2014.11.28

2040年に向けてなすべきこと

当社は1940年(昭和15年)に私の祖父林銀蔵が高岡市において巴組として創業した。だから2040年が創業100周年となる。

 私は1975年(昭和50年)4月に当社に入社したので、今年4月から勤続40年目に入ったことになるが、時たま社員との話の中で、あるいは新入社員教育で当社の歴史を語る時に、これまでの39年間を振り返ることがある。

 入社したら父である先代社長から、職務内容を説明されないままに企画室長という肩書きを与えられ、最初に取り組んだのが本社ビルの新築工事に関する一切の仕事だった。また、経理のことは何も知らなかったので簿記の本を買ってきて勉強した。社長の指示で、それまで損料が決められていなかった当社保有機械の損料も決めた。翌年には、総務部の女性社員が不安がる中、コンピュータを利用しての経理業務や工事原価計算を始め、経理処理の手引書を手書きで作成しジアゾ式複写機(知っている社員は数少ないだろう)で青焼きして社内関係者に配布した。また、コンサルタントを入れて社員のモチベーション調査をした上で、数ヶ月間かけて賃金体系などを整備した。

 1978年(昭和53年)からは萩原のアスファルトプラントの更新計画に係り、翌年竣工式を行った。1993年(平成5年)には前田道路とのJVプラント「とやまエコン」を設立した。

 「建設21の会」で安中さんと知り合って2004年(平成16年)にCZ(クッション・ゼロ)式原価管理手法を導入したことと、岸良さんとの出会いから2008年(平成20年)にCCPM(クリティカル・チェーン・プロジェクト・マネジメント)による工程管理を導入したことは、当社の施工管理における大きな転機だったと思う。

 2002年(平成14年)には別会社を作ってあさひホームを新築し、翌年の4月から老人介護事業に進出したが、そのことがユニバーサルデザイン室(旧電気部)での2010年(平成22年)からの福祉用具のレンタル・販売という当社の新規事業につながった。

 また、1991年(平成3年)からこれまでに、女性技術者の受け入れのためにリフレッシュカーを自社で開発するなどして、延べ16人の土木と電気の女性技術者を採用してきたが、先進的な取り組みだとして1998年(平成10年)に建設大臣顕彰を受賞した。

 そして今年は、BCP(事業継続計画)を策定した。

 こうやって書いてくると、やってきたことがまだまだたくさん蘇ってくる。よくもこんなに色々やってきたものだと我ながら感心しないでもないが、入社当時に社長である父から「お前は他の社員と違う。(朝日建設の後継者なのだから)やって当たり前。威張ってはいけない。」と言われたことを思い出した。父は私の性格を良く分かっていたのだと思う。

 何をするにも勉強しなければいけないと思い、入社直後から積極的に外部セミナーに参加したが、未だに参加して本当によかったと思っているセミナーがある。それは、入社した年の12月5日(金)6日(土)に富山県生産性本部が主催した泊りがけの人事考課セミナーである。講師は日本の賃金システム研究の第一人者であり、「職能資格制度」の生みの親でもある楠田丘(くすだきゅう)さんだったが、今でも記憶に強く残っているのが、「人事考課は給料や賞与を決めるためだけに行うのではなく、人材育成に使うことが大事だ」と言われたことである。

 ようやく本題に入る。創業100周年の2040年に向けてなさねばならないことの一番が「人材育成」だと心底思うのである。前述のように、これまで39年間、多くの新しいことをやってきた。しかしそこには、5年先、10年先を見据えて取り組むという考えは弱かったように思う。

 例えば新卒の採用は将来の年齢構成を考えてのことではあったが、彼らや彼女たちが5年先、10年先にどういうポジションに就きどうあって欲しいのかをじっくり考えての採用ではなかった。私がやってきたことの大半は、当面の課題への取組みであったと思う。

 しかし、今なぜ26年も先の創業100周年なのか。その出発点は、今年6月に金沢で開催されたタナベ経営の「ファーストコールカンパニーフォーラム 2014」への出戸土木本部副本部長と林冬子総務部長を誘っての参加である。このフォーラムのタイトルが「ファーストコールカンパニーへ挑む〜100年先も一番に選ばれる会社を創る〜」だったのだ。この「100年先」という一言が、日本には100年以上続いている長寿企業が2万6千社あるという帝国データバンクの調査数字を思い出させ、当社の100周年が2040年であり、その時にも確実に存続している会社であるためには、何が大事なのかと考えさせ始めたのだった。

 8月の富山オフィスでの朝礼で、私の横に座っている今年の新入社員のIさんの顔を見て、今19歳のIさんは26年先には45歳の中堅社員になっているが、その時に朝日建設はあるのだろうか?なければいけないが、そのために必要なこと、それは彼ら若手の育成だろうと思った。そして、楠田丘さんの言葉を思い出し、若手に限らず社員の育成のためには、1970年代に導入し、考課者訓練も1度行ったもののその後本質が理解されず、運用が形骸化している当社の人事考課制度をまず見直すことだと思った。先月行われた工事部のKさんの結婚披露宴で私は、「当社は26年後に創業100周年を迎えるが、今24歳のKさんはその時ちょうど50歳で、幹部として活躍しているでしょう」と挨拶したが、これは当社の人事考課制度を根本から見直さなければいけないとの思いからの挨拶だった。

 そんなことを考えているとき、タイミングよく今月11日と12日の2日間にわたって行われた職業能力開発推進者講習(「職業能力評価基準」の活用)の案内を目にし “「能力の見える化」を通じて、いきいきとした職場づくりを目指そう!”というサブタイトルに惹かれて久しぶりに人事考課の講習会に参加した。そして、講習会初日の最初の休憩時間に、講師の濱岸さんに、「私が会社に入った昭和50年に楠田丘さんのセミナーに参加した時に、楠田丘さんから聞いた『人事考課は給料や賞与を決めるためだけに行うのではなく、人材育成に使うことが大事だ』という言葉が忘れられない」と話しかけたら、濱岸さんは、「私は楠丘(くすきゅう)の門下生です」と嬉しそうに応え、その後の講義の中で何度も私に向かって「社長のところではどうですか?」と問いかけられてしまった。関西弁丸出しの講義は時間を忘れさせられるほどに楽しく学べたが、学んでいる最中に、今年4月から毎月、東京の経営コンサルタントの小澤さんに来てもらって実施している社員教育プロジェクトに、濱岸さんを当社に招いての教育をドッキングするアイデアがひらめいた。今、社員教育プロジェクトで議論し作成している「社員の職種別階層別キャリアプラン」が、賃金検討会で話題になる「どうすれば格付けが上がるかを部下に示すのが難しい」という課題を解決するのに大いに役立つだろうと思っていたので、濱岸さんの力を借りて、より具体的で効果的な「職業能力評価基準」を作成しようということである。

 私の経営理念のふたつ目は「人は経費ではなく資源」であり、資源であり財産となる社員を育てるために、新年式で発表する年度経営指針の第一番に昨年、今年と「社員教育の徹底」を挙げた。昨年はお題目に終わってしまったが、今年は「社員教育プロジェクト」を実施している。来年の経営指針も、第一番は「社員教育の徹底」とし、具体的な戦略のひとつとして、全社員参加の人事考課セミナーの開催、考課者訓練、被考課者訓練の実施、そして「職業能力評価基準」の作成を挙げようと考えている。

 「人が第一、戦略は二の次と心得ること。仕事でもっとも重要なことは適材適所の人事であって、優れた人材を得なければ、どんなにいい戦略も実現できない。(ジャック・ウェルチ、米国の経営者、元ゼネラルエレクトリック(GE)のCEO)」はその通りだと思う。しかし、優れた人材を得るための戦略が人事考課であり、これによって育った「優れた人材」で、「いい戦略」が遂行できるのである。

 2040年に向かってなすべき全ての戦略、戦術の土台は「人材育成」であり、そのための優れた人事考課制度の構築と実践だと確信している。