2018.11.01

データ改ざん事件

10月16日に国交省が、油圧機器メーカーKYBと子会社による免震・制振装置のデータ改ざんが行われていたことを発表しました。2000年3月以降出荷された製品で、出荷前に行う検査では国交省の基準や顧客の性能基準に合わない値が出ていたのに、基準値内に収まるように書き換えて出荷していたというのです。
 10月19日の富山新聞のコラム「時鐘」では、5年前の映画「謝罪の王様」の主人公の「謝罪師」が、数々のトラブルを解消していくという話から始まり、今回の免震・制振装置のデータ改ざんで、また一つ「謝罪師」の仕事が舞い込んだと続け、各業種でデータ改ざんが多発する背景には「この程度なら、まぁいいか」との感覚マヒがあると思うと書いています。そして「ま、いいか現象」を一掃しないと、謝罪師の出番は増えるばかりだと結んでいます。
 翌20日の朝日新聞の「天声人語」では、最後のセンテンスで、「組織に身を置けば、そこだけで通じる論理に染まりがちだ。十戒でなくても、自分なりの戒めの言葉を持ちたい。たとえば寅さんの名セリフなどは、どうだろう。『おてんとうさまは見ているぜ』」と記していました。
  私はこの2つのコラムを読み、友人である高知県礒部組の宮内技術部長が、彼のブログ「答えは現場にあり!技術屋日記」に書いていた「石工の話 再考」を思い起こしました。以下に転記します。
宮本常一『庶民の発見』より本文を引用する。
石工たちは川の中で仕事をしていたが、立って見ていると、仕事をやめて一やすみするために上ってきた。私はそこで石のつみ方やかせぎにあるく範囲などきいてみた。はなしてくれる石工の言葉には、いくつも私の心をうつようなものがあった。
 「金をほしうてやる仕事だが決していい仕事ではない。・・・泣くにも泣けぬつらいことがある。子供は石工にしたくない。しかし自分は生涯それでくらしたい。田舎をあるいていて何でもない見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところにこの石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もいないのに・・・」と。(P.24~25) 「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような・・・・・。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬかと夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。おれのやった仕事が少々の水でくずれるものかという自信が、雨のふるときにはわいてくるものだ。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」。(P.25)
 いかがでしょうか。この石工さんは、「おてんとうさまは見ている」からでなく、「やっぱりいい仕事をしておくのがいい」という気持ちで、「この程度なら、まぁいいか」とせず、「子供は石工にしたくない。しかし自分は生涯それでくらしたい」、そして、「自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」と思って石を積んでいるのです。
でも、この石工さんも「まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともある」と正直に言っていますが、現代社会では「組織に身を置けば」なおさら、予算や納期の制約から品質を落とす方向に傾きがちになることは、私も長年経営に携わってきて理解できます。
 しかし、当社の経営理念「建設事業を通して世の中の役に立つ。そして、ふるさと富山を発展させる」ためには、やはりいい仕事をしなければいけない、このことを改めて思った今回の免震・制振装置のデータ改ざん事件です。