先月のこのコラム“「玉磨かざれば光なし」と言うけれど”で、最後の方に「今や小学校でも取り組んでいるSDGsです。SDGs宣言して社外に情報発信していない企業は、採用活動において最初から負けたも同然だと思います。ですからSDGsの目的は前述の通り当社の課題をあぶりだし、解決に向かって行動したり今後の成長分野への参入を考えたりすることですが、SDGsを採用の手段にしない手はありません。
今日、全ての企業の最重要課題は採用であると言っても過言ではありません。」と書きました。採用に向かってのさらなる行動が、今回のコラムの内容です。
まず映画の試写会への協賛です。数々の賞を受賞したチューリップテレビ制作のドキュメンタリー番組「私は白鳥」がこの度映画化され、全国上映に先がけて富山市総曲輪のほとり座で11月20日(土)から先行上映されることになりました。その一般向け試写会が11月9日(火)にほとり座で行われるにあたり当社1社だけが協賛するものです。
協賛することで、①試写会告知用CMを20本放送し、告知画面とともに「朝日建設presents」と読み上げます。これは既に始まっていて、あさひホームの職員や総務部の社員から「見ました」と言われ、妻も17日の日曜日の朝「テレビから朝日建設と聞こえたので画面を見たら会社のロゴと社名が出てた」と言いました。②試写会の当選ハガキと落選ハガキに当社の広告が掲載されます。③来場者にチラシなどサンプリングを実施できるので、当社では採用案内のチラシとトミカの重機を渡します。④上映前に当社のPR時間が用意され、司会のアナウンサーが当社を紹介します。
そして5番目がチューリップテレビでのコマーシャル20本の放送で、6:00から26:00の間でランダムに放送されます。テレビコマーシャルは1本15秒で、「100年カウント篇」と「笑顔を照らす朝日建設」篇の2本を作り、2本続けて30秒間流します。ただ今打合せ中ですが、10月19日現在それぞれに登場する出演者7名が決まりました。
さて、この度のチューリップテレビの企画の提案は、チューリップテレビの山野社長から県民会館で開催するチューリップテレビ開局30周年記念“間寛平芸能生活50周年+1記念ツアー「いくつになってもあまえんぼう」”の案内メールがあったので申し込んだチケットを山野社長自身が9月8日に会社に届けに来られたときでした。山野社長とは富山経済同友会の事務局に山野さんがインテックから出向していた2003年からの知り合いで、バンドでアルトサックスを吹きイベント案内を軽妙な文面でメールしてくる楽しいキャラクターの人で、8年前からチューリップテレビの社長です。今回間寛平のチケットを届けに来られた時に同行してきた若者はチューリップテレビの営業部社員で、なぜ社長と一緒にやってきたのかと思っていたら前述の試写会協賛企画を提案したのでした。山野社長が北日本新聞に出した当社の選択定年制の広告を見て、テレビコマーシャル出してもらえるかもしれないと直感(?)してこの社員を同行されたのでした。
私は、6月24日の午前中におこなわれた令和2年度大雪対応支援感謝状贈呈式の終了後NHKテレビから受けた私のインタビューの様子が、その日の昼と夕方のニュースで流され、その直後から多くの人から「見ました」と言われメールや手紙ももらい、その後も8月ころまで朝の犬の散歩時に梨農家の方から「社長さん、テレビ見ましたよ」と言われたことで、映像の印象は長く残るものだと思ったのでした。そこでこのテレビコマーシャルの提案を聞きながら、当社の社名が見た人の印象に残り、後々まで採用のきっかけづくりに使えるだろうだろうと思い、出すことを即答しました。
今回の映画の協賛やテレビコマーシャルにいたった流れを振り返ると、いろんな人とのつながりの中で仕事が進んでいくと思い、人生はだから面白いと感じました。
「玉磨かざれば光なし」とは、「どんなにすぐれた才能があっても、学問・修養を積まなければ立派な人物になれないということ」(明鏡国語辞典)です。これは当社営理念の2番目「朝日建設は、人を経費ではなく成長する資源と考える。」に通じます。この理念の解説にあるように、人(社員)は学歴や男女の別などに関係なく成長目標の明確化と人財育成の実施によって成長できるということであり、この成長した社員によって経営理念の1番目「朝日建設は、建設事業とその関連事業を通して世の中の役に立つ。そして、ふるさと富山を発展させる。」ことができるのです。
しかし、玉がなければ磨けないように、成長させようにも人(社員)がいなければ成長目標の明確化も人財育成の実施もできません。当然のことであり、そのために採用活動が重要になります。
さて当社はこの度SDGs経営に取り組むことにしました。SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)とは、「誰一人取り残さない(leave no one behind)」持続可能でよりよい社会の実現を目指す世界共通の目標です。2015年の国連サミットにおいて全ての加盟国が合意した「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の中で掲げられ、17の目標と169のターゲットから構成されいます。SDGsの目標に照らし合わせながら当社の課題をあぶりだして解決に向かって行動したり今後の成長分野への参入を考えたりしたいと思います。
当社はこれまでいろいろ新しいことに取り組んできました。PDCA(Plan、Do、Check、Action)の仕組みを作ることが大きなメリットのISO、東日本大震災を機に災害にあってもいち早く事業を再開するためのBCP事業継続計画(Business Continuity Plan)、工事原価管理と一体化した財務システムのHAKRA(現在は後継のALDE)、また、レモンイエローのコーポレートカラやー女性技術者の採用、3年ごとの中期経営計画の策定、絶対人事評価、選択定年制など数え上げるときりがありません。SDGsを学び始め、これらの取組みはSDGs経営の目標のいくつかの実践であったと思いました。
しかし今や小学校でも取り組んでいるSDGsです。SDGs宣言して社外に情報発信していない企業は、採用活動において最初から負けたも同然だと思います。ですからSDGsの目的は前述の通り当社の課題をあぶりだし、解決に向かって行動したり今後の成長分野への参入を考えたりすることですが、SDGsを採用の手段にしない手はありません。
今日、全ての企業の最重要課題は採用であると言っても過言ではありません。そして採用活動は採用担当者だけが行うものではなく、社員の皆さん一人ひとりの言動も採用活動です。会社訪問してきた学生さんをニコッと笑顔で迎えていますか?
私が尊敬する中村天風師は「百歩譲って、いくら磨いても玉にならないとしてもだよ、磨かない玉よりはよくなるぜ。ここいらが非常に味のあるところじゃないか。」と言っています。宝石の原石ではなく普通の石であっても、先ずは手にして磨きましょう。
自宅に来ていた初孫のY(4歳7か月)が、私が新聞を読みながらカッターで記事を切り抜いているのを見て、「じいちゃん、どうして切り抜いてるの?」と聞いてきました。とっさには答えられず、社員に対して常々「仕事をするときには、その仕事の目的は何かを考えることが大事」と言っていた手前、私は「さて、なんで切り抜いているのかな?」と考えてしまいました。
よく切り抜く記事は、富山新聞の1面のコラム「時鐘」、記者が交代で書いている「紙風船」や矢口誠(翻訳家)さんが紹介する「きょうの言葉」、そして「時鐘」の筆者の一人の小倉さんが毎週金曜日に書いている「小倉さんの時鐘30年こぼれ話」や外交ジャーナリストの手嶋龍一さん、作家・元外務省主任分析官の佐藤優さん、参院議員・作家の青山繁晴さん、政治評論家の筆坂秀世さん、私と高校同期生の昭和女子大学総長の坂東眞理子さん、国際政治学者の三浦瑠麗さんなど多彩な筆者による「北風抄」、そして日経新聞では1面のコラム「春秋」と政治、経済、国際、文化などの最新情報です。北日本新聞では毎月第4金曜日に掲載される私の長男のブログ「うれしい出会い、あれこれ」と、以前は「時鐘」や「春秋」に比べてレベルが低く読む気がしなかったのに去年から見違えるようによくなったコラム「天地人」です。
切り抜く記事は「いい話題だな!」と思ったコラムや「きょうの言葉」、こんな文章を書きたいものだと思う、私と同い年の小倉さんの「小倉さんの時鐘30年こぼれ話」、多方面にわたる知識や見方を知ることが出来る「北風抄」、そして政治や経済、文化などの最新情報です。それらの記事は読み返すこともあるだろうと、コラムや「きょうの言葉」などの小さい記事はクリップで止めて、私の席の後ろのスチール戸棚につけているマグネットフックに引っ掛け、大きめの記事はスキャンしてパソコンにフォルダー分けして入れています。となれば、切り抜く目的は読み返して知識や感動を再現できるようにしておくということになりそうです。でも現実は読み返すことはほぼありません。そこでゆきの質問をきっかけに、少しでも記憶に定着させるよう読み返してからクリップに止めスキャンするようになりました。
では、なぜ記事を通して知識を得ようとするのでしょうか。アイバックの小沢社長からずいぶん以前に、英語のphilosophy(フィロソフィー:哲学)は「知ること(sophy)を愛する(philo)」すなわち「よりよく生きるためには、よりよく知らなければいけない」から生まれている、また英語の知る(know)と名前(name)は方向を示す日時計の指示針gnomon(ノモン)から生まれた兄弟の言葉だと教わりました。時刻を知るには「正午」「noon」とか「4時」「four o’clock」という名前が必要だからです。名前を知らなければ、新聞も本も読めません。試験問題も意味が分からなければ合格は最初から無理です。
「最近の若い者は」と言いたくはありませんが、若者に「本や新聞を読んでいますか」と尋ねても、ほぼ「読んでいません」の返事ですし言葉も知りません。こう言う私も、知らない言葉にいまだに出会います。先日は朝日新聞の「天声人語」で、「アフガニスタンでのタリバンによる死者が17万人を数え、うち市民の犠牲が4万人を超え無辜(むこ)の犠牲者がさらなるテロを招く」とあり、無辜という言葉を知りました。私は自宅の食卓と会社の机の引き出しに電子辞書を置いていますので、即調べたところ(「辜」は罪の意)罪のないこと、また、その人。「―の民」とありました。
これからも、せっせと新聞記事を切り抜き、よりよく生きるための糧としていきましょう。