先生からのお礼状、私の課外授業を題材にして先生が前日の11日に発行された学年通信(NO 123)、そして6年生児童全員の感想文(心に残ったことや勉強になったことを理由も添えて3つくらいと、お礼の手紙)が届けられた。それを読んで、感激した。
先生は、「私は本当に感動しました。話だけではなく、この吉田松陰の言葉を自分に置き換えて話をしている姿に…私も話をするだけでなく、実践あるのみと考えさせられました。」と書いておられた。児童からも、「〜「夢」について堂々と語る林先生にあこがれを感じました。それは自分も夢に向かってがんばっているからだと思いました。その豊富な経験を私たちに伝え、与えてくれたことに感謝の気持ちが絶えません。〜」を初め、どの子の感想文も、しっかり私の話を聴き、自分の意見、感想を書いていてくれていた。
私にも多くの学びと収穫のあった今回の課外授業だった。それは、人の話の引用だけではなく、自分の体験を語ることの大切さを学び、さらに、私自身が自分の「夢」を確認し、それを実現しようと本気にさせてくれたことだ。
生地小学校の6年生と担任のY先生、本当にありがとうございました。