「令和」と「恕」

2020.01.01

 ドイツの心理学者「ヘルマン・エビングハウス」は、彼が発表した「エビングハウスの忘却曲線」で、人間は聞いたことを20分後には42%忘れ、1日後には74%忘れ、1週間後には77%忘れると言っています。であれば、1月6日の新年式から1週間たった今日(1月12日)、社員の皆さんは、私の年頭あいさつを77%忘れていることになります。そこで、今回は年頭あいさつを要約し、思い出してもらおうと思います。

  今年の年頭あいさつは、社員の皆さんに少しでも興味を持って聞いてもらいたいと、最初に「昨日の朝ラジオで聞いた話ですが、休肝日は設けない方が良いらしいです。肝臓だけ休むと、毎日動いている他の臓器が不公平だと怒り、肝臓をいじめるかもしれない。特に心臓は総理だから一番偉いので」と話しました。この話は伊奈かっぺいが話したジョークで、心臓=総理=(安倍)晋三という掛け言葉も入っています。でも、あまり反応はありませんでした。また、論語の言葉を紹介するときに、大谷翔平のマンダラシートの話を交えましたが、社員の皆さん、覚えていますか? 

  私は、これまでの年頭あいさつでは、3ヶ年中期経営計画に沿っての年度方針の発表と説明に時間を割いてきましたが、元号が令和に変わって最初の新年式の今年は、社員教育の意味合いをこめた内容にしようと、これまでと少し趣を変えました。まず最初のスライドで、「令和」の名付け親である高志の国文学館館長の中西進先生は、「令」は「麗しい」、「和」は「平和」と「大和」を表現していて、「麗しき平和をもつ日本」という意味だと言っておられると紹介しました。続けて口頭で、「令和の昨年は、一昨年に続き台風15号による千葉県での断水被害や、台風19号による千曲川の氾濫などの自然災害に見舞われたましたが、凶悪事件もたくさん発生しました。犠牲者36人をだした京都アニメーションの放火殺人事件や、両親や大人からの幼児虐待死事件などの悲惨な事件を思うと、とても麗しく平和な日本とは言えない年であったと思います」と話し、「そこで思い出したのが、論語にある『恕(じょ)』です。孔子が人生で一番大切なことだと説いたのが、恕=思いやりです。“其(そ)れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿(なか)れ”と言われました。それは思いやりです。自分がされたくないことを人にしてはいけません。ということです」と話を展開しました。

  そして「恕」とは、辞書には「他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり」と書かれているが、昨年から当社に導入した「あしたのチーム」式人事評価で、社長が決める3つの全社行動目標の一番目に「思いやり」を掲げたのは、当社の社員の行動に「思いやり」に欠けた行動が見受けられるからだと話しました。そして、各部署に掲示している「社会人としての素養」の中の思いやりに関連する項目として、①人に対して思いやりがあること、②人の気持ちを理解し、決して人の感情を傷つけるような言動をしないこと、③人を許す寛容さをもっていること、④性格が穏やかであることの4つを表示し、普段の自分自身の行動を振り返って、これらの素養に反する言動はありませんか?と問いかけました。そして、これらの素養を身に着けた社員の集まった会社は、パワハラのない社風であり、それは、現下の最重要課題である人材確保・定着の基本であると説きました。

  その後に、中村天風師の「ばい菌一匹でも、目的無くこの世に出てきたものはない」と「この世、この時、人間に生まれてきたのは、人の役に立つために生まれてきたんだよ」から、何事も目的をはっきりさせることから始まるのであり、朝日建設の目的は経営理念だと話し、経営理念を達成するには、Chance、Challenge、Changeの三つのCが必要なので、全社行動目標の二番目にChanceをつかむのに必要な問題意識力を挙げ、三番目にはチャレンジ性を挙げたのだと続けました。そして、当社でこれまで行ってきた数々の施策を示しながら、これらはすべて3Cに則って行ってきたものであったと振り返りました。

  終盤には、「社長が知るべき人間学と経営」というセミナーで聞いたリーダーシップに関する言葉「リーダーシップとは、20%が仕事力(スキル)80%が人間力(マインド)。リーダーシップとは、人を鼓舞して、望ましい方向に導く(リードする)力である」を紹介し、この視点で当社の管理職社員を見てみると、いささかリーダーの資質に欠ける人もいると思ったと、耳が痛い管理職もいるかと思いながら、正直に話しました。

 そして最後は「社員全員に望む姿勢」として、まず一番目に、中村天風師の「人生と積極精神」から、「言葉というものには、強力な暗示力が固有されている。従って特に積極的人生の建設に志す者は、夢にも消極的の言葉を戯れにも口にしてはならないのである」、「どんな場合にも『困った』『弱った』『情けない』『助けてくれ』なんていう消極的言葉を、絶対に口にしないことです」、「幸福や幸運は、積極的な心もちの人が好きなんですよ」などの名言を紹介して、消極的な言葉を使わないようにしよう、それを習慣化しようと要望しました。そして二番目に「読書習慣を身につけよう!1日1時間 毎日」と要望しました。これは、言葉を知らない社員、言葉の意味を理解できていない社員が目立ち、これでは日本語でまともにコミュニケーションが取れないからです。スライドは作りませんでしたが、ベストセラーの「国家の品格」の著者である数学者の藤原正彦氏は、「一に国語、二に国語、三四が無くて五に数学」と言っていることも紹介しました。

 最後のスライドとして、創業の1940年から今年の2020年、そして創業100周年の2040年へのレモンイエローの階段を映し、クリックして、2020年の数字の下に創業80周年という文字を出現させ、80周年記念行事として、昨年好評だった社員旅行を計画したいという言葉で挨拶を締めくくりました。

 思い出していただけましたか?

中西進先生 その2

2019.12.01

 5月のこのコラムで、3月3日(日)に富山県美術館で、高志の国文学館館長中西進氏の「余白空白 そして留守」という特別講演を聴いて、「表現の正道(せいどう)を真っ直ぐに歩いてきたのが日本画家である」という締めくくりの言葉に、日本人の感性に驚いたという話を書きました。

  この中西進先生の講演を、富山経済同友会の11月会員定例会で再び聴く機会を得ました。演題は「日本文化の原点『万葉集』をひもとく」で、今回はiPadを持って行かなかったので、案内チラシの裏に書き留めました。相変わらず、読み返して判読できない文字がありましたが、ぜひ皆さんにお伝えしたいと思います。

   1時間の講演は、(1)日本の歴史、(2)愛、(3)和、の3部構成でした。

 (1)日本の歴史では、万葉集の最初の歌を作った雄略天皇(注、420〜480?)の5世紀から始まると話し出されました。ギリシャはプラトンのアカデミズムに見られるように、政治の根幹は学術にあると考え、学術をよく知った哲学者でなければ政治家になってはいけないと考え、中国は官僚採用試験の科挙(かきょ)に見られるように、カンニングしても合格を目指し、自分の意見を持った者が政治を行う文人政治であった、これに対して日本は、天皇は和歌を詠めなければいけないという歌人政治であった、と解説されました。日本の政治の支配者は武士ではないのかと思われるかもしれないが、武士も歌を詠めなければ武士(もののふ)ではない、それを見事に表したのが万葉集の最初の歌であるとのことです。となれば天皇、皇后は立派な歌を詠まれますが、政治家で和歌を詠んだという人は、聞いたことがありません。

 (2)愛では、万葉集の最初の歌はプロポーズの歌であり、日本の骨組みを作っている愛が、根幹として国民性に染み付いていると話し始められました。「美しい」とは美しむ(うつくしむ)べきもので、愛しむ(いつくしむ)、愛おしむ(いとおしむ)と同じであり、美は愛の感情の中で価値観を決めている、これが愛の概念であると、いささか難しい話になりました。さらに、美とは中国の解釈では羊の焼肉だが(これはジョークか?)、論語で美と並んで最高の地位の善も羊から成り立っていると話が展開しました(漢字・漢和辞典:善は会意文字です(羊+言+口)。「ひつじの首」の象形と「2つの取っ手のある刃物の象形と口の象形。「原告と被告の発言」の意味から、羊を神のいけにえとして、両者がよい結論を求める事を意味し、そこから、「よい」を意味する「善」という漢字が成り立ちました)。(この後のメモは、書いている字が判読できず、何を書いているのかわからないので飛ばします)そして愛の歌である相聞(そうもん)と、死を歌っている挽歌(ばんか)の話に展開し、愛している者が死ぬから悲しい、愛もまた死、死もまた愛と続き、生きている喜びは愛することができる喜びであり、道を歩いていて夜空が美しい、夜景が美しいと思うのも愛であると結ばれました。「生きている喜びは愛することができる喜び」という話に、なるほどそういうことなのかと、合点しました。

 (3)和では、「和して同ぜず」というように、同はいけない。万葉集は集団で歌を作る歌群、連作だが、古今集は一句一句しか見ないという話から、聖徳太子の17条憲法は「和を以て貴しとなす」の平和を願う憲法であり、「篤く(あつく)三宝を敬い」として宗教で解決せよと言っている。怒ってはいけない、皆、自分が偉いと思うから怒ると、私には耳の痛い話をされました。また、万葉集は17条憲法の150年後の動乱期に編まれ未完に終わっていて、300年後に古今集が編まれたということです。さらに、8という偶数の最後と、9という奇数の最後を足すと17になるという話をされましたが、17には何か深い意味があるのでしょうね。和は、昭和の和、令和の和、そして私の名前の和夫の和だと思うと、和夫って良い名前だなあと思うのです。

   そして講演の最後はやはり「令和」の話で、善と並び美しさの最上級の言葉の令は、細やかな美しさのことで、これを「詳(くわ)しい」と言い、自立性を持った美しさが「令」である。誇り高くということで、英語で言うところのNoblesse  Oblige(ノブレス・オブリージュ、簡単に言うと「貴族の義務」)であると締めくくられました。「詳しい」がなぜ美しいと結びつくかと思い、詳細という言葉もあると思って大辞林を調べたら、「くわ・し 【細▽し・美▽し】( 形シク )こまやかに美しい。うるわしい。」とあり納得しました。

   5月のコラムの最後に「これからの令和の時代が、中西先生の持論『元号は時代に対する、おしゃれみたいなもの。美的な感覚を楽しむ文化の一つ』を実践し、肩の力を抜きつつも、うるわしい平和な時代を作るために、私も楽しみながら、しっかり歩んでいきたいものだと思います。」と書きましたが、経営においても、個人生活においても、美的感覚を楽しむことを本気で実践しなければいけないと、このコラムを書きながら思いました。思っても行動しなければ、思う意味がありませんからね。

   最後に、講演会で販売されていた、中西進先生監修のたくさんの本の中から買った「図解雑学 楽しくわかる万葉集」から、雄略天皇の歌の口語訳を紹介します。

籠(かご)よ、美しい籠をもち、箆(へら)よ、美しい箆を手に、この岡に菜(な)を摘(つ)む娘よ。あなたはどこの家の娘か。名はなんという。そらみつ【*大和(やまと)にかかる枕詞(まくらことば)】大和の国は、すべてわたしが従えているのだ。すべてわたしが支配しているのだ。わたしこそ明かそう。家がらも、わが名も。

「身の丈」発言から考えたこと

2019.11.01

萩生田光一・文科相の「身の丈」発言により、2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される英語民間試験が延期されることになりました。

 10月24日、BSフジの番組で、萩生田文科相は英語民間試験の利用で、生徒が住む地域や家庭の経済状況によって生じる不公平感について問われたところ、「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」と反論し、「裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがもしかしたらあるのかもしれない」と述べました。そのうえで、試験本番では高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、「自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」と答えたということです。

 私は、東大生の親の年収が高いことが調査で実証されているので、経済格差に地域格差も加わった不公平感についてはもっともだと思います。また、水準の異なる7つの民間試験の評価方法にも問題が多いとされています。しかし私は、そもそも英語にそんなに力を入れなければいけないのかと思うのです。私は英語が好きですし、英語の語彙を増やして外人さんともっと上手に英語で話したいと思っており、富山経済同友会で行っている中学校での課外授業では、「土木工学、土木工事は英語ではcivil engineeringと言い、市民の工学、市民の生活を支える工学です。インフラはinfrastructureであり、下から組み立てるの意味で下部構造であり、建設するという英語のconstructは、共に(con)積み上げる(struct)からきています」などと話します。

 しかし、今月11日に高岡商業高校の2年生のクラスで行った授業では、前述の文科相の「身の丈」発言について話した後に、数学者である藤原正彦さんが、ベストセラーとなった著書「国家の品格」で小学校からの英語教育必修化を批判し、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」と述べ、国語教育の充実を主張したことを紹介しました。そして藤原正彦さんが英語より国語と言うのは、日本人は国語、日本語でものを考えるからだということなので、私も生徒たちに読書の大切さを伝えようと、富山新聞のコラム「時鐘」の次の言葉を紹介しました。

 「『けさ食べたものを言ってみたまえ。君がどんな人間か当ててみせる』との言葉がある。読書に例えるとこうなる。『読んだ本を言ってみたまえ。どんな人間か当ててやろう』。本も食物も栄養になる点では同じ。よく噛んで食べよう。次の子どもの疑問が分かりやすい。『本を読んでもほとんど忘れてしまうのになぜ読むの?』。先生が答える。『毎日何を食べたか忘れても君は大きくなっているね』」。読書週間に思い出す話である。

 先日の当社の会議で、所長や専務から「今の若い社員は言葉を知らない」という嘆き節が聞かれました。聞いてみると「当たらずと雖も遠からず」とか「もっと深堀して考えろ」と言っても分からないというのです。この話を妻にしたところ、外国人に災害情報を伝える場合は、日本人に話すよりも分かりやすい言葉に言い換えて話すと良く伝わるとテレビで言っていたといいました。なるほどと思いました。言葉を多く知らない相手には、彼らが分かる言葉で説明すればよいのです。「当たらずと雖も遠からず」なら「近いけれども少し違うね」、「もっと深堀して考えろ」なら「もう少し深く考えてみよう」でどうでしょうか。「深く考える」が分からなかったら、何をか言わんやです。「何をか言わんや」の意味、分かりますよね。

 仕事におけるコミュニケーションの大切さが言われますが、言葉が通じなければコミュニケーションになりません。まずは新聞を読み、月に1冊、最低でも年に3冊は本を読みましょう。分からない言葉があったら直ぐに辞書で調べてください。脳に栄養が与えられ、しっかりコミュニケーションが取れるようになり、仕事もうまくいきます。さらに、詩や小説を読み、情緒ある日本語に接しましょう。日本人に生まれたことを感謝できるようになりますよ。

 萩生田文科相の「身の丈」発言がなかったら英語民間試験が実施され、ますます国語より英語に力が注がれ、日本人の国語力がさらに弱まることになると思うと、大臣は良いことを言ってくれたと思います。そして「身の丈」発言を高岡商業高校での課外授業の中で使い、さらにはこのコラムで社員に読書を勧められたと思うと、これまた「良い発言」だったと思うのでした。

 10月24日、BSフジの番組で、萩生田文科相は英語民間試験の利用で、生徒が住む地域や家庭の経済状況によって生じる不公平感について問われたところ、「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」と反論し、「裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがもしかしたらあるのかもしれない」と述べました。そのうえで、試験本番では高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、「自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」と答えたということです。

 私は、東大生の親の年収が高いことが調査で実証されているので、経済格差に地域格差も加わった不公平感についてはもっともだと思います。また、水準の異なる7つの民間試験の評価方法にも問題が多いとされています。しかし私は、そもそも英語にそんなに力を入れなければいけないのかと思うのです。私は英語が好きですし、英語の語彙を増やして外人さんともっと上手に英語で話したいと思っており、富山経済同友会で行っている中学校での課外授業では、「土木工学、土木工事は英語ではcivil engineeringと言い、市民の工学、市民の生活を支える工学です。インフラはinfrastructureであり、下から組み立てるの意味で下部構造であり、建設するという英語のconstructは、共に(con)積み上げる(struct)からきています」などと話します。

 しかし、今月11日に高岡商業高校の2年生のクラスで行った授業では、前述の文科相の「身の丈」発言について話した後に、数学者である藤原正彦さんが、ベストセラーとなった著書「国家の品格」で小学校からの英語教育必修化を批判し、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」と述べ、国語教育の充実を主張したことを紹介しました。そして藤原正彦さんが英語より国語と言うのは、日本人は国語、日本語でものを考えるからだということなので、私も生徒たちに読書の大切さを伝えようと、富山新聞のコラム「時鐘」の次の言葉を紹介しました。

 「『けさ食べたものを言ってみたまえ。君がどんな人間か当ててみせる』との言葉がある。読書に例えるとこうなる。『読んだ本を言ってみたまえ。どんな人間か当ててやろう』。本も食物も栄養になる点では同じ。よく噛んで食べよう。次の子どもの疑問が分かりやすい。『本を読んでもほとんど忘れてしまうのになぜ読むの?』。先生が答える。『毎日何を食べたか忘れても君は大きくなっているね』」。読書週間に思い出す話である。

 先日の当社の会議で、所長や専務から「今の若い社員は言葉を知らない」という嘆き節が聞かれました。聞いてみると「当たらずと雖も遠からず」とか「もっと深堀して考えろ」と言っても分からないというのです。この話を妻にしたところ、外国人に災害情報を伝える場合は、日本人に話すよりも分かりやすい言葉に言い換えて話すと良く伝わるとテレビで言っていたといいました。なるほどと思いました。言葉を多く知らない相手には、彼らが分かる言葉で説明すればよいのです。「当たらずと雖も遠からず」なら「近いけれども少し違うね」、「もっと深堀して考えろ」なら「もう少し深く考えてみよう」でどうでしょうか。「深く考える」が分からなかったら、何をか言わんやです。「何をか言わんや」の意味、分かりますよね。

 仕事におけるコミュニケーションの大切さが言われますが、言葉が通じなければコミュニケーションになりません。まずは新聞を読み、月に1冊、最低でも年に3冊は本を読みましょう。分からない言葉があったら直ぐに辞書で調べてください。脳に栄養が与えられ、しっかりコミュニケーションが取れるようになり、仕事もうまくいきます。さらに、詩や小説を読み、情緒ある日本語に接しましょう。日本人に生まれたことを感謝できるようになりますよ。

 萩生田文科相の「身の丈」発言がなかったら英語民間試験が実施され、ますます国語より英語に力が注がれ、日本人の国語力がさらに弱まることになると思うと、大臣は良いことを言ってくれたと思います。そして「身の丈」発言を高岡商業高校での課外授業の中で使い、さらにはこのコラムで社員に読書を勧められたと思うと、これまた「良い発言」だったと思うのでした。