1月28日の地元新聞の記事に、またまた財務省に腹が立ちました。記事の大見出しは、「企業撤退 広がる波紋」、中見出しが「利用者“難民化”現実味」、「介護運営難100自治体」でした。そして記事の概要を示したリードには、「介護大手の地方からの撤退が波紋を広げている。介護現場では専門業者のノウハウやスタッフに頼ってきただけに、自治体では『企業としての経営判断かもしれないが、やりきれない』と困惑の声も。利用者の受け皿探しが厳しい中、懸念する“介護難民”が現実味を帯びてきた。」とあり、本文では、まず福島県での事例を挙げ、次の節の小見出し「多角化」で、介護大手の多角化の理由を記し、最後の節の小見出し「当て外れ」で、こうなった理由が書かれていました。この「当て外れ」を読み、心の底から腹が立ったのです。
「国が軽度の要介護者向けサービスを市区町村に移行させたのは、介護費の抑制と地方の実情に応じた多様なサービスの提供を期待したからだった。制度改革に関わった財務省幹部は『軽度の介護なら、住民主体による助け合い事業に置き換えても十分カバーできると思った』と振り返る。
しかし、実際は『判定上軽度でも認知症や難病の患者、自力の入浴が困難な利用者へのサービスを住民のボランティアでまかなうのは不可能』(中略)
国も各地に展開する大手介護を、全国一律にサービスを提供する『ユニバーサル企業』と暗に位置づけていたが、当てが外れた形だ。
厚生労働省幹部は、『動き出した住民主体の流れを止めるわけにはいかない。しかし、専門的なサービスを受けられない利用者の救済も急務だ』と語り、難しいかじ取りを迫られている。」という記事です。
このどこに腹が立ったのか。まず「介護費の抑制と地方の実情に応じた多様なサービスの提供を期待した」です。とにかく医療や介護などの社会保障費を抑えることしか考えていない財務省ですから、「期待」は「介護費の抑制」にあり、「地方の実情に応じた多様なサービスの提供」は、後付けの理屈に過ぎないと思います。そんなことだから、「制度改革に関わった財務省幹部は『軽度の介護なら、住民主体による助け合い事業に置き換えても十分カバーできると思った』と振り返る。」ことになったのです。介護現場の現実を知らない財務省の役人が、「住民主体による助け合い事業」ときれいごとの言葉を使って軽度の介護をボランティアに委ねようとしても、彼らは介護の中身もボランティアの現実も分かっていないのだから「十分カバー」などそもそもできるはずがなかったのです。全く無責任なものです。
私は先日、富山市の千石町通り商店街振興組合が作った映画「まちむすび」を観ていて、なるほどと思ったシーンがありました。千石町の住民が神通川原で行っている清掃活動を、千石町の住民ではない男性(主人公の相棒)が手伝いながら、「住民の参加を募るには全くの無償ではなく、千石町商店街だけで通用する地域通貨をお礼に渡したら良いのではないか」と提案したシーンです。このようなアイデアなくして、住民主体による助け合い事業が定着するとは思えません。
また、「大手介護を、全国一律にサービスを提供する『ユニバーサル企業』と暗に位置づけていたが、当てが外れた形」と甘い判断だったことを「当てが外れた」と書かれていますが、当てが外れた原因は、前節「多角化」の最初に、「ニチイの17年3月期決算は、介護分野のもうけを示す営業利益が110億円。前年同期比で60%を超えるアップだ。報酬の高い重度の介護保険サービスにシフトした効果とみられる。」にあるとおりです。企業経営者なら「選択と集中」で利益のより多い分野に経営資源を集中するという判断は当たり前なのですが、1円たりとも金をもうけたことの無い財務省の役人には分からなかったのです。
そして記事の最後の部分にまたまた腹が立ちました。「厚生労働省幹部は、『動きだした住民主体の流れを止めるわけにはいかない。しかし、専門的なサービスを受けられない利用者の救済も急務だ』と語り、難しいかじ取りを迫られている」でした。何をもって「動きだした住民主体の流れ」と言うのでしょうか。自分たちの政策を強引に推し進めるために、動き出してはいないのに動き出したとでっち上げることが必要だったのでしょう。
私は2014年12月のコラム「来年の介護保険改定に異議あり」で、「財務省が、介護の全サービスの利益率の加重平均が8%程度で、中小企業の売上高純利益率の平均2.2%より高いという理由で、利益率の高い事業の単価を下げるように主張している」ことに対して、これでは「まるで社会主義経済ではないか」と書き、2016年3月のコラム「厚労省の施策に憤り 〜介護業の定昇導入 助成〜」では、当社の4月の賃金改定に当たっては「厚労省の愚策を反面教師にして、民間企業としての賃金制度、賃金体系は時代の変化に対応し、また会社の経営理念に照らしてどのようにあるべきかを念頭に議論したいと思います。」と書いて、財務省や厚労省の介護行政を批判しました。
私は、財務省と厚労省の役人が、改悪としか思えない制度改革を机上の論理で次々と打ち出す状況が変わらぬ限り、利用者の“難民化”は現実に起きると思います。さあ、それに備えて、どういう経営判断をするのか、朝日ケアの介護事業は正念場を迎えています。
昨年1月のこのコラムのタイトルは「70歳」でした。書き出しは、「今月の2日に満70歳になりました。今年の年賀状には、『1月2日に70歳!!なんだか嬉しい気分です』と書き添えました。(中略)ではなぜ『嬉しい気分』を感じたのかと自問しました。それは、70歳から新しいことが始まる予感がして、わくわくしているからだろうと思い至りました。」でした。
そして、その理由として「より大きな理由は、当社が昨年2016年にスタートさせた3年間の中期経営計画VISION1.2.3.(営業利益1億円、売上高20億円を平成30年度に達成する)にあると気づきました。3年間ごとの中期経営計画を8回繰り返すと、8回目は2037年度~2039年度となり、翌年2040年は当社の創業100周年の年になります。」と記し、「経営者である私には、創業100周年に向かっての中期経営計画をシッカリ立て、それを確実に達成していくことが求められると思います。そこにこそ経営者の仕事があると考えます。そう考えると力がわき、『嬉しい気分』になるのです。」と結んでいます。
71歳になった今年の心境は、「嬉しい気分」ではなく「体力は衰えてきたが、気持ちは積極的に経営に頑張ろう!」です。
体力の衰えを如実に感じるのは歩き方です。昨年、人前で挨拶する場面で演台に向かう足取りが自分でも「よたよたしているな」と感じたことが何度かあり、今年に入っても、富山市建設業協会の新年会で会長挨拶のためにステージに向かっている途中に、これはみっともない歩き方をしていると恥ずかしく思ったのです。足が弱り歩かなくなると認知症になると言われますから、毎朝5時からの40分~50分間の犬の散歩だけでなく、使わないままになっている健康器具を引っ張り出して、意識的に運動をしなければいけないと思っています。
では、「気持ちは積極的に経営に頑張ろう!」は経営者として当たり前のことですが、今年71歳になって特に意識したのは、新年式での年頭あいさつでも話しましたが、今年が当社にとり大事な年になると考えているからです。
そう考える原点はやはり2040年の創業100周年であり、それに向かっての3年間ごとの中期経営計画(以下、中計)の策定です。当社が昭和21年に株式会社として設立されてから初めて、VISION1.2.3.として中計を策定したのが一昨年なので、今年はこの中計の3年目の最終年度となります。そして今年は、来年から始める次の中計を策定する年にもなります。このことが大事な年の最大の意味です。
次の中計を作らないといけない年であるということは、昨年の本部長会議で出戸本部長が最初に口にしました。それ以来、私は来年どうやって第2期の中計を作ればよいかと考え続けましたが、解決のヒントは、タナベ経営の若松社長が昨年10月に当社に来られ、「変化」とサインして私にプレゼントしてくださった、若松社長が専務時代に著した「100年経営」の中にありました。本の中に書かれていたジュニアボード(若手・中堅クラスの社員が企業経営の諸施策に関して具体的提言を行う“疑似取締役会”のこと。Junior Board 以下JB)制度を当社にも設けて、このJBメンバーに2019年から始まる第2期中計の提言をさせようというものです。
最初の中計VISION1.2.3.は、2015年にタナベ経営のコンサルティングを受けて行った次世代プロ幹部育成研修会のテーマの一つとして作り上げられましたが、来年から始まる第2期中計は、タナベ経営がJBの立ち上げとその運営に対する指導を行いますが、策定するのはあくまでも当社の社員です。彼らは中計策定後も何年か様々な提言を行うことで会社の経営そのものに継続的に関わっていくことになります。1回完結型の社員研修会ではないところが大きな違いです。
このJBメンバーには新しいメンバーが加わって若返りが図られながら、第2期、第3期のJBが立ち上がり、第8期中計の2037年~2039年(創業99年)に続いて行きます。このJBを経験した社員の中から、本来の役員(ボードメンバー Board member)も生まれていきます。そしてこの役員たちも、創業100年までに入れ替わっていくことになります。こうして、若い感性で時代を先取りしていく社員の提言を具体化させながら、社歴は長く古くても、常に新しいことに挑戦し続ける朝日建設として創業100周年を迎えるのです。
そのスタートの年が今年です。だから今年は大事な年であり、「気持ちは積極的に経営に頑張ろう!」なのです。
1月のコラム「70歳」は、「そこにこそ経営者の仕事があると考えます。そう考えると力がわき、『嬉しい気分』になるのです。もうひとつ、理由がありました。70歳になった今月、初孫が誕生します。『なんだか嬉しい気分』のおおもとは、これかもしれません。」と締めくくっています。そして2月のコラムのタイトルはずばり「初孫誕生」で、書き出しは1月のコラムの締めくくりを受けて、「『なんだか嬉しい気分』のおおもとは、やはり初孫の誕生のようでした。1月20日に、長女に女の子が生まれたのです。」で、「娘が夫のTさんと二人で苦心しながら、出生届けの提出期限ぎりぎりに『Y』という名前を決めたので、少しずつ人間らしく、そして可愛らしくなっていく赤ちゃんにようやく『Yちゃん』と声をかけることができるようになり、今は完全に『じいちゃん』になっています。」と書いています。
生まれてからこれまでの11ヶ月、孫に接する私の態度は、2月のコラムで紹介した高校の同期生と全く同じになっています。どちらかといえば硬派だった彼が、「『みんな孫は可愛いと言うが、俺はそうなるとは思っていなかった。しかし生まれてみたら、可愛いぞ』と、相好を崩して携帯電話の待ち受け画面に入れた赤ちゃんの写真を見せてくれた」のでした。彼のことを笑えません。私も会う人会う人に、「70歳にしてようやく孫が出来ました」とスマホの写真を見せるきっかけを意識的に作り、「可愛いですね」という反応に、内心「そうやろう、そうやろう」とほくそ笑んでいます。「孫」という歌謡曲は「なんでこんなに可愛いのかよ♪孫という名の宝もの♪」ですが、全くその通りです。
さて、私はパソコンやスマホに、インターネット上にファイルを保存できるクラウドストレージサービスのDropboxを置いています。その中には、生まれた翌日に私が病院で写した写真に始まり、自宅に来たときの写真や、娘夫婦と会食したときの写真など、私が写した写真も入っていますが、圧倒的に多いのは、娘が1週間に2、3度LINEで送ってくる写真です。今では500枚以上になっていますが、表情が出てきた、寝返りができるようになった、ハイハイしている、肩車されて笑っている、一人で立つようになった、冷蔵庫にくっついているマグネットをはずすのが仕事など、日々どんどん成長している様子が確認できます。
自分の子どもの2歳くらいまでの記憶は、4人の子どもともあまりありません。しかし、孫のYの記憶はずっと残ると思うのです。それはアルバムを引っ張り出して開かなくても、パソコンやスマホに入れてある写真はいつでもどこでも見ることが出来るからです。そのおかげで、仕事の合間に眺めれば、その後の仕事のエネルギーが湧いてきます。
子どもたちのアルバムには、私の両親に連れられて出かけたディズニーランドや大阪での花博、そして父のふるさとの伊勢での写真が貼られています。私も、妻と孫との旅がしたいと願っていますが、その時に撮る写真もDropboxに置かれ、いずれ孫が見て、さらに孫が自分の子どもに見せることになるでしょう。これもICT(Information and Communication Technology:インフォメーション アンド コミュニケーション テクノロジー「情報通信技術」)の進化のおかげだと思いました。
初孫の成長と同じように、ICTもまだまだ成長します。私もICTを活用しながら、孫とのコミュニケーションを上手に図っていきたいものです。
と、ここで終わるつもりでしたが、一晩寝たらこんな思いがよぎりました。数少ない写真の中の1枚を見て、その頃の記憶をたどりながら当時の出来事を思い出す、そして、初恋の彼女は今どうしているだろうか?などと想像することが無くなり、記憶力や想像力が弱まるのではないかということです。気をつけなければいけないと思いました。