2021.02.25 Null

当たりはずれ

 昨年11月22日、総曲輪通りにある小さな映画館「ほとり座」で、何年ぶりかで映画を観ました。タイトルは「ぶあいそうな手紙」。ほとり座で上映する映画を選定したり、カウンターに入ったりしているフェイスブック友達の知人の女性Yさんが、インスタグラムで、映画の印象と共に、「素晴らしかったー!これは見逃さないでほしいです」と投稿しているのを見て、翌日早速出かけました。


 このコラムを書くにあたり先ほどインターネットで検索した「ほとり座」のホームページ(HP)には、この映画は「手紙の代読と代筆を通して交流を深めていく老人と娘の姿を、おかしくも温かく描いたブラジル発のハートウォーミングストーリー」と書かれていましたが、まさにその通りでした。主人公は頑固で融通がきかず、うんちく好きの、視力をほとんど失って、息子さんとも離れて暮らしている78歳の独居老人です。私も70歳を過ぎましたが、妻と2人の子どもと一緒に暮らしていて、境遇は全く違いますが、年齢が近いので、こんな老後もあるのか、自分には今後どんな出来事が起きるだろうか、などと思いながら映画を観ていました。そして映画はいいなと思いました。


 今年1月に「ほとり座」で観たのが、「陶王子 2万年の旅」で、これもYさんから是非観てほしいと勧められた映画でした。チラシも予告編も見ていなかったのですが、「縄文、中国、メソポタミア、ギリシャ、エジプト、ヨーロッパへと人類の知恵を集めながら発展し、現代ではファインセラミックスとして人類を宇宙にまで連れて行くことになった“焼き物”=“セラミック”」(HP)についてのドキュメンタリーでした。陶王子の変化していく様子に興味が持てましたが、正直、学校で歴史の授業を受けている感じで、それほど面白くなく、期待はずれでした。


 次に観たのが、「ほとり座」の近くで民芸店を営んでいる長男が、「良かった。ぜひ観たら良い」と勧めてくれた「もち」です。「800年前の景観とほぼ近い姿で奇跡的に守られてきた岩手県一関市特有の食文化である『もち』をテーマに、伝統と生きる人びとの現在を描く。一関市の住民の人びとが出演し、言葉や伝統、感情をありのままの形で残すという手法で、ドラマでありながら限りなくドキュメンタリーに近い作品として製作された。」(HP)という作品です。主人公の14歳の少女の自然な演技を通じて、「忘れたくない 思い出せない そのあいだに わたしたちはいる」という主題に共鳴し、宮沢賢治の詩「鹿(しし)踊りのはじまり」で知った鹿踊りが踊られるシーンも印象に残りました。長男は2度観ましたが、大当たりでした。


 2月に入って最初に観たのは「天国にちがいない」です。これは、ほとり座の2月上映作品の予定表で紹介されていたコメントの最後のひと言「10年ぶりの傑作コメディー!」でした。しかし、観ていてもほとんど可笑しくなく、これがコメディーかと首をかしげました。観終わってからHPをのぞくと、「現代のチャップリンと称される名匠エリア・スレイマン10年ぶりの最高傑作!」で、2019年・第72回カンヌ国際映画祭で特別賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した作品と紹介されています。私に見る目が無いのかと思い、Yさんに「さっぱり面白くなかった」と話すと、映画の背景にはパレスチナ問題があるので、そこを理解していないと分からないかもしれないとのこと。しかし、観ていてつまらなかったのだから、はずれでした。


 2月の2度目の映画は「瞽女」(ごぜ)です。瞽女とは、三味線を奏で、語り物などを歌いながら、各地を門付けして歩く盲目の女旅芸人ということは知っていましたし、水上勉に「はなれ瞽女おりん」という小説があることを知っていて、瞽女に関心があったので、「天国にちがいない」で「瞽女」の予告編を観て、これは観たい!と思いました。子役の演技に涙し、「瞽女として過酷な人生を歩んだハルは、意地悪なフジ親方からは瞽女として生き抜く力を、サワ親方からは瞽女の心を授かり、一人前の瞽女として成長していく」というストーリーに、こんな女性が実在していたことに驚きながら映画館を出ました。これも大当たりでした。


 そこで、この5本の映画の当たりとはずれの違いは何かと考えました。去年の「ぶあいそうな手紙」は、Yさんの投稿を読み、観たくなったのでした。今年の「当たり!」の2本は、事前の予告編で観たいと思わせられた「瞽女」と、息子が激賞した「もち」です。一方「はずれ!」の2本は、Yさんに勧められたので観た「陶王子」と、チラシの「傑作」の言葉につられて観た「天国にちがいない」となります。このコラムのタイトルとした「当たりはずれ」の違いの理由を無理やりつければ、「事前知識の差」となるのでしょうが、占いの「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ではないけれど、判断するのは私であり、観てみないと分からないのだから、事前知識や評判に関係なく、むしろ事前知識や評判を忘れた白紙の状態で、私の主観で観たらよい、その印象が差であるという単純なことなのでしょう。とかく評判に躍らせられる私には、心したいことです。


 19日の夜は、今回の最終上映になる「アイヌモシリ」を観るつもりです。予告編からは、間違いなく「大当たり‼」となる映画です。(あらら、白紙の状態ではありませんね)