2012.09.01

「おおかみこどもの雨と雪」

7月のコラムで、アニメ映画「グスコーブドリの伝記」を観た話を書いた。新聞の映画案内欄で上映していることを知り、その後新聞で「グスコーブドリの伝記」の杉井ギサブロー監督と「おおかみこどもの雨と雪」の上市町出身の細田守監督との対談記事を読み、コラムの題材にしようと7月16日にファボーレに出かけたのだった。

 今月のコラムは、新聞記事にあったもうひとつのアニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」を題材にしようと、9月8日の土曜日にファボーレに出かけた。ハラハラどきどきしながら、また、笑ったり涙ぐんだりしながら観ていた。良かった、面白かった。皆さんに是非観てほしいと思うので、ストーリーについては書かないが、先の対談記事にはあらすじがこのように書いてある。女子大学生の花(声・宮崎あおい)をめぐる物語。おおかみおとこと出会い、おおかみこどもの「雪」「雨」を授かる。周囲に助けられ大自然の中でたくましく子育てをする花と、2人の子供の成長と自立を描く。

 コラム「グスコーブドリの伝記」では、「始まるとまず映し出された上空から見た森の風景にこの後の展開を期待した。しかし、次の場面に現れたグスコーブドリや妹のネリ、そして両親はネコではないか。童話の「グスコーブドリの伝記」に登場するのは、ネコではなく人間であったはず。これでいささかガックリきたが、その後の展開も、次々に現れるのはネコであり、夢の場面に出てくるのは奇妙にゆがんだ顔のお化けのような人間(?)で、アニメの絵もコントラストが強くどぎつく感じ、私が賢治の作品を読むたびに感じる世界、風景ではなかった。」と書いている。

 「おおかみこどもの雨と雪」は、「グスコーブドリの伝記」とは明らかに画面が違っていた。どぎつさは全くない。しかし、美術監督が宮崎駿監督のスタジオジブリ制作のアニメと一緒の山本二三氏なのに、我が家の全員がファンである宮崎アニメの「魔女の宅急便」「となりのトトロ」「紅の豚」「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」「崖の上のポニョ」などの画面とどこか違っていると感じた。

 ちょうど高岡市の美術館で「日本のアニメーション美術の創造者 山本二三(にぞう)展」が開催されていて、「おおかみこども」の背景画も展示されているというので観たいと思っていた。「おおかみこども」を観た翌日の9日が最終日だったが、8月下旬から患っている腰痛のため出かけなかった。しかしこの文章を書きながら、終わってしまったこの展覧会について高岡市のホームページで調べたら、『スタジオジブリ制作の「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」や、細田守監督(上市町出身)「時をかける少女」などの美術監督を担当し、日本を代表するアニメ背景画家・美術監督として活躍する山本二三氏。アニメに用いられた背景画やスケッチ、イメージボードなど作者自ら選んだ約160点を一堂に展示します。』と紹介されていた。このコラムのために腰痛をこらえて観ておくのだったと後悔したが、後の祭りである。

 しかし、高岡市のホームページに掲載されていた画像を見て、宮崎アニメの画面と「おおかみこども」の画面の印象の違いの理由に思い至った。掲載画像は、細田監督の「時をかける少女(踏切)」「天空の城ラピュタ(荒廃したラピュタ)」「もののけ姫(シシ神の森)」の3点だったが、入念な取材と精密なスケッチに基づいた山本二三の作風を示していた。では、同じ山本二三が美術監督を務めた「おおかみこども」の画面との印象の違いは何だったのだろうかと考えると、「おおかみこども」では、実際の富山県の景色が出てきたこと、立山や剱岳、みくりが池、上市町の山間の風景が描かれていることだと気付いたのだ。見たことはないが、花が東京から雪と雨移り住んだ村はずれの一軒家も、雪と雨が通った小学校も実在しているということも後で知った。自分が生まれ育ち、今も住んでいて毎日感じている、あるいは小さいころに感じた富山の風土が持つ色や匂い、風や川の音や感触が、「おおかみこども」の画面から、自分では意識しないままに伝わってきていたのではないだろうかと思う。富山県以外で生まれ育った観客には、私が「おおかみこども」で感じた郷愁ともいえるこの感覚は分からないだろう。富山の自然の素晴らしさを、「おおかみこどもの雨と雪」は私に認識させてくれた。

 映画を観てからは、毎朝の犬との散歩で呉羽丘陵の梨畑から見る射水平野や二上山、遠く海岸沿いにはもうすぐ完成する新湊大橋や工場の煙突、それら目に入るすべての風景が愛しく感じられるようになった。そして、この富山の自然や風土を建設業を通じて守っていかなければいけない、それが私の仕事だと思った。